追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
82.謝罪と譲歩
「――さっきはすまなかった」
シルヴェリオからの謝罪に、フレイヤは目を瞬かせる。
「き、急に謝るなんて、どうしたのですか? シルヴェリオ様はなにも悪いことをしていないのに……」
「君が頑張って提示された納期通りに香水を作ろうとしたことを止めただろう。あの時、また君の気持ちを否定してしまったではないか」
その一言で、フレイヤは納期について話していた時のことかと合点した。
確かにシルヴェリオはフレイヤの気持ちを否定し、自分の主張を押し通した。しかしそれはフレイヤを想ってのことだったうえに、正論だったのだ。
それに結果として、シルヴェリオが交渉したことでフレイヤの仕事の負担は軽減された。むしろ自分が礼を言うべきなのではないかと思う。
すると話を聞いていたオルフェンが腕を組んで、シルヴェリオを睨んだ。
『ねぇ、シルヴェリオ。またフレイヤの気持ちを否定したって、どういうこと? 前にも同じようなことをしたの?』
「……ああ」
シルヴェリオは苦虫を嚙みつぶしたような顔になる。
「実はパルミロから注意されて知ったんだ。火の死霊竜に祈りを捧げに行った帰りに、君の気持ちを踏みにじるようなことを言って君を落ち込ませてしまったのだと……」
「そ、それは……」
フレイヤは言いよどんだ。
まさかパルミロに話した愚痴がシルヴェリオの耳に届くとは思ってもみなかった。
貴族で上司のシルヴェリオは、平民で部下であるフレイヤが自分の悪口を言っていたことを知って気分を害したのではないか。
その不安がフレイヤの心の中を支配する。
シルヴェリオの顔を恐る恐る見ると、彼は機嫌が悪そうというよりも申し訳なさそうな顔をしているではないか。
「俺は君を傷つけるつもりはなかった。ただ……君は他人のために自分の身を削りそうだから、俺が止めておかなければならないと思って言っていたんだ。しかし俺は言い方が悪いとパルミロに言われてしまったよ。これから気を付ける」
「……っ、シルヴェリオ様が謝る必要はありません。それに私は……まだまだ至らない点が多いから、人より頑張らないといけないのです」
「誰にそう言われた?」
「……カルディナーレ香水工房の工房長だったカルディナーレさんや、先輩たちに……」
「従業員たちが便乗して君を貶していたのか。……廃業になって良かった」
シルヴェリオの眉間に深い皺が刻まれる。深い青色の目の中には、怒りの炎が静かに渦巻いている。
「彼らの言葉は忘れてくれ。君は悪意ある言葉に惑わされていただけだ」
「ですが……」
「君に本当に至らない点が多いなら、今回の競技会では優勝できなかっただろう。それ以前に、競技会に参加できなかったはずだ。なんせ君が参加できたのは王妃殿下の推薦だからな。王妃殿下の評価を否定するつもりか?」
「い、いえ! そのようなつもりはございません!」
フレイヤは慌てて首を横に振った。
王妃殿下――王族の考えを否定するなんて、そんな畏れ多い事はできない。
「君の力を求めている人がたくさんいるはずだ。その中には、君でないと成し得ないことがあるだろう。君にはそのことに注力してほしい。これからは大量注文の仕事もたくさん依頼がくるだろうから、調香師を何人か雇って君の負担を減らすつもりだ。だから無理はしないでくれ」
「お気遣いありがとうございます。ですが……」
フレイヤは躊躇いがちに言葉を切った。
シルヴェリオはアベラルドと違って、フレイヤのためを思って注意をしてくれるし、具体的に対策を考えてくれている。
彼の考えは正しいし、気遣いには感謝しかない。
しかしフレイヤにだって調香師としての矜持がある。自身が所属する香水工房のために、できる限りの努力をしたい。
「無理をしてでも成し遂げたいことがあるときは、無理をさせていただけませんか?」
「……」
シルヴェリオは逡巡したが、「いいだろう」と弱々しく了承した。
「その代わり、自分だけでやり遂げようとするのではなく周りを頼ると約束してほしい。それなら俺も譲歩できる。しかし、本当に危険だと判断した時は止めるつもりだ」
「はい、必ずシルヴェリオ様やレンゾさんに相談して進めていきます!」
元気よく返事をするフレイヤに、シルヴェリオは眉尻を下げながらも柔らかく微笑んだ。
その眼差しはどこか甘さがあり、いつもの彼らしくない表情にフレイヤは少しどぎまぎする。
「ところで、今夜は空いているだろうか? パルミロに店を貸し切らせてくれと頼んでいるから、レンゾさんも誘ってみんなで優勝を祝いたいのだが……」
シルヴェリオの誘いに、フレイヤとオルフェンはパッと目を輝かせる。
「私は空いています! 工房に戻ったらレンゾさんを誘いますね!」
『僕も空いているよ~!』
急な誘いだったが二人とも乗り気な反応だったため、シルヴェリオは密かに安堵した。
普段は自分から祝賀会を開催することのなかったシルヴェリオにとって、なかなか勇気のいる誘いだったのだ。
「それでは今夜、<気ままな妖精猫亭>に集合だ。俺は今から魔導士団に顔を出すから、二人はうちの馬車で工房に戻っていてほしい」
『わ~、魔導士は大忙しだね~』
「……このところ、建国祭の準備で忙しくてな」
シルヴェリオの表情が、あっという間に固くなった。
『ええっ? 魔導士も飾りつけをするの?』
「そんなわけないだろう。俺たちは警備関係の仕事を任されているんだよ。当日は騎士たちに任せるが、彼らの補助となる魔法を付与していくんだ。……これ以上は国家機密だから、この話は終わりだ」
そう言い、シルヴェリオは再び歩みを進める。
コルティノーヴィス家の馬車を見つけると、フレイヤをエスコートして乗せた。
「それでは、シルヴェリオ様。また後で」
「ああ、<気ままな妖精猫亭>で落ち合おう」
シルヴェリオが御者に声をかけると、馬車が動き出した。
フレイヤは窓からシルヴェリオに向かって会釈すると、視線を前に向ける。
(なんだかシルヴェリオ様の表情、とても不安そうだったけど……大丈夫なのかな?)
不安になったフレイヤはもう一度窓から外を見る。するとシルヴェリオと視線がかち合った。
てっきりシルヴェリオはもう立ち去ったとばかり思っていたフレイヤは盛大に慌てた。どうしたらいいのかわからず、ひとまずシルヴェリオに手を振った。
(ううっ、どうしよう……。私のせいでシルヴェリオ様を引き留めてしまっているよ……)
シルヴェリオは立ち止まり、目を見開いてフレイヤを見ているのだ。
彼もまさかフレイヤが振り返って自分を見ているとは思わなかったのだろう。
シルヴェリオはぎこちない動きで片手を動かすと、フレイヤに手を振り返す。そしてどこか照れくさそうに微笑みを浮かべた。
(えっ、手を振り返してくれた……?!)
またもや予想外の反応に驚かされる。そしてちょっと照れくさい。
シルヴェリオの姿が見えなくなるまで手を振り続ける中、フレイヤの胸の中で、小さく軋む音がするのだった。
シルヴェリオからの謝罪に、フレイヤは目を瞬かせる。
「き、急に謝るなんて、どうしたのですか? シルヴェリオ様はなにも悪いことをしていないのに……」
「君が頑張って提示された納期通りに香水を作ろうとしたことを止めただろう。あの時、また君の気持ちを否定してしまったではないか」
その一言で、フレイヤは納期について話していた時のことかと合点した。
確かにシルヴェリオはフレイヤの気持ちを否定し、自分の主張を押し通した。しかしそれはフレイヤを想ってのことだったうえに、正論だったのだ。
それに結果として、シルヴェリオが交渉したことでフレイヤの仕事の負担は軽減された。むしろ自分が礼を言うべきなのではないかと思う。
すると話を聞いていたオルフェンが腕を組んで、シルヴェリオを睨んだ。
『ねぇ、シルヴェリオ。またフレイヤの気持ちを否定したって、どういうこと? 前にも同じようなことをしたの?』
「……ああ」
シルヴェリオは苦虫を嚙みつぶしたような顔になる。
「実はパルミロから注意されて知ったんだ。火の死霊竜に祈りを捧げに行った帰りに、君の気持ちを踏みにじるようなことを言って君を落ち込ませてしまったのだと……」
「そ、それは……」
フレイヤは言いよどんだ。
まさかパルミロに話した愚痴がシルヴェリオの耳に届くとは思ってもみなかった。
貴族で上司のシルヴェリオは、平民で部下であるフレイヤが自分の悪口を言っていたことを知って気分を害したのではないか。
その不安がフレイヤの心の中を支配する。
シルヴェリオの顔を恐る恐る見ると、彼は機嫌が悪そうというよりも申し訳なさそうな顔をしているではないか。
「俺は君を傷つけるつもりはなかった。ただ……君は他人のために自分の身を削りそうだから、俺が止めておかなければならないと思って言っていたんだ。しかし俺は言い方が悪いとパルミロに言われてしまったよ。これから気を付ける」
「……っ、シルヴェリオ様が謝る必要はありません。それに私は……まだまだ至らない点が多いから、人より頑張らないといけないのです」
「誰にそう言われた?」
「……カルディナーレ香水工房の工房長だったカルディナーレさんや、先輩たちに……」
「従業員たちが便乗して君を貶していたのか。……廃業になって良かった」
シルヴェリオの眉間に深い皺が刻まれる。深い青色の目の中には、怒りの炎が静かに渦巻いている。
「彼らの言葉は忘れてくれ。君は悪意ある言葉に惑わされていただけだ」
「ですが……」
「君に本当に至らない点が多いなら、今回の競技会では優勝できなかっただろう。それ以前に、競技会に参加できなかったはずだ。なんせ君が参加できたのは王妃殿下の推薦だからな。王妃殿下の評価を否定するつもりか?」
「い、いえ! そのようなつもりはございません!」
フレイヤは慌てて首を横に振った。
王妃殿下――王族の考えを否定するなんて、そんな畏れ多い事はできない。
「君の力を求めている人がたくさんいるはずだ。その中には、君でないと成し得ないことがあるだろう。君にはそのことに注力してほしい。これからは大量注文の仕事もたくさん依頼がくるだろうから、調香師を何人か雇って君の負担を減らすつもりだ。だから無理はしないでくれ」
「お気遣いありがとうございます。ですが……」
フレイヤは躊躇いがちに言葉を切った。
シルヴェリオはアベラルドと違って、フレイヤのためを思って注意をしてくれるし、具体的に対策を考えてくれている。
彼の考えは正しいし、気遣いには感謝しかない。
しかしフレイヤにだって調香師としての矜持がある。自身が所属する香水工房のために、できる限りの努力をしたい。
「無理をしてでも成し遂げたいことがあるときは、無理をさせていただけませんか?」
「……」
シルヴェリオは逡巡したが、「いいだろう」と弱々しく了承した。
「その代わり、自分だけでやり遂げようとするのではなく周りを頼ると約束してほしい。それなら俺も譲歩できる。しかし、本当に危険だと判断した時は止めるつもりだ」
「はい、必ずシルヴェリオ様やレンゾさんに相談して進めていきます!」
元気よく返事をするフレイヤに、シルヴェリオは眉尻を下げながらも柔らかく微笑んだ。
その眼差しはどこか甘さがあり、いつもの彼らしくない表情にフレイヤは少しどぎまぎする。
「ところで、今夜は空いているだろうか? パルミロに店を貸し切らせてくれと頼んでいるから、レンゾさんも誘ってみんなで優勝を祝いたいのだが……」
シルヴェリオの誘いに、フレイヤとオルフェンはパッと目を輝かせる。
「私は空いています! 工房に戻ったらレンゾさんを誘いますね!」
『僕も空いているよ~!』
急な誘いだったが二人とも乗り気な反応だったため、シルヴェリオは密かに安堵した。
普段は自分から祝賀会を開催することのなかったシルヴェリオにとって、なかなか勇気のいる誘いだったのだ。
「それでは今夜、<気ままな妖精猫亭>に集合だ。俺は今から魔導士団に顔を出すから、二人はうちの馬車で工房に戻っていてほしい」
『わ~、魔導士は大忙しだね~』
「……このところ、建国祭の準備で忙しくてな」
シルヴェリオの表情が、あっという間に固くなった。
『ええっ? 魔導士も飾りつけをするの?』
「そんなわけないだろう。俺たちは警備関係の仕事を任されているんだよ。当日は騎士たちに任せるが、彼らの補助となる魔法を付与していくんだ。……これ以上は国家機密だから、この話は終わりだ」
そう言い、シルヴェリオは再び歩みを進める。
コルティノーヴィス家の馬車を見つけると、フレイヤをエスコートして乗せた。
「それでは、シルヴェリオ様。また後で」
「ああ、<気ままな妖精猫亭>で落ち合おう」
シルヴェリオが御者に声をかけると、馬車が動き出した。
フレイヤは窓からシルヴェリオに向かって会釈すると、視線を前に向ける。
(なんだかシルヴェリオ様の表情、とても不安そうだったけど……大丈夫なのかな?)
不安になったフレイヤはもう一度窓から外を見る。するとシルヴェリオと視線がかち合った。
てっきりシルヴェリオはもう立ち去ったとばかり思っていたフレイヤは盛大に慌てた。どうしたらいいのかわからず、ひとまずシルヴェリオに手を振った。
(ううっ、どうしよう……。私のせいでシルヴェリオ様を引き留めてしまっているよ……)
シルヴェリオは立ち止まり、目を見開いてフレイヤを見ているのだ。
彼もまさかフレイヤが振り返って自分を見ているとは思わなかったのだろう。
シルヴェリオはぎこちない動きで片手を動かすと、フレイヤに手を振り返す。そしてどこか照れくさそうに微笑みを浮かべた。
(えっ、手を振り返してくれた……?!)
またもや予想外の反応に驚かされる。そしてちょっと照れくさい。
シルヴェリオの姿が見えなくなるまで手を振り続ける中、フレイヤの胸の中で、小さく軋む音がするのだった。