追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

86.ガラス工房の娘

「お前の姉なんて知らねぇよ!」

 床の上に倒れていた先輩調香師が頬を抑えながら怒鳴る。
 
 一方でフレイヤは、おずおずと少女に話しかけた。

「あの、あなたのお姉さんってもしかして、アレッシア・サヴィーニさんでしょうか?」

 アレッシア・サヴィーニはかつてカルディナーレ香水工房で働いていたフレイヤの同期で、アベラルドや今ここにいる先輩調香師に目をつけられ、何癖をつけられた挙句にクビにされた調香師のうちの一人だ。
 頭の後ろで一つにまとめた栗色の髪に、目尻が少し上がっていて気が強そうな水色の目の女性で、はっきりとした物言いで芯の強い人だという印象がある。

 どうやらフレイヤの予想は当たったようで、少女はパッと顔を輝かせて頷く。

「ええ、そうです。姉を覚えていてくださったのですね! あら、そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私はジョイア・サヴィーニ。そこにいる父のグイリオ・サヴィーニのもとでガラス職人として修業を積んでおります。本日は香水瓶のデザイン画と見本を持ってきたのですが――木っ端微塵になってしまいましたね」

 ジョイアはそろりと手に持っているトランクに視線を移す。彼女が少しトランクを振るだけで、中からガシャガシャとガラスの破片がぶつかる音が聞こえてきた。
 
 果たして中に入っている物は形を保っているのだろうか。
 その場にいる誰もがそう思うのだった。
 
 一連の出来事を茫然と見守っていたグイリオが、「大馬鹿者!」と叱責する。
 
「これからお客様にお見せする見本を壊してどうするんだ! お前の怪力はガラス工芸品を作るときにだけ発揮しろと言っているだろう!」
「だって、あの男はどう見てもお姉さまから聞いた『自分より優秀な後輩の足を引っ張る底辺の人間』ですよ! ルアルディさんに酷いことを言っていたから間違いないわ!」
 
 ジョイアがそう言って指差した先、倒れていたはずの先輩調香師は、起き上がってそろりと逃げ出そうとしている所だった。

「おい、どこへ行くつもりだ」

 声に怒りを滲ませたレンゾがまた羽交い絞めして拘束すると、先輩調香師は「ひいっ!」と情けない声を上げる。

「レンゾさん、そのまま取り押さえていてくれ。工房に入る前に警備隊を呼んでおいたからじきに来るだろう。打合せの邪魔だからすぐに連行させる」

 シルヴェリオによると、フレイヤが先輩調香師に毅然と言い返す声が聞こえ、先輩調香師がフレイヤを怒らせるような無礼な振舞いをしたのだろうと察して先に魔法で警備隊に通報したらしい。
 
「大切な従業員たちを侮辱し、仕事の邪魔をした罪を償ってもらう」

 シルヴェリオは先輩調香師に淡々と宣告したが、その目は鋭く、絶対に許すつもりはないと物語っている。
 
 その後、到着した警備隊による事情聴取あが行われ、先輩調香師は営業妨害した罪でそのまま連行されたのだった。
 
     ***

 フレイヤとシルヴェリオはジョイアとグイリオを応接室に通した。

 グイリオは席に着くと、フレイヤとシルヴェリオに礼を述べる。
 
「改めて、この度は王族に納品する香水に使用する瓶の制作に我がサヴィーニガラス工房をご指名いただきありがとうございます。コルティノーヴィス伯爵を通じてお話をいただいたときは従業員全員で祝杯を上げました」
 
 サヴィーニガラス工房はヴェーラが保有するコルティノーヴィス商団と付き合いのある工房で、ヴェーラから紹介された工房のうちの一つだ。
 
 今回は短納期のためフレイヤは仮の容器に香水を入れており、ガラス瓶が納品され次第、シルヴェリオの魔法で香水を空気に触れさせることなく瓶を入れ替える手筈になっている。
 
 グイリオの祖父の代から始まった歴史は浅い工房だが、装飾を凝らしたガラス工芸品の製作に長けており、ヴェーラの目に留まったそうだ。
 おまけに工房が広く従業員が多いため、今回の短納期に合わせて香水瓶を早く作れるらしい。
 
 一日でも早く香水瓶が必要なため、フレイヤとシルヴェリオは紹介してもらったその日のうちにヴェーラを通してグイリオに連絡した。
 
 グイリオたちガラス職人にとって王族に納品する香水の瓶を作るという依頼は思ってもみなかった大仕事だ。
 そのためグイリオはすぐに了承してこうして商談に来てくれたのだった。
 
「それではさっそく、お持ちしたデザイン画をご覧ください。見本は壊れてしまったので、一度帰ってから改めてお持ちします」
 
 グイリオがジョイアに目配せすると、ジョイアはトランクから三枚のデザイン画を取り出してテーブルの上に広げる。

 どの香水瓶にもエイレーネ王国を象徴する、天空を彷彿とさせる澄んだ青色が用いられている。
 
 香水瓶の形やエイレーネ王国の紋章――女神の竪琴とその上にとまる不死鳥、竪琴の下に咲く水晶花のあしらい方はそれぞれ異なっている。
 
 一つ目のデザインは縦長の雫型ですりガラスのように霞がかった表面になっており、エイレーネ王国の紋章は彫金で作ったものを表面に貼り付ける。

 二つ目のデザインは角ばった形で、全体的に四角のシルエットだが左右になだらかな段差をつけて変化をつけている。
 エイレーネ王国の紋章はカッティングであしらわれるらしい。

 ガラス職人の力を存分に発揮できるデザインだ。おまけに老若男女問わず持ちやすそうで、貴賓に渡す香水にピッタリだともフレイヤが思う。

 三つ目のデザインはカッティングされた水晶のような形をしており、その先端は細く、机や鏡台の上に置けなさそうだ。
 しかし瓶の入り口付近にぐるりとかかる金属の装飾にチェーンが付いており、そのチェーンを壁にかけて飾ったり、手に持って持ち歩ける仕様になっている。
 
 こちらもエイレーネ王国の紋章は彫金で表現したものをガラス瓶に合わせる仕様になっている。
 アクセサリー感覚で持ち歩けそうで、貴婦人が好みそうなデザインだ。
 
 フレイヤは三つのデザインを眺め、感嘆の息をついた。

「三つとも素敵なデザインですね。今回は貴賓の方々に渡すので、二つ目のデザインのような老若男女問わず使えそうなデザインが良さそうだと思いますが、宰相に提出して決まったデザインを伝えますね」
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。結果を教えていただいたら、すぐに生産に取り掛かります」
 
 シルヴェリオ様もデザイン画に目を通したが、何も言わなかった。
 同席しているのはあくまで商談だからであって、デザインの決定はフレイヤに任せているのだ。そのため意見しないと決めている。
 
 こうして打合せはあっさりと終わった。
 帰る準備をするジョイアとグイリオに、フレイヤは躊躇いがちに声をかける。

「アレッシアさんはお元気でしょうか?」
「ええ、今はうちの工房で下働きをしていますよ。職人を始めるにしては遅いですが、もう調香師にはなれませんからね……」

 答えたのはグイリオだった。
 寂しげに微笑む彼の表情が、カルディナーレ香水工房をクビにされた後のアレッシアの苦労を物語っている。

「そう……ですね。アレッシアさんは魔法のように香りを再現するのが得意な調香師だったのに……」

 フレイヤはそっと目を伏せた。
 
 彼女のことはあまりよく知らないが、彼女の作る香りのことは知っている。
 情景を想像させる緻密な調香を得意とする素晴らしい調香師として、平民の客の間で人気になり、貴族の客にも注目されていたのだ。

 しかし注目されたことでアベラルドの顰蹙を買い、クビにされた。
 アベラルドの傲慢さの犠牲となってその才能を活かす機会を失うのは、あまりにも惜しい。
 
 フレイヤは俯く顔を上げて、シルヴェリオを見る。
 
「シルヴェリオ様、相談があります」
「どうした?」
 
 問いかけるシルヴェリオの口元は、微かに微笑みを浮かべている。
 まるで、すでにフレイヤの相談内容がわかっており、それを承諾するつもりでいるような、そんな微笑みだ。

「もし許していただけるのであれば、アレッシアさんを引き抜きしてもよろしいでしょうか?」

 フレイヤの申し出に、シルヴェリオは「好きにして構わない」と答えて頷くのだった。
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