追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
90.騎士団の本部
騎士団の本部には、王宮を出て王宮の敷地内を十分ほど歩いて辿り着いた。
以前、火の死霊竜に祈りを捧げるために出立する前に立ち寄った魔導士団の本部――黒の魔塔とは正反対の位置にある。
無骨さを感じる石造りの建物が並んでいる一角は全て騎士団の施設だ。
そこには騎士団の本部、鍛錬場、寮、倉庫や厩が全て集約されている。
建物の中でもとりわけ王宮に近い場所に位置する建物が騎士団本部だ。
シルヴェリオは騎士団本部の入り口に立つ年若い騎士に声をかけた。
「魔導士団副団長のシルヴェリオ・コルティノーヴィスだ。ネストレ殿下の要請でオルフェンを連れて来た」
「ご来訪ありがとうございます。ネストレ殿下から話を伺っておりますのでご案内します」
騎士はちらりとフレイヤに視線を送ると、目が合った瞬間に頬を赤くする。その表情は、まるで恋する相手と目があった時のようだ。
「聖女様……いえ、ルアルディ殿もお忙しいところご来訪ありがとうございます」
『聖女? 今、フレイヤのこと聖女って呼んだよね? なんで?』
さきほどまで欠伸を噛み殺して退屈そうにしていたオルフェンが、目敏くならぬ耳敏く反応して問い質す。
そこにシルヴェリオも無言で加わり、二人の圧力のこもった眼差しに気圧された騎士は、今度は顔を青ざめさせてたじろいだ。
「ルアルディ殿は呪いのせいで眠っていたネストレ殿下を目覚めさせてくださったので、騎士団の中では聖女様と呼ばれて崇めているのです」
「あ、崇める……?」
フレイヤは想像を絶する事態に震えた。
自分が騎士たち聖女と呼ばれているなんて思ってもみなかった。
平民の中では、たまにフレイヤが個人的に香り水を作ってあげた相手から祝福の調香師だと冗談っぽく呼ぶ者がいるのだが、それさえも自分にはもったいない通り名だと思っているのに、聖女なんて呼んでもらうのは畏れ多い。
それにフレイヤとしては祈りの手伝いをしただけであって、実際に呪いを解いたのは祈祷をした司祭のテレンツィオだと思っている。
彼の手柄を横取りしているようで後ろめたくなる。
「あの、私は聖女と呼ばれるような力を持っていませんので……」
フレイヤは気恥ずかしさのあまり消え入りそうな声で否定したのだが、それを聞いた騎士はフレイヤが謙虚と捉え、さらに尊敬のこもった眼差しを向けてくるのだった。
しかしその視線は、シルヴェリオがフレイヤを隠すように前に立つことによって遮られる。
フレイヤの目の前で、シルヴェリオの結わえられた紫色の髪の束がさらりと揺れた。
「ネストレ殿下を待たせるつもりか? 早く案内してくれ」
「は、はい! それでは、皆様を会議室に案内しますね」
年若い騎士はシルヴェリオの顔を見てブルブルと震えると、踵を返して建物の中に入った。
フレイヤたちはその後に続く。
騎士団本部の内装は王宮と比べると質素だが重厚感がある。
床は黒い大理石が敷き詰められており、歩く度にコツコツと硬質な音が聞こえてくる。
フレイヤたちは黒色の大きな扉の前で立ち止まった。
扉のすぐ近くの壁には団長室と書かれたプレートが打ち付けられている。
今から騎士団長の部屋に入るのだとわかるや否や、フレイヤの心臓が早鐘を打ち鳴らし始める。
(そういえば、競技会の審査員をしていたあの方はどうなったのかしら?)
脳裏を過るのは、競技会の会場で後悔を滲ませながら己の罪を告白した騎士団長の姿。
その間、騎士は扉を軽く叩き、中にいるであろう騎士団長に声をかけた。
「団長、コルティノーヴィス卿とルアルディ殿、そしてオルフェン殿をお連れしました」
「――ありがとう。中に通してくれ」
ネストレの声が扉の向こう側から返ってくると、騎士が扉を開ける。
扉の開いた先、白色の天井と壁と黒色の調度品や床のコントラストが美しい室内を背景に、まず執務机に座ったままこちらに向かって麗しく微笑むネストレの姿が視界に飛び込んでくる。
今日のネストレは深い青色を基調とした騎士服を着ている。
上着の立襟や袖部分は上等な生地らしい艶を帯びた黒色だが、前身ごろは深い青色の切り返しとなっており、金色の釦や刺繍が施されている。
肩から下がるマントは表地は黒色だが、裏地は深い青色に精緻な刺繍が施されている。
折り返された袖口部分も深い青色で金糸で刺繍がされており、その上等な服装よりも気になってしまうのは、折り返した袖口から覗くネストレの腕だ。
ネストレの腕には、王子という身分や甘さのある美貌からは想像もつかないほど筋肉がついており、そして戦闘でついた傷がいくつも見えた。
以前からネストレが騎士をしていると聞いてはいたが、どうも王子としてもイメージが強かった。
しかし彼の腕に刻まれた傷を見てようやく、彼が騎士なのだと実感するのだった。
ネストレの騎士らしい姿に気をとられていたフレイヤは、ネストレから向けられる視線に気づき、思わず背筋を伸ばす。
(い、いけない。ジロジロ見過ぎてしまったかも……)
気まずさを隠すように笑顔を顔に貼り付けると、ネストレに礼をとる。
「コルティノーヴィス香水工房の調香師のフレイヤ・ルアルディが第二王子殿下にご挨拶申し上げます。この度はお招きいただきありがとうございます」
「こんにちは、ルアルディ殿。呼びかけに応じてくれて感謝する。オルフェンにいつでも来るといいと言ったのだが、少し気がかりなことがあるからすぐにでも来てもらいたかったんだ」
「そ、その節は、オルフェンが我儘を言って申し訳ございません」
フレイヤは目にも留まらぬ速さで深く頭を下げる。
ぶわんと彼女の頭が風を切る音がした。
「妖精はみなそういう生き物だから気にしていないから気に病まないでくれ。そして顔を上げてくれ。君に改めて挨拶したい」
「第二王子殿下の寛大なお心に感謝申し上げます」
フレイヤは例の言葉を述べつつ、改めて挨拶するとは、どういうことなのだろうと内心首を傾げる。
そんなフレイヤに、ネストレは椅子から立ち上がって歩み寄ると、騎士式の礼をとった。
彼の動きに合わせてマントが典雅にはためく。
「エイレーネ王国騎士団の新団長のネストレ・エイレーネだ。これから度々オルフェンの知恵を借りるため、ルアルディ殿には世話になる。よろしく頼む」
***あとがき***
先週は諸事情あり、勝手ながらお休みして申し訳ございませんでした。
そして明日もまた更新しますのでお付き合いいただけますと嬉しいです…!
よろしくお願いします。
以前、火の死霊竜に祈りを捧げるために出立する前に立ち寄った魔導士団の本部――黒の魔塔とは正反対の位置にある。
無骨さを感じる石造りの建物が並んでいる一角は全て騎士団の施設だ。
そこには騎士団の本部、鍛錬場、寮、倉庫や厩が全て集約されている。
建物の中でもとりわけ王宮に近い場所に位置する建物が騎士団本部だ。
シルヴェリオは騎士団本部の入り口に立つ年若い騎士に声をかけた。
「魔導士団副団長のシルヴェリオ・コルティノーヴィスだ。ネストレ殿下の要請でオルフェンを連れて来た」
「ご来訪ありがとうございます。ネストレ殿下から話を伺っておりますのでご案内します」
騎士はちらりとフレイヤに視線を送ると、目が合った瞬間に頬を赤くする。その表情は、まるで恋する相手と目があった時のようだ。
「聖女様……いえ、ルアルディ殿もお忙しいところご来訪ありがとうございます」
『聖女? 今、フレイヤのこと聖女って呼んだよね? なんで?』
さきほどまで欠伸を噛み殺して退屈そうにしていたオルフェンが、目敏くならぬ耳敏く反応して問い質す。
そこにシルヴェリオも無言で加わり、二人の圧力のこもった眼差しに気圧された騎士は、今度は顔を青ざめさせてたじろいだ。
「ルアルディ殿は呪いのせいで眠っていたネストレ殿下を目覚めさせてくださったので、騎士団の中では聖女様と呼ばれて崇めているのです」
「あ、崇める……?」
フレイヤは想像を絶する事態に震えた。
自分が騎士たち聖女と呼ばれているなんて思ってもみなかった。
平民の中では、たまにフレイヤが個人的に香り水を作ってあげた相手から祝福の調香師だと冗談っぽく呼ぶ者がいるのだが、それさえも自分にはもったいない通り名だと思っているのに、聖女なんて呼んでもらうのは畏れ多い。
それにフレイヤとしては祈りの手伝いをしただけであって、実際に呪いを解いたのは祈祷をした司祭のテレンツィオだと思っている。
彼の手柄を横取りしているようで後ろめたくなる。
「あの、私は聖女と呼ばれるような力を持っていませんので……」
フレイヤは気恥ずかしさのあまり消え入りそうな声で否定したのだが、それを聞いた騎士はフレイヤが謙虚と捉え、さらに尊敬のこもった眼差しを向けてくるのだった。
しかしその視線は、シルヴェリオがフレイヤを隠すように前に立つことによって遮られる。
フレイヤの目の前で、シルヴェリオの結わえられた紫色の髪の束がさらりと揺れた。
「ネストレ殿下を待たせるつもりか? 早く案内してくれ」
「は、はい! それでは、皆様を会議室に案内しますね」
年若い騎士はシルヴェリオの顔を見てブルブルと震えると、踵を返して建物の中に入った。
フレイヤたちはその後に続く。
騎士団本部の内装は王宮と比べると質素だが重厚感がある。
床は黒い大理石が敷き詰められており、歩く度にコツコツと硬質な音が聞こえてくる。
フレイヤたちは黒色の大きな扉の前で立ち止まった。
扉のすぐ近くの壁には団長室と書かれたプレートが打ち付けられている。
今から騎士団長の部屋に入るのだとわかるや否や、フレイヤの心臓が早鐘を打ち鳴らし始める。
(そういえば、競技会の審査員をしていたあの方はどうなったのかしら?)
脳裏を過るのは、競技会の会場で後悔を滲ませながら己の罪を告白した騎士団長の姿。
その間、騎士は扉を軽く叩き、中にいるであろう騎士団長に声をかけた。
「団長、コルティノーヴィス卿とルアルディ殿、そしてオルフェン殿をお連れしました」
「――ありがとう。中に通してくれ」
ネストレの声が扉の向こう側から返ってくると、騎士が扉を開ける。
扉の開いた先、白色の天井と壁と黒色の調度品や床のコントラストが美しい室内を背景に、まず執務机に座ったままこちらに向かって麗しく微笑むネストレの姿が視界に飛び込んでくる。
今日のネストレは深い青色を基調とした騎士服を着ている。
上着の立襟や袖部分は上等な生地らしい艶を帯びた黒色だが、前身ごろは深い青色の切り返しとなっており、金色の釦や刺繍が施されている。
肩から下がるマントは表地は黒色だが、裏地は深い青色に精緻な刺繍が施されている。
折り返された袖口部分も深い青色で金糸で刺繍がされており、その上等な服装よりも気になってしまうのは、折り返した袖口から覗くネストレの腕だ。
ネストレの腕には、王子という身分や甘さのある美貌からは想像もつかないほど筋肉がついており、そして戦闘でついた傷がいくつも見えた。
以前からネストレが騎士をしていると聞いてはいたが、どうも王子としてもイメージが強かった。
しかし彼の腕に刻まれた傷を見てようやく、彼が騎士なのだと実感するのだった。
ネストレの騎士らしい姿に気をとられていたフレイヤは、ネストレから向けられる視線に気づき、思わず背筋を伸ばす。
(い、いけない。ジロジロ見過ぎてしまったかも……)
気まずさを隠すように笑顔を顔に貼り付けると、ネストレに礼をとる。
「コルティノーヴィス香水工房の調香師のフレイヤ・ルアルディが第二王子殿下にご挨拶申し上げます。この度はお招きいただきありがとうございます」
「こんにちは、ルアルディ殿。呼びかけに応じてくれて感謝する。オルフェンにいつでも来るといいと言ったのだが、少し気がかりなことがあるからすぐにでも来てもらいたかったんだ」
「そ、その節は、オルフェンが我儘を言って申し訳ございません」
フレイヤは目にも留まらぬ速さで深く頭を下げる。
ぶわんと彼女の頭が風を切る音がした。
「妖精はみなそういう生き物だから気にしていないから気に病まないでくれ。そして顔を上げてくれ。君に改めて挨拶したい」
「第二王子殿下の寛大なお心に感謝申し上げます」
フレイヤは例の言葉を述べつつ、改めて挨拶するとは、どういうことなのだろうと内心首を傾げる。
そんなフレイヤに、ネストレは椅子から立ち上がって歩み寄ると、騎士式の礼をとった。
彼の動きに合わせてマントが典雅にはためく。
「エイレーネ王国騎士団の新団長のネストレ・エイレーネだ。これから度々オルフェンの知恵を借りるため、ルアルディ殿には世話になる。よろしく頼む」
***あとがき***
先週は諸事情あり、勝手ながらお休みして申し訳ございませんでした。
そして明日もまた更新しますのでお付き合いいただけますと嬉しいです…!
よろしくお願いします。