自由よ…君が眩しい
自分(読む者)に合った読み取る姿勢を無視して・・
文部省のカリキュラムに従って教えられたら・・
教える側も学ぶ側も必要性を感じない。
読む必要も感じない。
実感を感じないままに義務的な時間を費やして居ないか?
感受性の強い時代に文章からかけ離れた読みと捉え方や・・
纏め方をして居ないだろうか???
義務教育の名残りが現在の教育の弊害になって居る。
受け身ではない発信力を磨く・・個性を磨く読みと捉えた
境域方針に帰る時が来て居る。
教える側と学ぶ側が同じレベルで向き合い・・
同じ体験をした教材で話し合い・・同じ読者として
読み解きあう・・感想を追求しあう・
そんなスタイルの学び方をすれば国語嫌いはなくなり
生徒は先生のファンになるに違いない。
紐解く教師の取り組む姿勢が学校嫌いか・
好きかの鍵を握る。
学校嫌いも指導の熟し方や教材の捉え方で
決まることが多い。