追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
80.前イェレアス侯爵
アベラルドたちが騎士たちに連行されたことで、会場内は重い空気を孕む。
そんな中、宰相補佐は何事もなかったかのような澄ました顔でフレイヤの方を向いた。
「コルティノーヴィス香水工房のフレイヤ・ルアルディを優勝者とする。――ルアルディ殿は前に出てきてください」
名前を呼ばれ、フレイヤは緊張して身を固くする。
そんなフレイヤに、シルヴェリオは囁くような声でそっと話しかけた。
「気を張らなくていい。ただ国王陛下からトロフィーを受け取るだけだ」
「は、はい……!」
そうは言われても、平民にとって雲の上の存在である国王から畏れ多くも賜るのだから、どうしても気を張ってしまうものだ。
フレイヤは席を立って宰相補佐に歩み寄る。
国王が歩み寄り近づくにつれてフレイヤは緊張が高まる。
すっかり硬い表情になってしまったフレイヤに、国王は子を見守る父親のような柔らかな表情を浮かべた。
「此度も素晴らしい香りを調香してくれて感謝する。建国祭までに品の用意を頼む。そして建国祭当日にはぜひ出席して、貴殿の香水を手にした貴賓たちの反応を見たまえ」
「――っ、私には勿体ないお言葉と機会を頂戴しましたこと、感謝申し上げます」
国王は満足そうにうなずくと、横に控えていた宰相補佐から金色のトロフィーを受け取り、それをフレイヤに手渡した。
トロフィーはフレイヤの両手に納まるほどの大きさで、水晶花を持つ女神の小さな彫刻が台座の上に立っているといった意匠だ。
その台座には、『エイレーネ王族より栄誉ある調香師に贈る』と彫られている。
「改めて、優勝おめでとう」
国王が祝いの言葉を口にすると、会場内は割れんばかりの拍手と祝福の言葉に包まれた。
それから国王が競技会を締めくくる言葉を述べて王妃と共に会場を出ると、続いて王太子や王子たちも会場を出る。
その際にネストレはフレイヤに片目を瞑ってみせ、彼女を労った。
会場内にいた女性たちが美貌の王子が見せた魅惑的な仕草に黄色い声を上げたため、競技会は熱狂に包まれながら終わった。
王族が会場から出ると、次は貴族で最後に平民が会場を出ることになっていたが、貴族たちはすぐには会場を出ようとせず、フレイヤとシルヴェリオとオルフェンを取り囲む。
「私にも『日々を祝う』の香りを嗅がせてくれないか?」
「ぜひとも私のために調香してほしいわ。お願いできないかしら?」
「実は今度舞踏会を開く際に手土産として香水を贈りたくてな。ぜひコルティノーヴィス香水工房に用意してほしい」
シルヴェリオが一人一人に対応しているが、押し寄せる貴族の数が多くて埒が明かない。
そこにヴェーラが歩み寄り、両手を叩いて貴族たちの気を引く。
「皆様、コルティノーヴィス香水工房はまだ設立して間もないため我がコルティノーヴィス商団が注文を請け負っております。そのため個人的な注文はまず私を通してくださいませ。王都にある私の屋敷に便りを送っていただきましたら我が商団の団員が順番に対応いたします」
ヴェーラのおかげで人波が少し減ったが、まだフレイヤに話し掛けようとする貴族が残っているせいでフレイヤは一息つけない状態だ。
すると、コツコツ固いものが床を突く音が聞こえてきた。
その音を聞きつけた貴族がさっとフレイヤたちから離れ、両脇に避けて道を作る。開かれた道の先にいるのは前イェレアス侯爵だ。
「君たち、今日はもう帰りなさい。宰相と外務大臣がコルティノーヴィス卿とルアルディ殿を呼んでいる、建国祭に向けての打ち合わせをしたいようだ。建国祭まであとひと月だから、彼らの時間を奪うようなことはしないでくれたまえ」
彼の言葉に貴族たちは素直に従い、そそくさと会場を後にした。
「君たち、ついて来なさい。宰相と外務大臣が先に部屋に行って準備をしているから、私が君たちを部屋まで案内することになっている」
「……かしこまりました」
シルヴェリオはそう言うと、振り返ってフレイヤとオルフェンに目で合図を送る。
フレイヤは頷くと、オルフェンの手を引いてシルヴェリオと共に前イェレアス侯爵の後をついていった。
王宮の廊下に出ると、前イェレアス侯爵は前を向いたまま再び口を開いた。
「そう言えば、自己紹介がまだだったな。私は前イェレアス侯爵のロレンツォ・イェレアスだ」
「こちらこそ先に名乗るべきとこと、遅れて申し訳ありません。シルヴェリオ・コルティノーヴィスです」
「私も名乗りが遅れた無礼をお許しください。フレイヤ・ルアルディと申します」
エイレーネ王国では身分の低い者から名乗るのが通例だ。
いくら名乗れる状況ではなかったとはいえ、礼儀を欠いたのは間違いない。
しかしイェレアス侯爵は杖を持っていない方の手を後ろ手に振り、「気にしなくてよい」と言った。
「あんなにも群がられている状況では難しかったのだから仕方がない。それに私は以前、君たちに身分を偽って合っているからな。それでお互い様としよう」
前イェレアス侯爵の唐突な暴露に、フレイヤとシルヴェリオは息を呑んだ。
「――っ、やはりあなたは薬種商を名乗っていたロドルフォ殿だったのですね?」
シルヴェリオの問いに、前イェレアス侯爵はころころと楽しそうに笑う。
「いかにも。隠居生活の暇つぶしで平民ごっこをしているのだよ。このことは他言無用だぞ?」
フレイヤとシルヴェリオは神妙に返事をした。
もしもこの秘密を他人に漏らしたら、その日のうちにイェレアス侯爵家の手の者を送り込まれてこの世から跡形もなく消されてしまうだろう。
「それで、ルアルディ殿の隣にいる者は?」
前イェレアス侯爵が振り返り、金色の瞳でオルフェンを見遣る。
「オルフェンだ。フレイヤと繋がりを作ったから、彼女の家に間借りして生活している」
「ふむ……オルフェンか。なるほど、ネストレ殿下にかけられた呪いを解くために騎士団が探していた長命妖精だな」
オルフェンが騎士団を追い返した話を高位貴族である前イェレアス侯爵も聞いていたのだ。
不敬罪に問われないだろうかと、フレイヤは再び内心悲鳴を上げた。
「君たち長命妖精は気まぐれな性格だと聞いている。ルアルディ殿との繋がりを作ったのも単なる気まぐれなのか?」
なぜか、前イェレアス侯爵の黄金の瞳が鋭くなった。まるでフレイヤを傷つけたら許さないとでも言わんばかりに、オルフェンを視線で威圧している。
一方でオルフェンはムッとした表情で前イェレアス侯爵を睨み返した。
「確かにフレイヤと繋がりを作ったのは、フレイヤがカリオの孫だから話したいという気軽な理由だった。だけど……気まぐれで一緒にいるわけではない。僕は今度こそちゃんと友人と向き合いたいからフレイヤのそばにいる」
「……そうか、君はそのカリオと言う名の者と親しかったのか……。ならばカリオ殿の代わりにルアルディ殿を守りなさい」
「言われなくてもそうする」
オルフェンのつっけんどんな返事に、前イェレアス侯爵は顔を顰めるどころか表情を緩めた。
それから前イェレアス侯爵は、やたらオルフェンに彼の友人であるカリオについて聞きたがった。
オルフェンは自分の友人に興味を持ってもらえたことが嬉しかったのか、はしゃいだ様子でカリオとの思い出を語った。
そうしているうちに四人は大きな扉の前に辿り着いた。前イェレアス侯爵の話によると、この扉の先に宰相の執務室があるらしい。
「さて、私の役目はここまでだ。オルフェン、君と話せて楽しかったよ。今度会う時にまた話を聞かせてくれ」
「いいよ。その時は、カリオが書き残してくれたレシピも見せてあげる」
「ほっほっほっ。楽しみにしておるぞ。――そしてコルティノーヴィス卿とルアルディ殿、貴殿たちには今度こそ正式に香水の依頼させていただこう。王都にあるコルティノーヴィス伯爵家の屋敷に便りを送るから、よろしく頼む」
前イェレアス侯爵はそう言い残すと、踵を返してその場を去った。
「ぜひともよろしくお願いいたします」
「お待ちしております」
シルヴェリオとフレイヤは、前イェレアス侯爵の背に礼をとるのだった。
そんな中、宰相補佐は何事もなかったかのような澄ました顔でフレイヤの方を向いた。
「コルティノーヴィス香水工房のフレイヤ・ルアルディを優勝者とする。――ルアルディ殿は前に出てきてください」
名前を呼ばれ、フレイヤは緊張して身を固くする。
そんなフレイヤに、シルヴェリオは囁くような声でそっと話しかけた。
「気を張らなくていい。ただ国王陛下からトロフィーを受け取るだけだ」
「は、はい……!」
そうは言われても、平民にとって雲の上の存在である国王から畏れ多くも賜るのだから、どうしても気を張ってしまうものだ。
フレイヤは席を立って宰相補佐に歩み寄る。
国王が歩み寄り近づくにつれてフレイヤは緊張が高まる。
すっかり硬い表情になってしまったフレイヤに、国王は子を見守る父親のような柔らかな表情を浮かべた。
「此度も素晴らしい香りを調香してくれて感謝する。建国祭までに品の用意を頼む。そして建国祭当日にはぜひ出席して、貴殿の香水を手にした貴賓たちの反応を見たまえ」
「――っ、私には勿体ないお言葉と機会を頂戴しましたこと、感謝申し上げます」
国王は満足そうにうなずくと、横に控えていた宰相補佐から金色のトロフィーを受け取り、それをフレイヤに手渡した。
トロフィーはフレイヤの両手に納まるほどの大きさで、水晶花を持つ女神の小さな彫刻が台座の上に立っているといった意匠だ。
その台座には、『エイレーネ王族より栄誉ある調香師に贈る』と彫られている。
「改めて、優勝おめでとう」
国王が祝いの言葉を口にすると、会場内は割れんばかりの拍手と祝福の言葉に包まれた。
それから国王が競技会を締めくくる言葉を述べて王妃と共に会場を出ると、続いて王太子や王子たちも会場を出る。
その際にネストレはフレイヤに片目を瞑ってみせ、彼女を労った。
会場内にいた女性たちが美貌の王子が見せた魅惑的な仕草に黄色い声を上げたため、競技会は熱狂に包まれながら終わった。
王族が会場から出ると、次は貴族で最後に平民が会場を出ることになっていたが、貴族たちはすぐには会場を出ようとせず、フレイヤとシルヴェリオとオルフェンを取り囲む。
「私にも『日々を祝う』の香りを嗅がせてくれないか?」
「ぜひとも私のために調香してほしいわ。お願いできないかしら?」
「実は今度舞踏会を開く際に手土産として香水を贈りたくてな。ぜひコルティノーヴィス香水工房に用意してほしい」
シルヴェリオが一人一人に対応しているが、押し寄せる貴族の数が多くて埒が明かない。
そこにヴェーラが歩み寄り、両手を叩いて貴族たちの気を引く。
「皆様、コルティノーヴィス香水工房はまだ設立して間もないため我がコルティノーヴィス商団が注文を請け負っております。そのため個人的な注文はまず私を通してくださいませ。王都にある私の屋敷に便りを送っていただきましたら我が商団の団員が順番に対応いたします」
ヴェーラのおかげで人波が少し減ったが、まだフレイヤに話し掛けようとする貴族が残っているせいでフレイヤは一息つけない状態だ。
すると、コツコツ固いものが床を突く音が聞こえてきた。
その音を聞きつけた貴族がさっとフレイヤたちから離れ、両脇に避けて道を作る。開かれた道の先にいるのは前イェレアス侯爵だ。
「君たち、今日はもう帰りなさい。宰相と外務大臣がコルティノーヴィス卿とルアルディ殿を呼んでいる、建国祭に向けての打ち合わせをしたいようだ。建国祭まであとひと月だから、彼らの時間を奪うようなことはしないでくれたまえ」
彼の言葉に貴族たちは素直に従い、そそくさと会場を後にした。
「君たち、ついて来なさい。宰相と外務大臣が先に部屋に行って準備をしているから、私が君たちを部屋まで案内することになっている」
「……かしこまりました」
シルヴェリオはそう言うと、振り返ってフレイヤとオルフェンに目で合図を送る。
フレイヤは頷くと、オルフェンの手を引いてシルヴェリオと共に前イェレアス侯爵の後をついていった。
王宮の廊下に出ると、前イェレアス侯爵は前を向いたまま再び口を開いた。
「そう言えば、自己紹介がまだだったな。私は前イェレアス侯爵のロレンツォ・イェレアスだ」
「こちらこそ先に名乗るべきとこと、遅れて申し訳ありません。シルヴェリオ・コルティノーヴィスです」
「私も名乗りが遅れた無礼をお許しください。フレイヤ・ルアルディと申します」
エイレーネ王国では身分の低い者から名乗るのが通例だ。
いくら名乗れる状況ではなかったとはいえ、礼儀を欠いたのは間違いない。
しかしイェレアス侯爵は杖を持っていない方の手を後ろ手に振り、「気にしなくてよい」と言った。
「あんなにも群がられている状況では難しかったのだから仕方がない。それに私は以前、君たちに身分を偽って合っているからな。それでお互い様としよう」
前イェレアス侯爵の唐突な暴露に、フレイヤとシルヴェリオは息を呑んだ。
「――っ、やはりあなたは薬種商を名乗っていたロドルフォ殿だったのですね?」
シルヴェリオの問いに、前イェレアス侯爵はころころと楽しそうに笑う。
「いかにも。隠居生活の暇つぶしで平民ごっこをしているのだよ。このことは他言無用だぞ?」
フレイヤとシルヴェリオは神妙に返事をした。
もしもこの秘密を他人に漏らしたら、その日のうちにイェレアス侯爵家の手の者を送り込まれてこの世から跡形もなく消されてしまうだろう。
「それで、ルアルディ殿の隣にいる者は?」
前イェレアス侯爵が振り返り、金色の瞳でオルフェンを見遣る。
「オルフェンだ。フレイヤと繋がりを作ったから、彼女の家に間借りして生活している」
「ふむ……オルフェンか。なるほど、ネストレ殿下にかけられた呪いを解くために騎士団が探していた長命妖精だな」
オルフェンが騎士団を追い返した話を高位貴族である前イェレアス侯爵も聞いていたのだ。
不敬罪に問われないだろうかと、フレイヤは再び内心悲鳴を上げた。
「君たち長命妖精は気まぐれな性格だと聞いている。ルアルディ殿との繋がりを作ったのも単なる気まぐれなのか?」
なぜか、前イェレアス侯爵の黄金の瞳が鋭くなった。まるでフレイヤを傷つけたら許さないとでも言わんばかりに、オルフェンを視線で威圧している。
一方でオルフェンはムッとした表情で前イェレアス侯爵を睨み返した。
「確かにフレイヤと繋がりを作ったのは、フレイヤがカリオの孫だから話したいという気軽な理由だった。だけど……気まぐれで一緒にいるわけではない。僕は今度こそちゃんと友人と向き合いたいからフレイヤのそばにいる」
「……そうか、君はそのカリオと言う名の者と親しかったのか……。ならばカリオ殿の代わりにルアルディ殿を守りなさい」
「言われなくてもそうする」
オルフェンのつっけんどんな返事に、前イェレアス侯爵は顔を顰めるどころか表情を緩めた。
それから前イェレアス侯爵は、やたらオルフェンに彼の友人であるカリオについて聞きたがった。
オルフェンは自分の友人に興味を持ってもらえたことが嬉しかったのか、はしゃいだ様子でカリオとの思い出を語った。
そうしているうちに四人は大きな扉の前に辿り着いた。前イェレアス侯爵の話によると、この扉の先に宰相の執務室があるらしい。
「さて、私の役目はここまでだ。オルフェン、君と話せて楽しかったよ。今度会う時にまた話を聞かせてくれ」
「いいよ。その時は、カリオが書き残してくれたレシピも見せてあげる」
「ほっほっほっ。楽しみにしておるぞ。――そしてコルティノーヴィス卿とルアルディ殿、貴殿たちには今度こそ正式に香水の依頼させていただこう。王都にあるコルティノーヴィス伯爵家の屋敷に便りを送るから、よろしく頼む」
前イェレアス侯爵はそう言い残すと、踵を返してその場を去った。
「ぜひともよろしくお願いいたします」
「お待ちしております」
シルヴェリオとフレイヤは、前イェレアス侯爵の背に礼をとるのだった。