追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

81.二度目のすれ違い

※宰相の私室→執務室に修正しました。 


 
 宰相の執務室は薄く植物の意匠が描かれた白い壁紙と落ち着いた深い青色の絨毯のコントラストが美しく、重厚感のある部屋だ。
 フレイヤはネストレの私室に入った時と同じように緊張した状態で部屋の中に入った。
 
 室内には宰相と外務大臣の他に、宰相補佐官もいる。
 
「改めて、この度は優勝おめでとう。早速だが、今後の打ち合わせを始めよう」

 多忙な宰相はそう言うとフレイヤとシルヴェリオとオルフェンに、来客用に用意されている長椅子に座るよう促す。
 その差し向かいの長椅子に宰相と財務大臣が座り、宰相補佐官は少し離れた場所にある椅子に腰かける。手には手帳とペンを持っており、打合せの内容を記録する書記係を務めることになっている。

 全員が席に着くと、王城の使用人がテーブルの上に紅茶を置いてくれた。

 フレイヤはくんくんと鼻を動かして芳しい香りを嗅ぐ。

 その様子を見たオルフェンもティーカップを鼻の近くに近づけて香りを嗅いだ。

「いい香りだね~。王宮で出される紅茶だから高級品を使っているんだろうね」
「そうだね。今まで飲んだ紅茶とは格段に香りが違うと思う」
 
(この茶葉は花のような香りもするけど……何の花をブレンドしているのかな? この香りの香水ができたら女性に売れそう)

 フレイヤは手に持っていた手帳に香りの印象を書き留める。
 明日にでもこの香りを再現してみようと、うきうきとした気持ちでページを捲った。
 
「まずは香水の納期だが、一カ月後に開催される建国祭の一週間前までに先ほどいた大広間に納品してくれ数量は百本だ。各国の王族や彼らに同行した外交官などにも配る」
「一週間前……ですか。生憎今は香水を作れる調香師がルアルディ殿しかいないため、三日前にしていただけませんか?」

 宰相からの要望に、シルヴェリオは渋い顔をして納期調整の交渉をし始めた。

「むう……三日前か」
「その方が保管場所にも困らないでしょう。大広間の飾りつけをする際に納品した大量の香水があると、使用人たちがそれを移動させながら作業しなければならないから手間になるはずです」
 
 二人のやり取りを聞いたフレイヤは内心狼狽えた。なぜならカルディナーレ香水工房で働いていた頃は、お客様が提示した納期は絶対に厳守しなければならなかったのだ。
 そのために寝食を削って香水を作ったこともあり、フレイヤにとってそうすることが調香師の当たり前なのだと刷り込まれている。
 
 だから納期を後ろ倒しにしようとしているシルヴェリオを止めなければと、慌てて彼に声をかける。
 
「シルヴェリオ様、私なら大丈夫です。カルディナーレ香水工房でも大量注文があった時に一人で作った経験がありますから――」
「ダメだ。それはその時偶然なんとかなっただけで、その経験を基準にしてはならない」

 シルヴェリオはフレイヤの言葉を遮るように言い放つ。

「香水はただ精油を混ぜ合わせてできるものではないだろう? 百本全部が同じ香りになるよう綿密な調整が必要なはずだ。それにもしも君が病に罹ったらどうなる? 無理が祟れば仕事どころではなくなるだろう。それに生産性が落ちるうえに、病が他者に感染する可能性がある場合は工房への出勤を止めなければならない。だから余裕をもった計画を立てて生産するべきだ」
 
 淡々と告げられた言葉はもっともなことばかりで、なにも間違っていない。それにフレイヤを気遣って言ってくれていることもわかっている。

(だけど、せっかくの依頼なのにお客様の希望通りにしなければ、不興を買ってしまうはず……そうなると、工房の印象が悪くなってしまうのに……)

 これまでの経験とシルヴェリオの正論の板挟みになり、フレイヤはどうしたらいいのかわからず、力なく俯いた。
 
 するとこれまで黙って成り行きを見守っていた外務大臣が口を開いた。

「コルティノーヴィス卿の言う通りですよ。早く納品してもらったら大広間を飾り付ける使用人たちを困らせてしまうでしょう。使用人たちは他にも仕事があるのですから、彼らが効率よく動けるようこちらが筋書きを用意してあげなければなりません」
「……そうだな。たしかに毎年、侍女長から納品を遅らせられないかと文句を言われているから、そろそろそれに応えてやらないとここまで乗り込んできそうだ」

 宰相は侍女長が昨年文句を言いに来た時の剣幕を思い出したのか、げんなりとした表情になった。

 どうやら重鎮である宰相が顔色を窺うほど、王宮の侍女長は強者であるらしい。

「では、納期は建国祭の三日前としよう。その日には必ず納品してくれ」
「かしこまりました」

 シルヴェリオが何気なく返事をする隣で、フレイヤは納期調整が受け入れられたことに驚いて目を見開く。

 そんなフレイヤに、外務大臣は優しく微笑む。
 
「相手の希望に応えることは確かに大切だけど、交渉することも同じくらい大切なのだよ。自分を大切にしなさい」
「はい……気をつけます」
 
 それから話は、香水のガラス瓶や、梱包する箱やリボンへと移る。
 それぞれのデザインにはエイレーネ王国の紋章やエイレーネ王国を象徴する色を用いらなければならない。また、デザインや見本を宰相に提出しなければならないと説明を受けた。

「ガラス瓶や梱包についてはコルティノーヴィス商団を通して用意します。ちなみに予算はどれくらいでしょうか?」
「言い値で買いなさい、と国王陛下から言付かっている。納品後速やかに請求書を送ってくれ」
「言い値でとは……」

 てっきり予算があるものだと思っていたシルヴェリオも呆気にとられた表情になったが、すぐにいつもの不愛想な表情に戻る。

 魔導士団では遠征に必要な備品の購入を予算内に収めるために経理担当者が頭を抱えているというのに、貴賓への贈り物には予算がないなんて、と内心溜息をつく。
 
 他国の王族や要人に贈るのであればそれなりに見栄を張らなければならないという事情はわかっているが、前線に出て魔物と戦っている身としてはいささか煮え切らないものがある。
 
「かしこまりました。納品後に請求書をお送りします」

 打ち合わせが終わり、フレイヤとシルヴェリオとオルフェンは部屋を出た。

 シルヴェリオが前を歩き、その後ろをフレイヤとオルソンが歩く。
 やや俯きがちで歩いていたフレイヤは、急にシルヴェリオが立ち止まったため彼の背中にぶつかってしまった。「ぶっ」と、フレイヤの口から間の抜けた声が零れる。

「す、すみません……!」
「いや、俺の方こそいきなり立ち止まって悪かった。大丈夫か?」

 シルヴェリオは申し訳なさそうにフレイヤの顔を覗きこんだ。
 
 フレイヤが答える前に、オルフェンが「急に立ち止まらないでよね~」と文句を言う。

「軽くぶつかっただけですので大丈夫です」
 
 なんともないのだと示すように笑って見せるフレイヤに、シルヴェリオは更に眉尻を下げた。

「――さっきはすまなかった」

 そして、謝罪の言葉を口にするのだった。
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