追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
72.それぞれの失恋
フレイヤたちはハルモニアと別れて森を出た。
森を出てすぐのところには、来た時に乗っていた馬車が停まっている。
御者はフレイヤたちを見ると、嬉しそうに微笑んで「おかえりなさいませ」と言ってくれるのだった。
森の中に長居していたようで、夜の始まりが近づくロードンの街は夕日の色に染まっている。
フレイヤは立ち止まって、その景色を見つめた。
幼い頃にハルモニアと遊んだ帰り道に見ていた、懐かしく楽しい思い出の詰まっていたはずの景色だ。
しかしハルモニアの告白を聞いた今この景色を見ると寂寥を感じてしまう。
彼とはもう、以前のような関係には戻れないという事実がフレイヤの心の中を鉛のような重さを伴って沈んでいく。
(いつから……私を好きになってくれたんだろう……)
想いがすれ違っていた状態のまま、よもや自分に恋心を抱いているとは思わず彼に義兄への想いを相談してしまっていたなんて。
いくらハルモニアの想いを知らなかったとはいえ、話を聞いていた彼はどう思っていたのだろうかと想像するだけで申し訳なく思う。
気落ちしているフレイヤの隣で、オルフェンが大きく伸びをした。
『はぁ~、ひと仕事終えて疲れたよ』
「何を言っているんだ。オルフェンはただついて来ただけではないか」
シルヴェリオはオルフェンの自己申告にピシャリと反論した。
『今まで小屋の中で研究ばかりしていた僕にとって、遠出したり長時間外にでていることは重労働なの。よって僕はちゃんと働いていたよ!』
「その理由で君が働いていたと納得できる人はそうそういないと思うぞ」
あまりにも滅茶苦茶なオルフェンの言い分に、シルヴェリオは呆れて溜息をつく。
仲の良い友人のような二人のやり取りにフレイヤはクスリと笑った。するとシルヴェリオがフレイヤの方に顔を向け――二人の視線がかち合う。
「――っ」
シルヴェリオが息を呑む気配がしたかと思うと、彼はスッと目を逸らしてしまう。その横顔はどことなく赤い。
笑ったから気を悪くしてしまっただろうかと、フレイヤは先ほど笑ったことを謝罪した。
しかしシルヴェリオは全く気にしていないというだけで、やはりフレイヤを見ようとしない。
するとフレイヤたちのもとに壮年の男性が駆け寄ってきた。
「フレイちゃん、大変だ!」
男はフレイヤの実家が営む薬草雑貨店の常連で、フレイヤが幼い頃からの顔見知りだ。
走ってここまで来たようで、肩で息をしている。
その様子にフレイヤは不吉な予感を感じ取り、無意識のうちに両手を胸の前で握る。
「な、なにがあったんですか?」
「さっきテミスちゃんが治癒院に運ばれたんだ。チェルソくんが真っ青になって付き添っていたよ。急いで治癒院へ行った方がいい」
フレイヤの目が大きく見開き、表情が強張る。
「お姉ちゃんが……治癒院に運ばれた?」
喉から絞り出したような震える声で聞き返した。
「ああ。チェルソくんが今にも泣きそうな顔でテミスちゃんを抱えて薬種商のフランコのところに来て、荷馬車で運んでほしいと頼んでいるところに居合わせたんだ。それで、チェルソくんからフレイちゃんにこのことを伝えてほしいと頼まれたんだよ」
そうして男はフレイヤが馬車に乗って森へ行くところを見かけたため、ここまで走って伝えに来てくれたのだ。
「お姉ちゃんがどうして運ばれたんですか? 三日前に手紙をもらった時には、病気のことなんてなにも書いていなかったのに……」
「それが、俺にもわからないんだ。昨日店に行った時は元気そうだったんだけど……さっきは真っ青な顔で痛みに耐えているように見えたよ」
「そんな……お姉ちゃんになにかあったら、私……」
フレイヤは両手で口元を覆う。それ以上は言葉を続けられなかった。
もしも最悪の事態が起きてテミスが死んでしまったらと想像してしまい、家族の喪失への恐怖心が込み上げて頭の中が真っ白になっていた。
祖父母も両親も亡くしたフレイヤにとって姉まで失うことが、ただただ怖くて仕方がなかった。
頭の中には次々と最悪な未来が過り、フレイヤは身を竦ませて立ち尽くす。
シルヴェリオはそんなフレイヤの肩を優しく叩いた。
「――事情はわかった。今からフレイさんを治癒院に送ろう。ちょうどうちの馬車がそこにある」
フレイヤの手を掬い上げるように手に取ると、馬車に乗るようエスコートする。
「ありとうございます……」
フレイヤは泣きそうな声で礼を言うと、馬車に乗り込んだ。
***
フレイヤたちを乗せた馬車はロードンの中央広場の近くにある治癒院にたどり着いた。
この治癒院では治癒師たちが働いており、怪我や病気になった人々を診てくれる。また経過観察が必要な場合は入院することができるようになっている。
治療費の何割かは領主が負担してくれるようになっており、他の領地より安い金額で治療してもらえるようになっている。
この仕組みを考案したのはヴェーラで、以降他の領地に住む領民の中には自分の住む場所もヴェーラに治めてもらいたいと言う者が現れるのだった。
フレイヤたちは近くにいた治癒師に事情を話すと、テミスがいる病室に通された。
姉が入院していると知ってフレイヤはさらに顔色が青くなった。
震える手で病室の扉を開けると、そこには寝台に横たわっているテミスと、彼女の手を握るチェルソの姿があった。
「フレイ! ここに来てくれたのね」
フレイヤを見るや否や、テミスは顔を輝かせる。愛する妹と話すべく起き上がろうとする彼女を、チェルソがやんわりと制した。
「テミス、無茶をするな。いくら治癒師に診てもらって回復してきているとはいえ、まだ起き上がってはいけない」
「なによ。最愛の妹と話をする時くらいなら大丈夫よ。それにフレイを抱きしめたいもの」
テミスはチェルソの注意に頬を膨らませて抗議したが、彼の言う通りにした。
「心配かけてごめんね。悪阻が酷くて蹲ってしまって、それでチェルソがここまで運んでくれたの。おかげで治癒魔法で少し楽になったわ」
「悪阻……」
フレイヤは呆然とした顔で小さく呟く。
テミスは微笑むと、頷いて自分の腹部を愛おしそうに撫でた。
「ええ、フレイの甥か姪ができたのよ」
「そう……だったんだね……」
「本当は夕食の時にフレイに伝えようと思っていたんだけど、こんな形で伝えることになってしまったわ。しばらくここで入院しないといけないそうなの。せっかく帰ってきてくれたのに、なにもできなくてごめんね。フレイの好きな料理を食べてもらいたかったのにな」
「ううん。気にしないで。お姉ちゃんの健康が一番だもん」
フレイヤはぶんぶんと首を横に振ると、寝台に歩み寄ってテミスの手を握った。
「本当に、良かった……。お大事にね」
「ええ、早く良くなって、次にフレイが帰省してくれる時には張り切って美味しい料理を作って待っているからね」
テミスはハッとして視線をシルヴェリオに移した。
「挨拶とお礼が遅くなって申し訳ございません。シルヴェリオ様、フレイに付き添ってくださりありがとうございました」
「フレイさんの上司として当然のことをしたまでだから気にしないでくれ。今は回復に専念するといい」
「お気遣いありがとうございます。――あら、シルヴェリオ様の隣の方は……?」
テミスはオルフェンを見て目を見開く。人離れした容姿の彼に驚いたらしい。
「お姉ちゃん、彼が手紙で話していた長命妖精のオルフェンだよ」
「そう、彼なのね。初めまして。フレイの姉のテミスよ。フレイをよろしくね」
『よろしく~。君はカリオにあまり似ていないんだね』
オルフェンはテミスにはさほど興味が無いようで、一瞥すると病室を観察するのだった。
「じゃあ私、オルフェンと一緒に家に帰るね。お姉ちゃんとチェルソお義兄ちゃんの荷造りをしておくよ。二人とも、しばらくここに滞在するでしょう? 店には臨時休業の張り紙を貼っておくし、仕入れ先の人たちに話しておくね」
「あら、チェルソは戻るでしょう?」
テミスがそう言うと、チェルソは捨てられた仔犬のようにしゅんとする。
「もう、お姉ちゃんったらそんなこと言わないの。チェルソお義兄ちゃんはお姉ちゃんのこと、とても心配しているんだよ。そばにいてもらおう?」
「フレイちゃん……ありがとう」
チェルソはじーんとした表情で、自分を擁護してくれるフレイヤに感謝した。
彼のその表情に、フレイヤはぎこちなく笑う。
「フレイ……本当にしっかり者で助かるわ。何からなにまでありとうね」
テミスもまたじーんとした表情でフレイヤに礼を言うのだった。
シルヴェリオは黙って、彼らの会話を見守っていた、
フレイヤがテミスやチェルソに向ける表情はどことなく彼らに遠慮しているように見えた。
その様子に、ハルモニアから聞かされたフレイヤの片想いの話がよみがえる。
シルヴェリオはチクリと胸に感じる痛みに、自身の失恋を改めて思い知らされた。
森を出てすぐのところには、来た時に乗っていた馬車が停まっている。
御者はフレイヤたちを見ると、嬉しそうに微笑んで「おかえりなさいませ」と言ってくれるのだった。
森の中に長居していたようで、夜の始まりが近づくロードンの街は夕日の色に染まっている。
フレイヤは立ち止まって、その景色を見つめた。
幼い頃にハルモニアと遊んだ帰り道に見ていた、懐かしく楽しい思い出の詰まっていたはずの景色だ。
しかしハルモニアの告白を聞いた今この景色を見ると寂寥を感じてしまう。
彼とはもう、以前のような関係には戻れないという事実がフレイヤの心の中を鉛のような重さを伴って沈んでいく。
(いつから……私を好きになってくれたんだろう……)
想いがすれ違っていた状態のまま、よもや自分に恋心を抱いているとは思わず彼に義兄への想いを相談してしまっていたなんて。
いくらハルモニアの想いを知らなかったとはいえ、話を聞いていた彼はどう思っていたのだろうかと想像するだけで申し訳なく思う。
気落ちしているフレイヤの隣で、オルフェンが大きく伸びをした。
『はぁ~、ひと仕事終えて疲れたよ』
「何を言っているんだ。オルフェンはただついて来ただけではないか」
シルヴェリオはオルフェンの自己申告にピシャリと反論した。
『今まで小屋の中で研究ばかりしていた僕にとって、遠出したり長時間外にでていることは重労働なの。よって僕はちゃんと働いていたよ!』
「その理由で君が働いていたと納得できる人はそうそういないと思うぞ」
あまりにも滅茶苦茶なオルフェンの言い分に、シルヴェリオは呆れて溜息をつく。
仲の良い友人のような二人のやり取りにフレイヤはクスリと笑った。するとシルヴェリオがフレイヤの方に顔を向け――二人の視線がかち合う。
「――っ」
シルヴェリオが息を呑む気配がしたかと思うと、彼はスッと目を逸らしてしまう。その横顔はどことなく赤い。
笑ったから気を悪くしてしまっただろうかと、フレイヤは先ほど笑ったことを謝罪した。
しかしシルヴェリオは全く気にしていないというだけで、やはりフレイヤを見ようとしない。
するとフレイヤたちのもとに壮年の男性が駆け寄ってきた。
「フレイちゃん、大変だ!」
男はフレイヤの実家が営む薬草雑貨店の常連で、フレイヤが幼い頃からの顔見知りだ。
走ってここまで来たようで、肩で息をしている。
その様子にフレイヤは不吉な予感を感じ取り、無意識のうちに両手を胸の前で握る。
「な、なにがあったんですか?」
「さっきテミスちゃんが治癒院に運ばれたんだ。チェルソくんが真っ青になって付き添っていたよ。急いで治癒院へ行った方がいい」
フレイヤの目が大きく見開き、表情が強張る。
「お姉ちゃんが……治癒院に運ばれた?」
喉から絞り出したような震える声で聞き返した。
「ああ。チェルソくんが今にも泣きそうな顔でテミスちゃんを抱えて薬種商のフランコのところに来て、荷馬車で運んでほしいと頼んでいるところに居合わせたんだ。それで、チェルソくんからフレイちゃんにこのことを伝えてほしいと頼まれたんだよ」
そうして男はフレイヤが馬車に乗って森へ行くところを見かけたため、ここまで走って伝えに来てくれたのだ。
「お姉ちゃんがどうして運ばれたんですか? 三日前に手紙をもらった時には、病気のことなんてなにも書いていなかったのに……」
「それが、俺にもわからないんだ。昨日店に行った時は元気そうだったんだけど……さっきは真っ青な顔で痛みに耐えているように見えたよ」
「そんな……お姉ちゃんになにかあったら、私……」
フレイヤは両手で口元を覆う。それ以上は言葉を続けられなかった。
もしも最悪の事態が起きてテミスが死んでしまったらと想像してしまい、家族の喪失への恐怖心が込み上げて頭の中が真っ白になっていた。
祖父母も両親も亡くしたフレイヤにとって姉まで失うことが、ただただ怖くて仕方がなかった。
頭の中には次々と最悪な未来が過り、フレイヤは身を竦ませて立ち尽くす。
シルヴェリオはそんなフレイヤの肩を優しく叩いた。
「――事情はわかった。今からフレイさんを治癒院に送ろう。ちょうどうちの馬車がそこにある」
フレイヤの手を掬い上げるように手に取ると、馬車に乗るようエスコートする。
「ありとうございます……」
フレイヤは泣きそうな声で礼を言うと、馬車に乗り込んだ。
***
フレイヤたちを乗せた馬車はロードンの中央広場の近くにある治癒院にたどり着いた。
この治癒院では治癒師たちが働いており、怪我や病気になった人々を診てくれる。また経過観察が必要な場合は入院することができるようになっている。
治療費の何割かは領主が負担してくれるようになっており、他の領地より安い金額で治療してもらえるようになっている。
この仕組みを考案したのはヴェーラで、以降他の領地に住む領民の中には自分の住む場所もヴェーラに治めてもらいたいと言う者が現れるのだった。
フレイヤたちは近くにいた治癒師に事情を話すと、テミスがいる病室に通された。
姉が入院していると知ってフレイヤはさらに顔色が青くなった。
震える手で病室の扉を開けると、そこには寝台に横たわっているテミスと、彼女の手を握るチェルソの姿があった。
「フレイ! ここに来てくれたのね」
フレイヤを見るや否や、テミスは顔を輝かせる。愛する妹と話すべく起き上がろうとする彼女を、チェルソがやんわりと制した。
「テミス、無茶をするな。いくら治癒師に診てもらって回復してきているとはいえ、まだ起き上がってはいけない」
「なによ。最愛の妹と話をする時くらいなら大丈夫よ。それにフレイを抱きしめたいもの」
テミスはチェルソの注意に頬を膨らませて抗議したが、彼の言う通りにした。
「心配かけてごめんね。悪阻が酷くて蹲ってしまって、それでチェルソがここまで運んでくれたの。おかげで治癒魔法で少し楽になったわ」
「悪阻……」
フレイヤは呆然とした顔で小さく呟く。
テミスは微笑むと、頷いて自分の腹部を愛おしそうに撫でた。
「ええ、フレイの甥か姪ができたのよ」
「そう……だったんだね……」
「本当は夕食の時にフレイに伝えようと思っていたんだけど、こんな形で伝えることになってしまったわ。しばらくここで入院しないといけないそうなの。せっかく帰ってきてくれたのに、なにもできなくてごめんね。フレイの好きな料理を食べてもらいたかったのにな」
「ううん。気にしないで。お姉ちゃんの健康が一番だもん」
フレイヤはぶんぶんと首を横に振ると、寝台に歩み寄ってテミスの手を握った。
「本当に、良かった……。お大事にね」
「ええ、早く良くなって、次にフレイが帰省してくれる時には張り切って美味しい料理を作って待っているからね」
テミスはハッとして視線をシルヴェリオに移した。
「挨拶とお礼が遅くなって申し訳ございません。シルヴェリオ様、フレイに付き添ってくださりありがとうございました」
「フレイさんの上司として当然のことをしたまでだから気にしないでくれ。今は回復に専念するといい」
「お気遣いありがとうございます。――あら、シルヴェリオ様の隣の方は……?」
テミスはオルフェンを見て目を見開く。人離れした容姿の彼に驚いたらしい。
「お姉ちゃん、彼が手紙で話していた長命妖精のオルフェンだよ」
「そう、彼なのね。初めまして。フレイの姉のテミスよ。フレイをよろしくね」
『よろしく~。君はカリオにあまり似ていないんだね』
オルフェンはテミスにはさほど興味が無いようで、一瞥すると病室を観察するのだった。
「じゃあ私、オルフェンと一緒に家に帰るね。お姉ちゃんとチェルソお義兄ちゃんの荷造りをしておくよ。二人とも、しばらくここに滞在するでしょう? 店には臨時休業の張り紙を貼っておくし、仕入れ先の人たちに話しておくね」
「あら、チェルソは戻るでしょう?」
テミスがそう言うと、チェルソは捨てられた仔犬のようにしゅんとする。
「もう、お姉ちゃんったらそんなこと言わないの。チェルソお義兄ちゃんはお姉ちゃんのこと、とても心配しているんだよ。そばにいてもらおう?」
「フレイちゃん……ありがとう」
チェルソはじーんとした表情で、自分を擁護してくれるフレイヤに感謝した。
彼のその表情に、フレイヤはぎこちなく笑う。
「フレイ……本当にしっかり者で助かるわ。何からなにまでありとうね」
テミスもまたじーんとした表情でフレイヤに礼を言うのだった。
シルヴェリオは黙って、彼らの会話を見守っていた、
フレイヤがテミスやチェルソに向ける表情はどことなく彼らに遠慮しているように見えた。
その様子に、ハルモニアから聞かされたフレイヤの片想いの話がよみがえる。
シルヴェリオはチクリと胸に感じる痛みに、自身の失恋を改めて思い知らされた。