追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
57.すれ違う心
『――決めた。じゃあ、君にしようかな』
「はい?」
フレイヤは思わずといった調子で聞き返す。
今しがた、オルフェンはフレイヤを何かに指名した――かのように聞こえたのだ。
『そこの猫妖精に僕が知っている魔法を教えるという、例の条件のことだよ。もしも僕がフレイヤを気に入ったら、魔法を教えてあげるよ。だからフレイヤは、しばらくこの森で過ごしてよ。前の条件よりわかりやすくて、いい提案だろう?』
そう言い、オルフェンは見る者が畏怖の念を感じて震え上がりそうなほど、美しい笑みを浮かべた。
フレイヤは突然の提案に驚き、言葉を失ってしまった。
「ふざけたことを言うな。フレイさんはものではない」
シルヴェリオの、地を這うような低い声が背後から聞こえる。
フレイヤがそろりと振り返ると、シルヴェリオは眉間に深い皺を刻んでいるではないか。
深い青色の目は冷えきっており、今にもオルフェンを凍てつかせてしまいそうだ。
その気迫に、フレイヤは気圧されて息を呑んだ。
(もしかして、シルヴェリオ様は私のために怒ってくれている……?)
オルフェンとフラウラの交わした約束は、彼の気に入るものをもってくるというもの。
だからフラウラは、あらゆる物を探しては、彼のもとに運んだ。
その経緯を聞いていたから、シルヴェリオはオルフェンがフレイヤをもののように扱っていると、思っているらしい。
『そうよ、ダメ! その子は私の協力者として来てくれたのよ!』
フラウラが加勢する。艶やかな黒色の毛を逆立て、フーフーと唸り声を上げてオルフェンを威嚇しているのだ。
対してオルフェンは、大きな目をぱちぱちと瞬かせると、小首を傾げた。
『どうしてダメなの? 猫ちゃんが望む魔法を簡単に手に入れられるかもしれないんだよ?』
『だからと言って、アンタに売るような真似はしないわ』
『売るなんて、酷い言いようだね。僕はただ、フレイヤがここに滞在したらいいと思っているだけなのに』
『フレイヤがアンタの気まぐれに振り回される未来が目に見えているのよ! どうせ、気に入るまでとか言いながら、永遠にここに押しとどめるつもりでしょう? アンタたち長命妖精がどんなに狡賢いか知っているんだからね!』
『まるで悪者のように言ってくれるよね。別に騙すつもりなんてないのに、勝手に勘違いして怒らないでくれるかな?』
オルフェンが眦を吊り上げる。整った顔が顰められると、かなり迫力がある。
シルヴェリオとオルフェンとフラウラ。三人を取り巻く空気は険悪そのものだ。
(ええと、どうしよう?)
フレイヤは胸元でぎゅっと両手を握る。
この一触即発な状況をどうにかしたい一心で、「あの!」と思い切ってオルフェンに話しかける。
「私はシルヴェリオ様とレンゾさんがいないと妖精の姿が見えないんです。だから、一緒にいても会話もできないですよ?」
『なんだ、それくらいどうってことないよ。ちょういい魔法があるんだ。妖精が一方的に人間との繋がりを作る魔法を知っているから、それを使えばいい。そうそう、そこの猫ちゃんが知りたがっている魔法でもあるんだよね』
「妖精が一方的に人間との繋がりを作る魔法……?」
『そう、人間には妖精を視れる者とそうじゃない者がいるでしょ? 前に会った長命妖精がその原因を研究していたんだ。その結果、妖精を視れる人間の魔力は妖精の持つ魔力と少し成分が似ていることがわかったんだ。何らかの原因で、胎内にいる時に自然界にある魔力の結晶を取り込んだかららしいよ』
「俄には信じられないな。そんな話、今まで一度も聞いたことがないぞ」
シルヴェリオの言葉に、オルフェンは鼻で笑う。
『当たり前だよ。僕たち長命妖精が長年研究してきた成果を、そう簡単に教えるわけがないだろう?』
長命妖精が魔法に長けているのは、彼らが一生のほとんどを魔法の鍛錬や研究に時間を費やしているからだ。
彼らは自身の魔法の研究に誇りを持っている。だから彼らにとって瞬きの間に消えてしまう他の種族には、そう簡単に教えたりはしない。
『その魔法を発明した長命妖精はね、人間が後天的に妖精を視られる方法を発明したんだ。それが、妖精が人間の魔法回路に魔法の術式を刻印して、自らの魔力を供給することで繋がりを作る方法だよ。実験の途中では注ぎ込む魔力量を見誤って、何人か人間ではなくなってしまったみたいだけど……完成した魔法ではそういった事故が起こっていないそうだから、安心して?』
「なるほど、その魔法があればオルフェンを見れるようになるんですね!」
『うん、さっそく魔法をかけるから、手を出して。そうそう、使い魔として契約する時とは違って対価は不要だよ』
「わかりました。それでは、どうぞ」
フレイヤが握りしめていた両手を解き、オルフェンに差し出す。しかしオルフェンがその手を取る前に、フレイヤの背後から現れたシルヴェリオの手が攫ってしまった。
「何をしている。そう簡単に妖精の話に乗るな」
「でも、ここで滞在するだけでパルミロさんとフラウラがまた一緒にいられるなら、提案を受けるべきですよ。あ、あの……調香師のお仕事は、ここでできるようにしますので――」
「仕事のことを案じているのではない。フレイさんの身の為に言っているんだ。いくらパルミロのためとはいえ、自分を差し出してはならない」
シルヴェリオの言葉はもっともだった。それでもフレイヤは了承できず、「でも……」と口籠る。
出会ったばかりの長命妖精に未知の魔法をかけられることが怖くないと言えば、嘘になる。
それでも、自分にできることをしたかった。
そう思うほど、パルミロには助けられてきたのだ。その恩を返したい。
「工房長の言う通りですよ。オルフェンは危険な魔法を研究するとんでもない妖精で、他の妖精たちから恐れられているんです。彼の提案には慎重に対応するべきです」
『そうよ、あいつはわざと人間や妖精や動物たちを森の中で惑わせて自分のもとに来させては、魔法の実験台にするんだから!』
レンゾとフラウラもまた、フレイヤを止めようとする。
三人の勢いに気圧されたフレイヤは、もじもじと両手の人差し指を捏ね合わせる。
「祖父の知り合いだから大丈夫ですよ」
「自分さえオルフェンの言う通りにすればいいと思っているだろう?」
「うっ……」
シルヴェリオの指摘は図星だった。自分一人がオルフェンの要望に応えてパルミロを助けられるのであれば、そうするべきだろうと思っている。
しかもオルフェンの話を聞く限りでは、身に危険が及ぶようなことはなさそうだ。
だから期限さえ決めてここに滞在すればいい、と。
シルヴェリオは呆れたているかのように深く溜息をついた。
「そのような考え方は改めるべきだ。あまりにも軽率すぎる」
「――っ」
フレイヤは自分の胸がずきりと痛くなるのを感じた。
たしかに、初対面の妖精にはもう少し警戒した方がいいのかもしれない。他の妖精たちから警戒されているような妖精なら、なおのことだ。
それでも自分は軽率に承諾したわけではない。
シルヴェリオが自分のためを思って言ってくれているのはわかっている。
だけど、その決心を軽率なんて言葉で否定しないでほしかった。
『つべこべうるさいな。フレイヤがいいって言っているんだから、いいじゃないか』
オルフェンはやや苛立ちの滲む声でそう言うと、フレイヤの腕を掴む。
「フレイさん!」
珍しく、シルヴェリオが動揺を見せた。
顔色は蒼白で、目を大きく見開いている。
フレイヤをオルフェンから助け出そうと、手を差し出してくる。
しかしオルフェンが呪文を唱える声が聞こえるや否や、シルヴェリオは指先からゆっくりと透明になってゆき――あっという間に、フレイヤの目の前から消えてしまった。
「はい?」
フレイヤは思わずといった調子で聞き返す。
今しがた、オルフェンはフレイヤを何かに指名した――かのように聞こえたのだ。
『そこの猫妖精に僕が知っている魔法を教えるという、例の条件のことだよ。もしも僕がフレイヤを気に入ったら、魔法を教えてあげるよ。だからフレイヤは、しばらくこの森で過ごしてよ。前の条件よりわかりやすくて、いい提案だろう?』
そう言い、オルフェンは見る者が畏怖の念を感じて震え上がりそうなほど、美しい笑みを浮かべた。
フレイヤは突然の提案に驚き、言葉を失ってしまった。
「ふざけたことを言うな。フレイさんはものではない」
シルヴェリオの、地を這うような低い声が背後から聞こえる。
フレイヤがそろりと振り返ると、シルヴェリオは眉間に深い皺を刻んでいるではないか。
深い青色の目は冷えきっており、今にもオルフェンを凍てつかせてしまいそうだ。
その気迫に、フレイヤは気圧されて息を呑んだ。
(もしかして、シルヴェリオ様は私のために怒ってくれている……?)
オルフェンとフラウラの交わした約束は、彼の気に入るものをもってくるというもの。
だからフラウラは、あらゆる物を探しては、彼のもとに運んだ。
その経緯を聞いていたから、シルヴェリオはオルフェンがフレイヤをもののように扱っていると、思っているらしい。
『そうよ、ダメ! その子は私の協力者として来てくれたのよ!』
フラウラが加勢する。艶やかな黒色の毛を逆立て、フーフーと唸り声を上げてオルフェンを威嚇しているのだ。
対してオルフェンは、大きな目をぱちぱちと瞬かせると、小首を傾げた。
『どうしてダメなの? 猫ちゃんが望む魔法を簡単に手に入れられるかもしれないんだよ?』
『だからと言って、アンタに売るような真似はしないわ』
『売るなんて、酷い言いようだね。僕はただ、フレイヤがここに滞在したらいいと思っているだけなのに』
『フレイヤがアンタの気まぐれに振り回される未来が目に見えているのよ! どうせ、気に入るまでとか言いながら、永遠にここに押しとどめるつもりでしょう? アンタたち長命妖精がどんなに狡賢いか知っているんだからね!』
『まるで悪者のように言ってくれるよね。別に騙すつもりなんてないのに、勝手に勘違いして怒らないでくれるかな?』
オルフェンが眦を吊り上げる。整った顔が顰められると、かなり迫力がある。
シルヴェリオとオルフェンとフラウラ。三人を取り巻く空気は険悪そのものだ。
(ええと、どうしよう?)
フレイヤは胸元でぎゅっと両手を握る。
この一触即発な状況をどうにかしたい一心で、「あの!」と思い切ってオルフェンに話しかける。
「私はシルヴェリオ様とレンゾさんがいないと妖精の姿が見えないんです。だから、一緒にいても会話もできないですよ?」
『なんだ、それくらいどうってことないよ。ちょういい魔法があるんだ。妖精が一方的に人間との繋がりを作る魔法を知っているから、それを使えばいい。そうそう、そこの猫ちゃんが知りたがっている魔法でもあるんだよね』
「妖精が一方的に人間との繋がりを作る魔法……?」
『そう、人間には妖精を視れる者とそうじゃない者がいるでしょ? 前に会った長命妖精がその原因を研究していたんだ。その結果、妖精を視れる人間の魔力は妖精の持つ魔力と少し成分が似ていることがわかったんだ。何らかの原因で、胎内にいる時に自然界にある魔力の結晶を取り込んだかららしいよ』
「俄には信じられないな。そんな話、今まで一度も聞いたことがないぞ」
シルヴェリオの言葉に、オルフェンは鼻で笑う。
『当たり前だよ。僕たち長命妖精が長年研究してきた成果を、そう簡単に教えるわけがないだろう?』
長命妖精が魔法に長けているのは、彼らが一生のほとんどを魔法の鍛錬や研究に時間を費やしているからだ。
彼らは自身の魔法の研究に誇りを持っている。だから彼らにとって瞬きの間に消えてしまう他の種族には、そう簡単に教えたりはしない。
『その魔法を発明した長命妖精はね、人間が後天的に妖精を視られる方法を発明したんだ。それが、妖精が人間の魔法回路に魔法の術式を刻印して、自らの魔力を供給することで繋がりを作る方法だよ。実験の途中では注ぎ込む魔力量を見誤って、何人か人間ではなくなってしまったみたいだけど……完成した魔法ではそういった事故が起こっていないそうだから、安心して?』
「なるほど、その魔法があればオルフェンを見れるようになるんですね!」
『うん、さっそく魔法をかけるから、手を出して。そうそう、使い魔として契約する時とは違って対価は不要だよ』
「わかりました。それでは、どうぞ」
フレイヤが握りしめていた両手を解き、オルフェンに差し出す。しかしオルフェンがその手を取る前に、フレイヤの背後から現れたシルヴェリオの手が攫ってしまった。
「何をしている。そう簡単に妖精の話に乗るな」
「でも、ここで滞在するだけでパルミロさんとフラウラがまた一緒にいられるなら、提案を受けるべきですよ。あ、あの……調香師のお仕事は、ここでできるようにしますので――」
「仕事のことを案じているのではない。フレイさんの身の為に言っているんだ。いくらパルミロのためとはいえ、自分を差し出してはならない」
シルヴェリオの言葉はもっともだった。それでもフレイヤは了承できず、「でも……」と口籠る。
出会ったばかりの長命妖精に未知の魔法をかけられることが怖くないと言えば、嘘になる。
それでも、自分にできることをしたかった。
そう思うほど、パルミロには助けられてきたのだ。その恩を返したい。
「工房長の言う通りですよ。オルフェンは危険な魔法を研究するとんでもない妖精で、他の妖精たちから恐れられているんです。彼の提案には慎重に対応するべきです」
『そうよ、あいつはわざと人間や妖精や動物たちを森の中で惑わせて自分のもとに来させては、魔法の実験台にするんだから!』
レンゾとフラウラもまた、フレイヤを止めようとする。
三人の勢いに気圧されたフレイヤは、もじもじと両手の人差し指を捏ね合わせる。
「祖父の知り合いだから大丈夫ですよ」
「自分さえオルフェンの言う通りにすればいいと思っているだろう?」
「うっ……」
シルヴェリオの指摘は図星だった。自分一人がオルフェンの要望に応えてパルミロを助けられるのであれば、そうするべきだろうと思っている。
しかもオルフェンの話を聞く限りでは、身に危険が及ぶようなことはなさそうだ。
だから期限さえ決めてここに滞在すればいい、と。
シルヴェリオは呆れたているかのように深く溜息をついた。
「そのような考え方は改めるべきだ。あまりにも軽率すぎる」
「――っ」
フレイヤは自分の胸がずきりと痛くなるのを感じた。
たしかに、初対面の妖精にはもう少し警戒した方がいいのかもしれない。他の妖精たちから警戒されているような妖精なら、なおのことだ。
それでも自分は軽率に承諾したわけではない。
シルヴェリオが自分のためを思って言ってくれているのはわかっている。
だけど、その決心を軽率なんて言葉で否定しないでほしかった。
『つべこべうるさいな。フレイヤがいいって言っているんだから、いいじゃないか』
オルフェンはやや苛立ちの滲む声でそう言うと、フレイヤの腕を掴む。
「フレイさん!」
珍しく、シルヴェリオが動揺を見せた。
顔色は蒼白で、目を大きく見開いている。
フレイヤをオルフェンから助け出そうと、手を差し出してくる。
しかしオルフェンが呪文を唱える声が聞こえるや否や、シルヴェリオは指先からゆっくりと透明になってゆき――あっという間に、フレイヤの目の前から消えてしまった。