自由よ…君が眩しい
話せるから話すのだ。信仰の自由だものでは済まない。
宗教の果たす役割は社会に貢献しなければ・・・
言葉は資源であり・・ビジネスの財源だから・
計算して答えを予測して‥幾つもの
シミュレーションを練り上げて・・・
表現して心のステージで演出してみる。
その軸足である「自我」が光る。
心の鏡は家族だ・・子供だ・・夫だ・・妻だ・
家族であっても思わぬ言葉で傷つけあうと・・
信頼関係が崩れ易い。
自信のあるひと言が予想もしない言葉に化け・・
誠意と親切がお節介になることもある。
責任問題まで発展することがある。
だから自由には制約がある。
制約の中の自由だ。
優しさが化けて煩がれる甘さに泣いたこともある。
迷っても良い・・善に苦しまないで・・・
何事もなかったような顔して・・許す我も居る。
「自我」よ・・・百面相を増やせ。
素顔が強気になれるから・・・
咄嗟のひらめきが表現力を支えるよ。
悪だって100%悪ではない。
得意顔して優しく微笑んだ悪の良心が嘆く。
悪よ善を支えて欲しい・・・
悪だって誇りを持って居るさ・・
プラス100%の善なんて弱い。
悪に支えられて強くなるんだ。
その時、免疫性が働くから・・・
善も悪も使う場によって・・
誇れる良心が住んで居るのさ・・
善と悪が手を結んだ時・・
善は正しい判断が出来る。
悪よ気高くあれ・・・誘拐も詐欺も守れるのは・・
知恵がひらめく悪だ・・
悪が悪を見抜く鋭い眼を持って居る・
単純に悪と決めつけないで・・
悪が善を背負って働く時・・
弱さを護る神・・それが悪君・君だよ。