追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

91.魔導士団長の悪戯

「エイレーネ王国騎士団の新団長のネストレ・エイレーネだ。これから度々オルフェンの知恵を借りるため、ルアルディ殿には世話になる。よろしく頼む」

 ネストレの言葉に、フレイヤは競技会(コンテスト)での一幕を思い出す。

 前騎士団長はセニーゼ家から、遠征に必要な物資を人質に脅されてアベラルドに票を入れた。
 部下たちを守るために苦渋の決断で取った行動だが、不正の加担をしたため自ら処罰を求められたのだ。

 経緯は如何様であれ、ネストレが望んでいた騎士団長の座を掴めたのだ。
 シルヴェリオからネストレの積み重ねてきた努力の話を聞いていたため、フレイヤは心から祝いの言葉を述べる。

「団長になられたのですね。おめでとうございます。第二王子殿下の栄えあるご活躍をお祈り申し上げます」
「ありがとう。今回の事件を受けてしばらくは私が団長の座にいるから、セニーゼ家のように騎士たちの命にもかかわるような脅しをしかけてくる者はいないだろう。いずれ然るべき者が団長に就く時には、その者がどのような身分であったとしても今回のような不正を持ちかけられないよう、法を整備するつもりだ」

 ネストレの言葉はどこか歯切れが悪い。
 まるで、剣の実力ではなく王族という身分で騎士たちを守るために自分が団長になったとでも言っているように聞こえるのだ。

 そんなネストレにどのような言葉をかけるべきか考えあぐねていると、不意にガタリと椅子を引く音が聞こえた。
 フレイヤはその音を聞いて初めて、この室内にいる二人の先客の存在に気づいた。

 先客の一人はジュスタ男爵だ。
 シルヴェリオと同じ、魔導士団の制服である黒地に銀の刺繍を施した上着とスラックスの上に、同じく黒色のローブを羽織っている。
 競技会(コンテスト)の会場で見かけた時と同じく、ややしかめっ面の厳格そうな顔つきの女性だ。

 もう一人はシルヴェリオやネストレと同じ年頃に見える男性だ。
 精悍な顔立ちで、静謐な月の光を彷彿とさせる銀色の髪を几帳面に後ろに撫でつけており、切れ長で猛獣のような鋭さを感じさせる目の色は若草色。
 彼はネストレと同じ騎士服を着ているから、騎士なのだろう。

 音を立てたのは騎士の男性で、彼が立ち上がった際に立てたのだった。
 彼はつかつかとこちらに歩み寄ると、フレイヤに礼をとる。
 
 もともと怒っているような顔の者に勢いよく歩み寄られたフレイヤは、面では笑顔のままだが内心狼狽えた。
 
「ルアルディ殿、ご挨拶の前に弁明の機会をください。ネストレ殿下は対策のように仰っていますが、実際に剣術の腕はこの騎士団の中で一番お強いのです。前団長は頃合いを見て代替わりすると仰っていたほどですから、ネストレ殿下のご謙遜をそのまま受け取らないでください」
 
 低く、落ち着いた声だが、ネストレを語る言葉には熱がこもっている。
 それほどネストレを上司として慕っているのだろう。

 するとネストレがその男性を睨みつけながら彼の脇腹を小突いた。

「副団長、落ち着け。初対面なのだからなおさら、挨拶が先だろう」
「も、申し訳ございません。ネストレ殿下があまりにもご自身を過小評価なさるものですから、つい……」

 ネストレに窘められた男性は、しょんぼりと眉尻を下げる。
 そのような姿を見ると、先ほどまで感じていた威圧感が薄れた。

(それにしてもこのお方、どこかで見かけたことがあるような……?)

 銀色の髪に、鋭い眼差し。
 フレイヤが記憶を辿っている間に、ネストレがフレイヤと男性の間に立ち、口を開く。
 
「副団長、こちらがフレイヤ・ルアルディ殿――私の恩人だ。そしてルアルディ殿、この者は副団長のレオナルド・イェレアスだ。イェレアス侯爵家の次期当主でもある」

 フレイヤはその名前を聞いた瞬間に、目の前の人物と記憶の中の前イェレアス侯爵と面影が重なった。
 
 ネストレの紹介によると、レオナルドも新しく副団長に就任したらしい。
 前団長を降格処分とした際に、前副団長が自分も降格処分としてほしいと願い出たそうだ。
 彼も前団長と同様、騎士団の物資に影響が出ることを恐れてセニーゼ家の脅しに乗ってしまったことに責任を感じたらしい。

「改めて、お初目にかかります。エイレーネ王国騎士団副団長のレオナルド・イェレアスです。先ほどは熱くなってしまうあまり、礼を欠いて大変申し訳ございませんでした」
 
 レオナルドは律儀にもフレイヤに頭を下げてくれた。
 まさか挨拶をしなかっただけで貴族に頭を下げられるとは思ってもみなかったフレイヤは、思わずたじろぎそうになった。
 
「その節は、ネストレ殿下にかけられている呪いを解呪いただきありがとうございました。あの時、私は前日に魔物討伐に駆り出されて参戦できなかったので、参加できなかったことが悔やまれます」
「いえ、本当に突然でしたし、それにあの時は司祭のイェレアス様が解いてくださったので――」
「テレンスはルアルディ殿の提案の通りに祈祷したに過ぎません。それに、ネストレ殿下に呪いがかけられた当初から何度も解呪を試みたものの、ことごとく失敗していたのです。だからネストレ殿下が目覚めたのはあなたの功績と言えるでしょう」

 レオナルドはきっぱりと言い切る。

 テレンスもイェレアス侯爵家の出身だが、身内の功績とするつもりは微塵もないらしい。
 先ほどまでレオナルドの容姿や身分に怖気づいていたフレイヤだが、レオナルドの律儀さや、平民の自分にも功績があると言ってくれる公正な性格を知ると、恐れは消えてむしろ好感を持った。
 
 続いてネストレは、ジュスタ男爵にフレイヤを紹介する。

 フレイヤが先に名乗ると、ジュスタ男爵の宝石を彷彿とさせる緑色の目がフレイヤに向く。
 彼女の眼差しもまた見る者を圧倒するような鋭さがある。
 フレイヤは思わずごくりと唾を飲んだ。

「初めまして、ルアルディ殿。私はヴァレンティーナ・ジュスタ。魔導士団の団長を務めている」

 ゆったりと言葉を紡ぐ声はよく通るが怒鳴っているようには聞こえず、気品がある。
 
 その声に聞き惚れているフレイヤに、ジュスタ男爵は厳めしい表情をといて、どこか意地悪っぽい笑みを浮かべた。
 
「不思議ね。こうして言葉を交わすのは初めてだけど、あなたとは旧知のように思えるわ。コルティノーヴィス卿からよく話を聞いているからかしら?」
「シル……コルティノーヴィス卿が私のお話を?」
「ええ、毎日のように話を聞かせてくれるわ。次はどんな菓子がいいかと、真剣に悩んで――」

 愉快そうに話すジュスタ男爵の声に、その場に居る者がみな耳を傾ける。シルヴェリオ一人を除いて。
 
 シルヴェリオはジュスタ男爵の話を遮るように、ゴホンと大きな空咳をした。
 
「そろそろ本題に入りましょう。さあ、ルアルディ殿。空いている席に座りましょう。オルフェンも、まずは座ってくれ」

 フレイヤとオルフェンを座るよう促すシルヴェリオのやや頬が赤くなっている顔を、ジュスタ男爵は笑みを深めて見守るのだった。
 長年浮いた話の一つもなかった部下が、珍しく女性の前で慌てふためく様子が面白くて仕方がないといった表情で。
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