追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

68.秘密を抱えたまま

 翌朝、フレイヤの家の前にコルティノーヴィス伯爵家の馬車が停まる。
 これからコルティノーヴィス伯爵領へ行くために、シルヴェリオがフレイヤとオルフェンを迎えに来たのだ。

 馬車の中から出てきたシルヴェリオは紺色のジャケットとスラックスに白色のシャツを併せた装いだ。
 今日は魔導士団の仕事ではないため、ローブは羽織っていない。
 
 菫のような紫色の髪は頭の後ろで纏め、肩に流している。
 初めてフレイヤと出会った日は多忙と心労が重なって大雑把に纏められていた髪だが、それらから解放されてからはきっちりと結ぶようになった。

 シルヴェリオはフレイヤの家の扉についているドアノッカーを鳴らした。
 扉が開くと、簡素なデザインの白いシャツに紺色のスカートを合わせたフレイヤが顔を出す。
 長旅になるため、比較的動きやすい服装にしたのだ。

「シルヴェリオ様、おはようございます」
  
 今日のフレイヤは髪を下ろしており、波打つ榛色の髪がフレイヤの動きに合わせてふわりと揺れた。

「迎えに来てくださってありがとうございます。オルフェンがまだ荷物を詰め終わっていないので、少しお待ちください」
 
 コルティノーヴィス香水工房が始まって以来フレイヤは作業の邪魔にならないよういつも髪を結わえていた。
 久しぶりに見た髪を下ろしている姿に、シルヴェリオの目が奪われる。
 
「あの……シルヴェリオ様? いかがしましたか?」
 
 やや戸惑いが含むフレイヤの声に、シルヴェリオはハッとしてフレイヤの髪から目を逸らした。
 
「いや……なんでもない。そうだ、護符(アミュレット)ができたからつけていてくれ」

 シルヴェリオは上着のポケットの中に入れていたバングルをフレイヤに手渡す。
 条件反射で受け取ったフレイヤは、掌の中で上品に光るバングルを見る。

「こんなにも素敵な物、いただいてしまっていいのですか?」

 銀色の華奢なバングルには星を模した装飾が凝らされていて上品だ。
 中央に並ぶ星の装飾の中に、それぞれ色違いの魔法石が嵌めこまれており煌めいている。 
 
 護符(アミュレット)と聞いて、もっと簡素で実用的なデザインのものを用意してもらっているのだと思っていたのだ。
 あまりにも美しいバングルを持つ手がやや震える。

「フレイさんが仕事に専念できるよう作った護符(アミュレット)だ。受け取ってもらわないと困る」 
「そ、そうですよね……もしもの事が起こらないようにするための護符(アミュレット)ですものね」

 フレイヤはバングルを左手首に着けた。
 
 腕を通した瞬間、魔法石から光が飛び出す。
 光はフレイヤを包むと、あっというまに消えてしまう。

「問題なく魔法が発動した。これでたいていの攻撃からは身を守ってくれるはずだ」
「ありがとうございます。シルヴェリオ様にはいつもいただいてばかりなので、お返しさせてくださいね」
「……いや、俺だってフレイさんには色々と貰っている」
「そうですか?」
「初めは香り水だった。貰った時は半信半疑だったが、たしかにあの香りを嗅いだ夜はよく眠れた。俺と姉上が姉弟らしく交流できるようになったのも、ネストレ殿下が目を覚ましたのもフレイさんのおかげだ。フレイさんは形がなく――そしてかけがえのない物をいくつもくれたんだ。気兼ねなく受け取ってくれ」
「――っ」
 
 フレイヤは感激のあまり言葉が出てこなかった。黙ったまま、こくこくと頷く。
 飾り気のない、ありのままの感謝の言葉に胸がくすぐったくなる。
 
 誰かのためになれたらと思ってしていたことや、フレイヤ自身が意図していなかったこともある。
 それらに見返りを求めることはないが――礼を言ってもらえると嬉しい。

 家の奥から旅行用のトランクを片手に出てきたオルフェンが、フレイヤを見た途端顔を顰めた。
 薄荷色の目がゆっくりと動き、フレイヤの手首についているバングルで留まる。
 
『うわっ、この小さな魔法石にどれだけ魔法を付与したの? よく壊れなかったね。器用に重ねられていて、感心を通り越して恐ろしく思うよ。君、本当に人間?』

 いつも飄々としているオルフェンが珍しく頬を引きつらせている。
 魔法の専門的な話はついていけないフレイヤだが、オルフェンの様子から察するとかなり高度な方法で付与されたのだと予想する。

 そんなにも素敵な物を贈ってもらったのだから、やはり何か返したい。
 
「競技会で先延ばしになってしまいましたが、早くシルヴェリオ様の香水を完成させますので、その時は受け取ってください!」

 シルヴェリオは深い青色の目を少し見開くと、柔らかに細めた。
 
「――ああ、楽しみにしている」
 
     ***

 フレイヤとシルヴェリオとオルフェンを乗せた馬車がコルティノーヴィス伯爵領のロードンに向けて発った。

 オルフェンはフレイヤの隣にちゃっかりと座っている。自分の近くにも窓があるというのに、わざわざフレイヤ側の窓から外を見ている。
 さりげなくフレイヤに密着しているオルフェンに、シルヴェリオは眉根を寄せる。
 馬車に乗って一分も経たない間にこの体勢になったのだが、注意したところでオルフェンは止めない。

 妖精が人間の注意を聞くことは早々ないし、ましてや契約していない妖精は全く聞く耳を持たないのだ。オルフェンのような妖精の中でも高位の存在はなおさらのこと。

『王都近郊ってこんな景色になっているんだ。見ない間に随分と変わったね』

 オルフェンは薄荷色の目を輝かせて外の景色を追う。
 その横顔は子どものような無邪気さを感じさせた。
 
「オルフェンはどれくらい西の森から出ていなかったの?」
『ざっと百年かな。生まれた場所はエイレーネ王国の北にある水晶窟の奥で、天井に一カ所だけ空いている穴から光が入り込んでいるような暗い場所だった。そこがなんとなく嫌だったからあちこち歩き回ってあそこに辿り着いたんだ』

 二人の会話を聞いていたシルヴェリオが、おもむろに問いかけた。

「水晶窟……ということは、土の要素を持つ魔力から生まれたのか?」

 妖精が生まれる場所は、その妖精が持つ魔力の要素によって異なる。
 水晶は鉱石――石で、洞窟は土のイメージが近い。よってシルヴェリオは、オルフェンが土の要素の魔力を持つ妖精だと見立てた。
  
『魔力のことは教えたくないんだよね』

 オルフェンは不満げに頬を膨らませると、ぷいとシルヴェリオから顔を背ける。

『だけどフレイヤにだけいつか教えてあげる。今はその時じゃないからもう少し待っていてね』
「オ、オルフェン……そういう言い方はよくないよ」

 あからさまにシルヴェリオを無視した態度だ。フレイヤはハラハラとしてシルヴェリオの顔色を窺う。
 
 不遜な態度をとられた当の本人であるシルヴェリオは溜息をついた。

「フレイさん、俺は妖精に期待はしていないから気にしないでくれ。妖精はこういった奴らが多い」
「そう……なんですね」

 妖精との関りに慣れていないフレイヤにとっては心臓に悪い。
 ひとまずシルヴェリオの言葉に安堵した。
 
『ねえ、ロードンにはフレイヤの家族がいるんだよね?』
「うん。姉と義兄がいるよ」
『久しぶりに家族に会えるの嬉しい?』
「……そうだね、嬉しいよ」 
 
 少しの間があり、フレイヤは微笑みながらそう答えた。

「数日前にロードンに帰るって手紙を送ったら、昨日返事が届いたの。ちょうど、伝えたいことがあるから帰ってきてくれて嬉しいって、言っていたよ」
『ふ~ん、伝えたいことってなんだろう?』
「さあ、聞いてみないとわからないね」 
 
 そう言いながらも、だいたいのことは予想できた。
 火急の用件なら手紙で知らせるだろう。
 敢えて直接伝えたいこととなれば、自ずと喜ばしい内容のはず。
 
(たぶん、お姉ちゃんが懐妊したのかも……)
 
 姉と義兄は結婚して六年経つ。
 周囲から子どもはまだなのかと言われていたが、二人とも曖昧に答えて流していた。

 本当は知っている。
 フレイヤが気まずい思いをしないよう、彼女が成人するまで子どもを作らないと二人は決めていたのだ。
 
(まだそうと決まったわけではないけど……私、ちゃんと二人を祝えるのかな?) 
 
 実際に姉から聞いてみないと、どのような内容なのかわからない。
 だけど不安なのだ。予想しただけで今も、まるで紙の上に黒いインクを垂らしたように、自分の心の中に醜い感情がうっすらと広がっている。
 
 そのような感情を自分が持っていることに後ろめたさを感じている。
 この感情を二人に気づかれてしまいたくない。
 できればこの感情が収まるまで、会いたくない――。

 しかし現実は残酷で、刻一刻とフレイヤを二人に会わせようとしている。

(ロードンに着くまでに、少しでもこの気持ちが紛れますように)
 
 フレイヤは膝の上で固く手を握りしめた。

「……フレイさん?」

 シルヴェリオに呼ばれて顔を上げると、深い青色の目と視線が交わる。

「顔色が悪そうだが、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です! 実は昨夜、楽しみにし過ぎて眠れなかったんです」
 
 フレイヤが慌てて笑顔を取り繕うと、シルヴェリオは片眉を上げた。
 彼にもまた、自分の抱える心の闇を知られたくない。

「無理は禁物だ。気分が悪い時はいつでも言ってくれ」
「はい。心配してくださってありがとうございます」

 逃げるように窓の外に顔を向けたフレイヤは気づいていない。
 彼女の横顔を見つめるシルヴェリオの深い青色の目は、いつになく気遣わしいものだった。
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