追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
52.信頼の証
夜の帳が降り始める頃、調香室で香りのレシピを書いているフレイヤのもとに、レンゾが現れた。
その手には、精油が入ったガラス瓶を持っている。
「フレイヤさん、新しい精油を抽出してみたので、確認お願いします」
「わかりました」
フレイヤはペンをペン立てに置くと、レンゾからガラス瓶を受け取る。瓶の中で揺れる精油の中には、金色のラメのようなものが浮かんでいる。
蓋を開けて、くんくんと鼻を動かして匂いを嗅いだ。
ふわりと、柔らかさのある甘い香りが鼻腔をくすぐる。
バラやユリのような濃厚さはないが、心が安らぐような優しい香りだ。
「これは……水晶花ですね?」
「ええ、花弁から抽出しました。先日、コルティノーヴィス商団がいい状態のものを卸してくれたんです」
水晶花はエイレーネ王国の固有種だ。
薄青色の花弁はフリルのように密になっており、花弁の真ん中からしべに向かって金色の小さな線がすっと描かれている。
工芸品のように美しい花だが、王国内では街中でも野でも見かけられる身近な植物だ。
柔らかな香りは心を落ち着かせる効果があり、安眠用のサシェにも用いられる。
また、乾燥させて茶にして飲めば魔力の回復を助ける効果があるため、王国内の薬草雑貨店では必ず乾燥させた水晶花が売られている。
水晶花はエイレーネ王国の国花でもあるため、建国祭の時期は毎年この花が街中を彩っている。
「今まで水晶花を香水に使っている工房はありませんでしたが、うちで作ってみてはどうでしょう?」
「これを香水に……ですか」
「水晶花の香りは心を落ち着かせるので、必要としている人がいると思うんです。だから香水にして、お守りのようにつけられたらいいような気がして……まあ、ただの素人の意見なんですけど」
と、レンゾはややバツの悪そうな顔になり、指先で頬を掻いた。
フレイヤはもう一度、精油の香りを嗅ぐと、ガラス瓶の蓋を閉めた。
「いい案だと思います。今までは薬用の印象が強くて使われていなかったのですが、せっかくなので香水に使ってみましょう」
調香台の上に置くと、レンゾが小さく拳を握って喜びをかみしめているのが見えた。
思わず口元が緩む。
(カルディナーレ香水工房では、職人から調香師に提案することは全くなかったから新鮮ね)
調香師と職人はさほど交流がなく、どちらも目の前にある仕事を黙々とこなしていた。
特に職人は、指示された精油を作ることだけを求められていたのだ。もしも調香師に提案したところで、相手にされないどころか、仕事に集中していないとケチをつけられていたかもしれない。
(だけど私は、こうして誰かに提案してもらえるのは嬉しいかも)
調香師は香りの専門家だが、どうしても既存の在り方に囚われそうになる。だからこそ、少し立場は異なるが香りの専門家である職人たちから意見を聞けるとアイデアの引き出しが増えて助かるのだ。
「それでは、この精油は私の調香台に加えさせてもらいますね」
レンゾと妖精たちが頑張って抽出作業をしてくれているおかげで、フレイヤの調香台は賑わってきた。
相変わらず妖精たちの姿は見えないため、物がひとりでに動く度に驚かされるフレイヤだが、毎日欠かさず彼らに挨拶している。
未だに妖精たちがいない方向に向かって挨拶してしまうため、その度にレンゾにやんわりと指摘されている。
「二人とも、もう話していいか?」
声がして振り向くと、シルヴェリオが腕を組み、扉のすぐ隣の壁に寄りかかっていた。
「シ、シルヴェリオ様! 気付かなくてすみません!」
「気にするな。熱心に話していたから邪魔をしないよう音と気配を消していた」
「そのような高度なお気遣いは要りませんので、いつでも声をかけてください」
音を消す魔法も気配を消す魔法も、普通の人間ではできない高等魔法だ。
シルヴェリオのような魔導士や、隠密を拝命するほどの実力のある騎士くらいしか使えないだろう。
(難しい魔法をいとも簡単に使って平然としているなんて、さすがは次期魔導士団長……)
改めて、とんでもない人の部下になったのだと実感したフレイヤだった。
「――フレイさん、さっそくだが打合せを始めようか」
「はい、よろしくお願いします」
フレイヤは香りのレシピを書きつけた紙と、王妃からの手紙をシルヴェリオに手渡す。
「テーマに合わせた香りのレシピか」
「はい、老若男女問わず使用できる香りが最適かと思ったので、癖のない青葉の香りや柑橘の香りの系統をベースに調香しようと思います」
今回の競技会のために用意する香水のテーマは『祝祭』と決められている。
そのテーマに合わせ、各工房が思い思いの香水を調香するのだ。
「ただ良い香りを作るだけではダメなんだな」
「香水は、使う人や贈る人の想いを届けるためのものですので」
自分自身のために購入する香水なら、なりたい自分を他者に連想してもらえるような香りを選ぶだろう。もしくは、使用する状況に合わせた香りを選ぶ人が多い。それは周囲への配慮となる。
他者に贈るなら、相手の好みや雰囲気を表すような香水を求める。
相手への想いが選ぶ香りに作用するのだ。
「……なるほどな。君らしい考えだ」
シルヴェリオは小さく呟くと、書類をフレイヤに返す。
「内容は全て確認したことだし、あとは君に一任する。もちろん、手助けが必要になったらいつでも言ってくれ」
「わ、私が全て決めてしまっていいのですか?」
「ああ、俺がまったく知らないのは工房長として職務怠慢となるから試しに嗅がせてもらうが、口出しはしない。そのまま競技会に出してくれ」
ネストレに贈る香水は、シルヴェリオに確認をしてもらっていた。もしもイメージに合わない場合は指摘してもらい、調整するためだ。
しかし今度の競技会に出す香水は、それをしないという。
フレイヤが考えた香水を、そのまま出すのだ。
「君の腕を信じているからな」
「――っ!」
出会ってまだひと月も経ったくらいというのに、シルヴェリオは信じると正面から言ってくれる。
冷徹な彼は、気休めや冗談ではそのようなことを言わない。
このひと月でシルヴェリオ・コルティノーヴィスという魔導士の人柄を知ったフレイヤにはわかる。
彼は本当に、自分の実力を信じているのだ。
胸にくすぐったさを感じた。
「――さて、もう終業時間を過ぎたことだし、今日はここまでにしよう」
シルヴェリオはフレイヤに手を差し伸べる。
「幽霊探しの時間だ」
「は、はい……」
フレイヤはごくりと唾を呑み込むと、彼の手を取った。
その手には、精油が入ったガラス瓶を持っている。
「フレイヤさん、新しい精油を抽出してみたので、確認お願いします」
「わかりました」
フレイヤはペンをペン立てに置くと、レンゾからガラス瓶を受け取る。瓶の中で揺れる精油の中には、金色のラメのようなものが浮かんでいる。
蓋を開けて、くんくんと鼻を動かして匂いを嗅いだ。
ふわりと、柔らかさのある甘い香りが鼻腔をくすぐる。
バラやユリのような濃厚さはないが、心が安らぐような優しい香りだ。
「これは……水晶花ですね?」
「ええ、花弁から抽出しました。先日、コルティノーヴィス商団がいい状態のものを卸してくれたんです」
水晶花はエイレーネ王国の固有種だ。
薄青色の花弁はフリルのように密になっており、花弁の真ん中からしべに向かって金色の小さな線がすっと描かれている。
工芸品のように美しい花だが、王国内では街中でも野でも見かけられる身近な植物だ。
柔らかな香りは心を落ち着かせる効果があり、安眠用のサシェにも用いられる。
また、乾燥させて茶にして飲めば魔力の回復を助ける効果があるため、王国内の薬草雑貨店では必ず乾燥させた水晶花が売られている。
水晶花はエイレーネ王国の国花でもあるため、建国祭の時期は毎年この花が街中を彩っている。
「今まで水晶花を香水に使っている工房はありませんでしたが、うちで作ってみてはどうでしょう?」
「これを香水に……ですか」
「水晶花の香りは心を落ち着かせるので、必要としている人がいると思うんです。だから香水にして、お守りのようにつけられたらいいような気がして……まあ、ただの素人の意見なんですけど」
と、レンゾはややバツの悪そうな顔になり、指先で頬を掻いた。
フレイヤはもう一度、精油の香りを嗅ぐと、ガラス瓶の蓋を閉めた。
「いい案だと思います。今までは薬用の印象が強くて使われていなかったのですが、せっかくなので香水に使ってみましょう」
調香台の上に置くと、レンゾが小さく拳を握って喜びをかみしめているのが見えた。
思わず口元が緩む。
(カルディナーレ香水工房では、職人から調香師に提案することは全くなかったから新鮮ね)
調香師と職人はさほど交流がなく、どちらも目の前にある仕事を黙々とこなしていた。
特に職人は、指示された精油を作ることだけを求められていたのだ。もしも調香師に提案したところで、相手にされないどころか、仕事に集中していないとケチをつけられていたかもしれない。
(だけど私は、こうして誰かに提案してもらえるのは嬉しいかも)
調香師は香りの専門家だが、どうしても既存の在り方に囚われそうになる。だからこそ、少し立場は異なるが香りの専門家である職人たちから意見を聞けるとアイデアの引き出しが増えて助かるのだ。
「それでは、この精油は私の調香台に加えさせてもらいますね」
レンゾと妖精たちが頑張って抽出作業をしてくれているおかげで、フレイヤの調香台は賑わってきた。
相変わらず妖精たちの姿は見えないため、物がひとりでに動く度に驚かされるフレイヤだが、毎日欠かさず彼らに挨拶している。
未だに妖精たちがいない方向に向かって挨拶してしまうため、その度にレンゾにやんわりと指摘されている。
「二人とも、もう話していいか?」
声がして振り向くと、シルヴェリオが腕を組み、扉のすぐ隣の壁に寄りかかっていた。
「シ、シルヴェリオ様! 気付かなくてすみません!」
「気にするな。熱心に話していたから邪魔をしないよう音と気配を消していた」
「そのような高度なお気遣いは要りませんので、いつでも声をかけてください」
音を消す魔法も気配を消す魔法も、普通の人間ではできない高等魔法だ。
シルヴェリオのような魔導士や、隠密を拝命するほどの実力のある騎士くらいしか使えないだろう。
(難しい魔法をいとも簡単に使って平然としているなんて、さすがは次期魔導士団長……)
改めて、とんでもない人の部下になったのだと実感したフレイヤだった。
「――フレイさん、さっそくだが打合せを始めようか」
「はい、よろしくお願いします」
フレイヤは香りのレシピを書きつけた紙と、王妃からの手紙をシルヴェリオに手渡す。
「テーマに合わせた香りのレシピか」
「はい、老若男女問わず使用できる香りが最適かと思ったので、癖のない青葉の香りや柑橘の香りの系統をベースに調香しようと思います」
今回の競技会のために用意する香水のテーマは『祝祭』と決められている。
そのテーマに合わせ、各工房が思い思いの香水を調香するのだ。
「ただ良い香りを作るだけではダメなんだな」
「香水は、使う人や贈る人の想いを届けるためのものですので」
自分自身のために購入する香水なら、なりたい自分を他者に連想してもらえるような香りを選ぶだろう。もしくは、使用する状況に合わせた香りを選ぶ人が多い。それは周囲への配慮となる。
他者に贈るなら、相手の好みや雰囲気を表すような香水を求める。
相手への想いが選ぶ香りに作用するのだ。
「……なるほどな。君らしい考えだ」
シルヴェリオは小さく呟くと、書類をフレイヤに返す。
「内容は全て確認したことだし、あとは君に一任する。もちろん、手助けが必要になったらいつでも言ってくれ」
「わ、私が全て決めてしまっていいのですか?」
「ああ、俺がまったく知らないのは工房長として職務怠慢となるから試しに嗅がせてもらうが、口出しはしない。そのまま競技会に出してくれ」
ネストレに贈る香水は、シルヴェリオに確認をしてもらっていた。もしもイメージに合わない場合は指摘してもらい、調整するためだ。
しかし今度の競技会に出す香水は、それをしないという。
フレイヤが考えた香水を、そのまま出すのだ。
「君の腕を信じているからな」
「――っ!」
出会ってまだひと月も経ったくらいというのに、シルヴェリオは信じると正面から言ってくれる。
冷徹な彼は、気休めや冗談ではそのようなことを言わない。
このひと月でシルヴェリオ・コルティノーヴィスという魔導士の人柄を知ったフレイヤにはわかる。
彼は本当に、自分の実力を信じているのだ。
胸にくすぐったさを感じた。
「――さて、もう終業時間を過ぎたことだし、今日はここまでにしよう」
シルヴェリオはフレイヤに手を差し伸べる。
「幽霊探しの時間だ」
「は、はい……」
フレイヤはごくりと唾を呑み込むと、彼の手を取った。