婚約破棄された公爵令嬢は冷徹国王の溺愛を信じない2

第一章

 昼食のためにルチアが従僕に案内されて入ったのは、ジュストの私室だった。
 お互いの寝室を挟んでルチアの私室とは反対側にあるだけなのだが、廊下をずいぶん進んだので、ジュストの私室はかなり広いようだ。
 そこでふと、ルチアは寝室が本当に隣り合っているのだろうかと考えた。
 前世の知識や実家である公爵家の間取りから、勝手にジュストの寝室に繋がるのだと思っていた扉はまったく違う場所に繋がっているのかもしれない。
 今まで一度も開いたことがなかったので、ルチアが勘違いしている可能性に気づいた。
(あの扉が単なる物置とかに繋がっていたら、超マヌケだわ……)
 昨晩はいつ開くのかとドキドキしていたのだ。
 とはいえ、開いて確かめてみるのも怖くてできない。
 物置ならまだいいが、本当に寝室だったり、鍵がかかっていたら――しかも、開けようとしたことが知られたら、もう立ち直れないだろう。
 知られたかどうかもわからないのだから、挑戦する勇気はなかった。
(とにかく、寝室とかそういうことを考えるのはやめなきゃ)
 まるで欲求不満のようで恥ずかしくなってくる。
 部屋にジュストがまだいなくてよかったと、両手を熱くなった頬(ほお)に当てて大きく息を吐いた。
 そこにいきなり背後の扉が開いて、ルチアは飛び上がらんばかりに驚いた。
「すまない、待たせてしまった」
「い、いえ……」
 てっきりルチアと同じ廊下側の扉からやって来ると思っていたのだ。
 それがすでに隣の部屋にいたのだから、心の準備は間に合わなかった。
 どうやらジュストはわざわざ着替えてくれたらしい。
 ルチアは高鳴る胸を押さえて小さく息を吐き、どうにか落ち着こうとした。
「お忙しいでしょうに、お誘いくださって、ありがとうございます」
「いや、こちらこそ急な誘いだったのに、受けてくれて嬉しい。ありがとう、ルチア」
 向かいの席に座ったジュストにどうにか招待のお礼を言えば、優しい言葉と笑顔が返ってくる。
 ルチアは本当に『きゅん』と胸の音がした気がして自身を見下ろした。
 せっかく落ち着いたはずの心臓はまた激しく打っているが、飛び出してはいないようだ。
「ルチア?」
「え? あ、いえ、その……」
 ルチアが俯いたことで心配したジュストに、何でもないと言おうとしても言葉が上手く出てこない。
 それでも何か言わなければと焦ったルチアは、考えてもいなかった質問をしていた。
「復興は順調ですか?」
「――ああ。種(たね)籾(もみ)も商会から必要数を手に入れることもできたし、休耕地の再生作業も順調にいっている。今年は無理でも来年にはもっと耕作地を復活させることができるだろう」
「それでは、あとはお天気ですね。今年は今のところ荒れる兆しはないようですが、こればかりは予想がつきませんから」
「そうだな。本来なら、そのために備蓄をしておくべきなのだが、当面はなかなか難しいだろうな」
 復興については、ルチアもかなりの関心事であるが、今するべきではない気がする。
 だが、この話題ならもう心臓も飛び跳ねず、ルチアは落ち着くことができた。
 おかげで手の震えも治まり、食事が始まっても失敗せずにすんでいた。
「ですが、アーキレイ伯爵の元領館には備蓄がしっかりあったのですよね? ということは、他の諸侯にもあるのではないでしょうか? ここ数年はお天気も良好で作物に影響を及ぼすような災害もなく、どの種の作物も順調に収穫できたと聞いております」
「そうだな。内乱で荒れた領地は無理だろうが、静観していた者たちは元々慎重な性格なのだろうから、備蓄はしているだろう」
「だとすれば、その方たちからの支援も考えて備蓄していけばいいのですね」
 ジュストの心配事を少しでも減らしたくて、ルチアは備蓄についての前向きな考えを口にした。
 すると、ジュストは軽く目を見開く。
 また出しゃばりすぎてしまったのかとルチアは焦った。
「いえ、その、余分に備蓄しているとは限らないでしょうから、支援を受けられるかはわからないですよね。余計なことを申しました。すみません」
「なぜ謝るんだ? ルチアは自分の意見を言っただけだろう? それに私は驚いただけだ。今までアーキレイ伯爵のことばかりで、ようやく復興に向けて本腰を入れることができると、他の諸侯については問題を起こさなければいいとしか考えていなかった。私は王として、まだまだ未熟だな」
 ルチアが謝罪したことで、ジュストに自省させてしまった。
 失敗してしまったと落ち込みそうになったルチアだったが、ジュストは柔らかく微笑みかける。
「ありがとう、ルチア。おかげでいろいろと気づくことができたよ。復興に邁進するのも大切だが、私はもっと他にも気を配らないといけない。まずは、誰もが意見を気軽に言えるような環境が必要なようだ」
「誰もが、ですか?」
「ああ。今の私はまだ『悪魔』だと恐れられている。ルチアにでさえ、私の態度ひとつで意見を述べたことを謝罪させてしまった」
「それは……ジュスト様が怖かったからではありません。ただ……」
 嫌われることが怖かったのだ。
 やはり『生意気』だと思われるのではないかと、はじめは『すごい』と褒めてくれても、積み重ねていくうちにうっとうしく思われるのではないかと不安だった。
 自分では吹っ切ったつもりでいたが、まだ元婚約者のジョバンニのことがトラウマになっているらしい。
「ルチア、私があなたを不安にさせてしまっているのか?」
「ち、違います! ジュスト様はかっ……」
 ジュストに気を遣わせてしまったと、ルチアは急ぎ否定しようとして言葉に詰まった。
 ここで「関係ない」などと言えば取り返しがつかなくなってしまう。
 かろうじて口に出さずにすんだのはよかったが、ジュストは気になるようで首を傾げた。
 その姿にまた胸がきゅんとする。
「か?」
「……可愛いのです!」
「可愛い?」
 ルチアが叫ぶように告げた言葉に、ジュストは先ほどよりも驚いたようだ。
 まさか自分が「可愛い」と言われるなど思わなかったのだろう。
 ルチアもいくらジュストが首を傾げた姿が可愛く、そのギャップにきゅんとしたとはいえ、男性に言うべき言葉ではなかったと慌てた。
「あ、いえ……かっこいい、です。でも可愛くもあるとか、ずるいですよね……」
 言い直したものの、つい本音が漏れる。
 ジュストは呆気に取られていたが、次いで噴き出した。
 声を出して笑うジュストは珍しく、今度はルチアが目を丸くする。
「まさか、私の人生で『可愛い』などと言われる日がくるとは思わなかった」
「そう、でしょうか? エルマンやニコル、シメオンだって、きっと思っていますよ。口に出さないだけで」
「じゃあ、後で訊(き)いてみよう」
「そうしてください」
 今、こうして笑っているジュストも可愛く見えるのだから、きっとあの三人なら思ったことがあるはずだ。
 そう確信したルチアが同意すると、ジュストはどうにか笑いを治めて一度大きく息を吐きだした。
「それでは、ルチアもこの後の話し合いに同席してくれないか?」
「え?」
「もちろん、予定がなければの話だが。皆の返答を聞いてみたくはないか?」
「聞きたいです」
 ルチアがわくわくした様子で答えると、ジュストは悪戯(いたずら)っぽく笑っていた。
 いつの間にかぎこちなかった空気も消えている。
「それでは、備蓄についてのルチアの先ほどの意見も皆に聞かせてくれると助かるな」
「私の……」
 一瞬怯(ひる)んだルチアだったが、ジュストを支えると誓ったのだ。
 今朝だって前世の知識を使ってでも何でも、この国の発展のために頑張ると決意したのだから、怖がっている場合ではない。
「私も皆さんの意見を聞いてみたいです。特にジュスト様が可愛いかどうかを」
 さり気なくルチアのトラウマをフォローしてくれるジュストのおかげで、冗談を返す余裕も出てきた。
 同じように悪戯っぽく笑うルチアを愛しげにジュストは見つめてくる。
 途端におとなしくなっていたはずの心臓がドキドキと騒がしくなってしまった。
「愛してるよ、ルチア」
「んっ――!」
 気持ちを落ち着けようとお茶を飲もうとしたのに、突然の愛の告白にむせそうになった。
 ジュストには自分の言葉がどれだけルチアを動揺させるかの自覚があるのかないのか、満足そうに微笑んでいる。
「私も……愛してます」
 ジュストの笑顔を見ると、あれこれ考えているのが馬鹿らしくなってくる。
 心臓には悪いが、どうしようもないほど幸せで、ルチアもまた微笑んで返事をしたのだった。

  * * *

「それで、どうだったんですか?」
「何のことだ?」
「奥方と昼食を一緒にしたんでしょう? こう、愛の再確認とかしました?」
 食事の後、ニコルたちを呼ぶと、ニコルがわくわくした様子で訊いてきた。
 ルチアも交えて話し合う前に、先にこの国の復興に際しての問題点をしっかり明示できるようにしていたほうがよいと三人を呼び出したのだ。
 三人の予定はお互い把握しているので、応じることができるのはわかっていた。
 ただし、シメオンは明後日にはオドラン王国と接する土地での復興作業に戻ることになっている。
「再確認など必要ない」
「ダメですよ~、ジュスト様。釣った魚には餌をあげないと、逃げられちゃいますからね」
「ルチアは魚でもないし、餌など必要ない。常に私が気持ちを伝えて、ルチアに今以上に好かれるよう努力を続ければいいだけだ」
「……そうでした。すみません」
 冷やかす隙もないほど、ジュストは大真面目に答えたため、ニコルはもう何も言えなかった。
 そんなニコルを見て、エルマンが呆れたようにため息を吐(つ)く。
「ニコルは本当にデリカシーがないですよね。おふたりは新婚なのですから、本来ならもっとゆっくりしてもらうべきなのです。それなのに、私たちが不甲斐ないばかりにジュスト様どころか、奥様にまでお時間を取らせてしまうのですから、反省するべきです」
「それはそうだけどさ……。ふたりが仲良くなれたのも、僕たちの協力があってこそでしょ? 少しくらい聞いてもいいんじゃないかな」
 エルマンに窘(たしな)められて、ニコルは不満げに訴えた。
 すると、シメオンがふるふると首を横に振る。
「ジュスト様と奥方の仲は『犬も食わない』くらい」
「え? ジュスト様、さっそく奥方とケンカしたんですか?」
 シメオンにまで窘められたが、その内容に驚いてニコルはジュストに訊いた。
 ところが、ジュストも驚いている。
「間違えた。『馬に蹴られる』くらい」
 大きな言い間違いをしたシメオンだったが、しれっと訂正して皆をほっとさせた。
 ジュストまでほっとしている姿を見て、エルマンが訝(いぶか)しむ。
「なぜジュスト様まで安(あん)堵(ど)されているのです? 身に覚えでもあるのですか?」
「いや、ひょっとして先ほど何かルチアの気に障ることでもしただろうかと、不安になったんだ。昨日の今日で、何を話せばいいのかわからなくなってしまって、ルチアにも気まずい思いをさせたようだから」
 先ほどのルチアはどこか緊張していて、始めた会話も固いものだった。
 もちろん大切な内容で、ルチアがこの国のことを気にかけてくれているのはわかっているが、ジュストとしては仕事はいったん忘れて楽しんでほしかったのだ。
 しかし、部屋に入ってからしばらくの間、ジュストはルチアを目の前にして幸せを噛みしめていたために、沈黙が続いていることに気づかなかった。
 そのせいで、ルチアに気を遣わせてしまったのだろう。
 最後は笑わせることもでき、自分の気持ちを改めて伝えることもできた。
 さらにはルチアからも返事をもらうことができたが、言わせてしまったようにも思う。
「あー、まあ、奥方にしてみれば、朝も昼も顔を合わせるのは気まずかったかもしれませんしね」
「いや、朝は顔を合わせていない」
 考えれば考えるほど、失敗したのではないかと思えてきていたジュストを、ニコルが慰める。
 だが、認識の違いがあるようなので否定すると、信じられないといった顔になった。
「ダメですよ~。ちゃんと朝まで一緒にいないと。女の子は不安になっちゃうんですから」
「どこに不安要素があるというのです? ジュスト様にあれほどの愛の告白をされたのですから、奥様もわかっていらっしゃるはずです」
「その、わかってくれるだろうってとこからすれ違いは始まるんだよ」
「すれ違うわけないでしょう? ジュスト様はお気持ちをお伝えになって、さらに好かれるよう努力なさっているんですから」
「言葉と態度は大切」
 驚くニコルにエルマンが突っ込み、そこからいつものふたりのやり取りになる。
 シメオンまで加わり、最後には三人で満足げに頷いた。
 ジュストはこの盛大な勘違いを訂正するべきかどうかわずかに悩み、やはり正直に話すことにする。
 ニコルの言う通り、三人にはずっと協力してもらっていたのだ。
「結論が出たところで悪いが、そもそも昨夜はルチアの部屋を訪れていない」
「嘘でしょう!?」
「ジュスト様、それはさすがに……」
「…………」
 ジュストの告白にニコルは悲鳴をあげ、エルマンは唖然とし、シメオンは無言だった。
 それほど驚くことかとジュストは思いつつ、持論を展開する。
「私たちは夫婦とはいえ、始まり方が悪かったのは皆も知っているだろう? やり直しのために告白をして、ルチアの気持ちを確認することができた。要するに、私たちはようやく両想いになれたんだ」
「要するにってまとめなくても、両想いだったんですけどね。――いてっ!」
 ちょっと嬉しそうに説明するジュストに、ニコルが突っ込むと、隣に座るエルマンがその膝を軽く叩く。
 エルマンは大げさに痛がるニコルを無視して、ジュストに同意しつつ質問した。
「まあ、気持ちの確認は大切ですから、そこまでは理解できました。それでどうして、そこから進まないのですか?」
「先ほども言ったように、私たちは始まりがまずかった。想いが通じ合ったからといって、さあ次というのはどうかと思う。やはり順序は大切だ」
「順序?」
「あ、僕わかりました。昨日、おふたりは晴れて両想いになれたことを確認できました。手も繋ぎ、抱きしめ合って、キスまでしちゃいました。……あれ? だとすれば順序に問題はないですよ?」
「いや、まだ早いだろう」
「どこがですか?」
「ジュスト様、それは奥手というものでは……」
「…………」
 ジュストの答えにニコルは突っ込み、エルマンは残念そうに呟(つぶや)き、シメオンは無言だった。
 そんな三人の反応を否定するように、ジュストは首を横に振る。
「むしろ、昨日が性急すぎたんだ。浮かれていたとしか言いようがない」
「じゃあ、どうするつもりですか?」
「指南書には、一緒に過ごす時間を重ねていけばいいとあった」
「指南書! それがあったか~!」
 反省するように言うジュストに、エルマンが問いかければ、自信ありげな答えが返ってくる。
 再び悲鳴をあげるようにニコルが嘆き、頭を抱えた。
 しかし、面白半分に『恋愛指南書』を読むように勧めたのはニコルである。
 エルマンとシメオンから責めるような視線を向けられ、ニコルはうーんと考えて、すぐにぱっと顔を輝かせた。
「結婚式ですよ!」
「結婚式?」
「ええ。最初がまずかったというのなら、やり直せばいいんですから、結婚式をもう一度行いましょう。そうすれば、大手を振って初夜決行ですよ! ――いてえっ!」
 ニコルの提案はよかった。
 だが、最後の言葉がまずかった。
 ジュストもエルマンもおまけのシメオンも納得しかけ、余計なひと言にエルマンからの力強い拳がニコルの脇腹に食い込んだ。
 座ったまま痛みに呻(うめ)くニコルを無視して、エルマンがジュストを見ると、その気になっているようだった。
「……では、結婚式のやり直しをいたしましょうか?」
「ああ。だがやはり、ルチアにも希望はあるだろうから、驚かせるよりは先に訊いたほうがいいな」
「……そうですね」
 エルマンが指示を仰ぐと、ジュストは頷きかけて、ルチアの意思を確認することに気づいた。
 告白はサプライズで成功したが、ルチアはその後でかなり恥ずかしがっていたのだ。
 結婚式は乙女の夢だと指南書にも書いてあった。
 エルマンもそのことを思い出し、微妙な気持ちで同意したのだった。

  * * *

「――結婚式ですか?」
「ああ。前回はその……アーキレイ伯爵領への出発前でおざなりになってしまっていただろう? せっかくだから、やり直したほうが皆も喜ぶんじゃないかという話になったんだ」
 ずいぶん遠回しな言い方だったが、そのほうがルチアが乗り気になってくれるのではないかと考えたのだ。
 しかし、ジュストの計画は失敗した。
 ルチアは少し考えたものの、にっこり笑って首を横に振る。
「ありがとうございます。ですが、やり直す必要はないと思います。私たちがすでに結婚しているのは事実ですし、もう一度式を行うよりは、復興に力を入れたほうがみんなのためになりますから」
「そうか……」
 まったく悪気がないどころか、善意しかないルチアの言葉に、ジュストもそれ以上押すことはできなかった。
 ジュストだけでなく、その場に同席していたエルマンやニコル、シメオンも肩を落とす。
 ルチアはその空気を察して、受けたほうがよかったのだろうかと後悔した。
 ジュストの提案が本当は嬉しかったのだが、もうすぐやって来る冬に備えるためには、のんびりしていられないのだ。
 王都のあるこの土地はそうでもないが、北部は雪に閉ざされることもあると学んでいた。
 その前に、対策を練っておかなければならないだろう。
 この場には、これからの復興と国政について話し合うために、ルチアも呼んでもらえたのだから。
「それでは、今後の備蓄に関しての話だが……。エルマン、今のところどうなっているか、報告してくれ」
「――かしこまりました」
 ジュストはルチアが気まずい思いをしているかもしれないと、さっさと本題に入った。
 ニコルは不満そうではあったが、エルマンとシメオンはすぐに切り替える。
 そしてエルマンの報告を聞いたルチアは強い寒波さえ来なければ、どうにか乗り越えられると聞いてほっとしていた。
「――だが、天候に左右されるというのは不確定すぎて心許ないな。特に北部地方は長年争いが続き、備蓄が不足しているのだから、何か対策を考えていたほうがよいだろう」
「自業自得ですよ。ここ十年は幸いにして天気に恵まれましたけど、いつ寒波がくるか、冷害に襲われるかわからないのに、争ってばっかだったんですから」
 ジュストが報告を受けて思案しながら言うと、ニコルがきっぱり切り捨てる。
 ルチアは大丈夫そうだと安心したのを恥じた。
 不測の事態に備えるのが為政者であり、希望的観測で物事を進めてはいけないのだ。
 逆に、ニコルほどの厳しさも必要な時があるのかもしれないが、やはりルチアはジュストの考えに賛成だった。
 本来なら、ルチアの持参金で作物を購入し、北部地方に備蓄させることができたのだ。
 何か良案はないかと考えていると、シメオンがぼそりと呟いた。
「貧しいからこそ争う。虚しい」
 シメオンの言葉に、ニコルさえ沈黙した。
 ルチアは前世でも今世でも飢えたことはないが、それでも貧しさが心の余裕を、優しさをなくしてしまうことは知っている。
 食べ物だけではない、愛に飢えれば愛を貪欲に求めてしまうのだ。
 ルチアは愛されない自分が空っぽな気がして、ずっと愛されようと必死になっていた。
 あの苦しさと渇きは、求めるものでしか満たされない。
 ただ、愛は求めてもどうしようもないことはあるが、食べ物はどうにかできる。してみせる。
「あの、よろしいでしょうか?」
「もちろん」
 前世の癖で、手を挙げて発言の許可を取ったルチアに、ジュストが優しく微笑んで頷いた。
 その愛に満ちたジュストの眼(まな)差(ざ)しは心をいっぱいに満たして勇気をくれる。
「まず、作物の――食料の備蓄ですが、このひと冬を越えられるだけのものを、優先的に北部地方に回してはどうでしょうか? 今なら北部地方の領主館や街だけでなく、村里の備蓄庫の確認に間に合うと思います。そうすれば、雪に閉ざされることがあっても、どうにか飢えだけは凌げるはずです」
「でも、それで他の地域が飢えることになったら、どうするんですか?」
「他の地域でしたら移動手段はあるのですから、メント商会や他の商会から急ぎ買い付けます。その……また借り入れることになるので負債は増えますが、民が飢えることはありません」
「確かに、借金なら時間をかけてでも返すことはできるが、寒波は待ってはくれないからな。雪で閉ざされてしまえば助けることができなくなる」
 ルチアの案に、ニコルが疑問の声をあげた。
 それは予想できたことなのですぐに答えると、ジュストも納得したように同意してくれる。
「何事もなければ、負債も増えることはなく、備蓄は減ることがないので、春になれば取り越し苦労で終わったと笑うことができます。それが何より一番ですよね」
 ほっとしたルチアは備えについての根本的な考えを口にして微笑んだ。
 そこに、エルマンがルチアのように手を挙げて発言する。
「北部地方へ優先的に備蓄を回す理由はわかりましたが、村里の備蓄庫を一戸ずつ確認していくのはかなりの手間がかかります。冬までにと急ぐなら、いったんは領主代理に任せてしまったほうが早いのではないでしょうか。そこから各村里に配布してもらえば手間が省けます」
「領主代理については、陛下が任命された方なので信頼できますが、部下の方たち――また村里の長たちはどうでしょうか? 疑うのは申し訳ないのですが、今まで争っていた方々が素直に必要数を申告するとは思えません。飢えを知っているからこそ、より多くを蓄えたくなるのが本能ではないでしょうか。ですから不正を許さないためにも、各村を回る必要があります」
 ルチアは性善説を信じてはいるが、全員が正直な善人だとは思っていない。
 人それぞれに人生があり、辿ってきた境遇がその人を作り上げる。
 初めから悪人はいなくても、実際に世の中に悪人は吐いて捨てるほどいるのだ。
 ジュストもニコルも、シメオンやエルマンまでもが、ルチアの辛辣な考え方に驚いたようだった。
 それでも、ジュストは笑みを浮かべて頷き、エルマンに向き直る。
「エルマン、後で急ぎ人員を編成してくれ。機動力を考えると事務官と護衛ふたりでいいだろう。また報告が入り次第、荷を出せるように手配も頼む」
「かしこまりました」
 ジュストが受け入れてくれ、エルマンから反論がなかったことに、ルチアは肩の力を抜いた。
 ニコルとシメオンは特に意見もないらしい。
 ところが、ジュストが今度はルチアに問いかけた。
「それで、北部地方の村里の蓄えが報告より実際に少なく、予想以上の備蓄を回さなければならなくなった場合はどうするつもりだ? 買い付けまでにも時間がかかる。我々の備蓄をすべて放出するわけにはいかないだろう?」
「それは……その、先ほどの報告はアーキレイ元伯爵領のものも含めた王家直属の備蓄だけですよね?」
「はい。おっしゃる通りです」
 昼食時に話題になった内容の続きだと気づいたルチアは、エルマンへと確認を取った。
 エルマンの返答を受けて、ルチアは緊張しながらも意見を述べる。
「今まで……この十年、内乱に加わることのなかった各諸侯、特にアーキレイ伯爵のように静観していた方たちについては、備蓄はもちろんのこと、財産などについても一度調査すべきです。今後、王家に対し叛(はん)意(い)を持たせないようにするためにも把握しておく必要があると思います」
「それは要するに、王家直轄地、もしくは預かりとなっている領地以外の領主たちの財産を調べるべきだとおっしゃっているのですか? たとえば、私の領地もシメオンの実家も?」
「はい。その通りです」
 ルチアの意見には、さすがに皆が難色を示した。
 ジュストでさえも笑みを消し、考えている。
 シメオンは今ひとつ何を考えているのかわからないが、エルマンは不服なようだ。
「それはさすがに無理ですよ。そんなことをすれば、また造反者が出てしまいます」
「ニコルはご自分の領地を探られるのは嫌なのですか?」
「それはないですよ。別に隠すものだってないし、備蓄量だってきちんと申告していますから。エルマンだって、シメオンだってそうだよね?」
 反対意見を述べるニコルに質問を投げかけると、予想通りの答えが返ってきた。
 ルチアはわかっているというように頷き続ける。
「今のところ、多くの国土が直轄地もしくは預かりとなっているので、アーキレイ伯爵が領地転換させられた今、叛(はん)意(い)を抱くほど気概のある方がいるのでしょうか? 不満はあっても、おとなしく受け入れるかと思います。もちろん、先に実力行使も厭わない旨を伝えていないといけませんが」
「えー、意外だな。奥方ってけっこう好戦的だったんですね」
「どちらかというと、戦わないための戦略です。今ならまだ戦わずして諸侯を征服することが可能なはずですから」
「なるほどね~。確かに、僕たちがまだ『悪魔』だから、従うってことか。僕としては全然戦うのもありだけどな~」
 ルチアとニコルのやり取りを、ジュストもエルマンも黙って聞いていた。
 シメオンは当然何も言わない。
 ただ、四人ともがルチアの新たな一面を目にして、先ほど以上に驚いているのは確かだった。
 ルチアとしてはジュストに幻滅されていないか心配ではあったが、この国が――ジュストがもう争いに身を置かなくてもいいようにしたかったのだ。
 そのため、前世知識である江戸幕府開府や歴史上長く続いた国の施策を参考に思案していたのだった。
「それでは、もし過剰な財産が見つかった場合、どうするのですか? 没収などすれば、さすがに黙ってはいないと思いますが?」
「それは……」
 納得したらしいニコルに続いて、エルマンが質問を口にした。
 答えかけたルチアがちらりとジュストを見ると、励ますような笑みを向けてくれる。
 どうやらジュストは呆れも幻滅もしていないらしい。
 それがわかっただけでまたルチアは勇気を得ることができた。
「没収はしませんが、支出はしてもらいます」
「支出?」
「ええ。この国にはまだまだ復興に時間もお金も労働力さえかかります。今まで静観していた諸侯たちは十分に力を温存しているでしょうから、国土整備のために金銭的人的支援をしていただくつもりです」
「それを素直に……するしかないんですね」
 エルマンは諸侯たちが素直に従うのかと言いかけて、ルチアの笑みから悟った。
 ニコルに説明したのと同じ、武力で脅しをかけるのだ。
 どうやらみんな理解してくれたらしいと感じたルチアは、実行してもらうための説得をすることにした。
 この先、もうジュストたちが戦わないですむように、復興に力を入れ、国を発展させるために必要なことはする。
 ルチアは四人をゆっくり見回すと、すうっと息を吸って話し始めた。
「この国の名は、バランド王国です。バランド国王であるジュスト様の国なのです」
 そうきっぱり言い切ると、エルマンたちははっと息をのんだ。
 三人でさえこの国の形がぼんやりとしたものになっていたのだろう。
「バランド王国が建国されてから長い年月が経ち、諸侯たちの中には王家への恩義も忠誠も忘れ、王家より賜った土地だけでは飽き足らず、さらにと欲を出した者、管理を怠っていた者もおりました。ですが、ジュスト様はバランド王家直系だからというだけでなく、ご自身のお力で勘違いした者たちを正された。まぎれもなく王なのです。ですから、諸侯には改めて己の地位も財産も、王家より賜ったものなのだと自覚してもらわなければなりません。そして、このたびの検分は諸侯たちの忠誠心を測るためにも必要なことなのです。そしてそのことを先にそれとなく通達しておけば、皆こぞって協力してくれるのではないでしょうか?」
 そこまで一気に告げたルチアは、大きく息を吐き出した。
 バランド王国の成り立ちを様々な歴史書で学び、改めてこの国を治めていくためにも、諸侯への意識改革も必要だと思ったのだ。
 本来なら四人だけでなく、もっと多くの者たちからの意見を取り入れてこそ国はよくなるだろう。
 ただ、今は急ぎ立て直しが必要であり、悠長にしていられない。
 何より、ジュストたちなら大丈夫だと、民にこれ以上の犠牲を強いることはないと確信があるからだった。
「――感服いたしました」
 しばらくの沈黙の後、エルマンのきっぱりとしたひと言とともに、ニコル、シメオンまでもが立ち上がって深々と頭を下げた。
 突然のことで目を丸くするルチアの膝に置いた手に、ジュストが手を重ねる。
 はっとしてジュストを見れば、また温かな眼差しが向けられていた。
「ありがとう、ルチア。これほどに励まされた言葉はない。私は――私たちは大義の下に多くの者たちを殺めてきた。それが許されるとは思わない。それでも、今の言葉でどれだけ救われたか……」
「ジュスト様……」
 ルチアは皆が認めてくれたことが嬉しかった。
 そして何よりジュストを少しでも助けることができたのなら、勇気を出してよかったと心から思えた。
 ジュストはルチアの手を取り、その甲に口づける。
 その碧い瞳には温かさと優しさ、そして愛があった。
「はいはーい。イチャイチャするのは後でいいですか~? ひとまず話し合いを進めません?」
「あ、す、すみません……」
「大丈夫でーす。これはもう僕の役目だと思ってますので」
 見つめ合うルチアとジュストの間に割り込むように、ニコルの声が響いた。
 慌ててルチアはジュストから手を離し、顔を赤くして俯く。
 ジュストは残念そうに息を吐いて、ニコルをじろりと見た。
「やはりニコルは馬に蹴られるな」
「僕の愛馬はそんなことしませんよ」
 ジュストがぼやくように言うと、ニコルがニコニコしながら答える。
 エルマンはやれやれといった調子で大きくため息を吐き、シメオンは無言で席に戻った。
 それからは、ルチアの提案――北部地方への備蓄補充と諸侯の財産についての調査について、詳細を詰めていく。
「――財産を没収するわけではないということを強調する必要がありますね」
「はい。そのうえで、隠し立てするなら発覚した時には没収……また処罰も辞さないといったところでしょうか」
「でも今まで自分のものだと思っていたものを、いきなり見せろって言われたら、やっぱり反発しますよね? アーキレイ伯爵が力をなくした今でも、元アーキレイ伯爵派として水面下で協定を結んでいたやつらがいますから、また手を組んだら厄介ですよ?」
「だが、彼らは実際のところ利害関係が一致しただけの集まりでしかない。アーキレイ伯爵が抜けた今は烏合の衆にもならないだろう」
 北部地方への備蓄補充の手配について協議した後。
 次は各諸侯への資産状況の調査についての話し合いに移っていた。
 シメオンは今のところ一度も発言していないが、しっかり聞いているのはわかる。
「だとすれば、さっさと仲間割れさせればいいんですね」
「仲間でさえないですからね。すぐに割れますよ」
 ニコルが明るく言えば、エルマンが微笑んで答えた。だが、その笑顔が怖い。
 おそらく、お互いを疑心暗鬼に陥らせて、さっさと国王に与(くみ)するように仕向けるのだろう。
 ルチアは見なかったことにして、諸侯たちの財産――特に備蓄について触れた。
「ひとまず備蓄量を正確に把握し、領地に必要数だけ残した後は国へ寄付していただきましょう」
「え? 普通に無茶振りですね!」
 ルチアもまた微笑んで提案すると、ニコルが突っ込む。
 しかし、ジュストは真面目に受け取って問いかけた。
「そのように通達するのは簡単だが、果たして諸侯が応じるだろうか」
「ですが、アーキレイ伯爵は転封――領地転換するにあたって、伯爵領の備蓄をすべて王家に寄付してくださいましたよね? そのことをお伝えすれば、皆様も続いてくださるのではないでしょうか?」
「奥方、それって脅しって言うんですよ」
「事実を伝えるだけなのに?」
 ルチアが答えれば、ニコルがニコニコしながら指摘する。
 そこでわざとらしく驚いてみせると、ニコルだけでなくジュストもエルマンも笑った。
 シメオンもにやりと笑いながら、「父に伝えておきます」と言う。
「この国は、あちらこちらに内乱の爪跡が残り、ジュスト様たちは復興に力を注いでいらっしゃいます。ですが、皆様方だけでは限界があります。そこで、先ほども申しました通り、呑気に領地にこもっていらっしゃった方々にも協力していただくべきなのです。もちろん、資金も人員も諸侯持ちで。耕作地の整備にはすでに取りかかっていますから、次にやるべきなのは街道や河川の整備かと思います。そのためにも、もう一度改めて国土の見直し――防衛に秀でた都市作り、国作りの計画が必要ではないでしょうか」
 ルチアは前世の歴史の授業で習った『天下普請』を参考に提案した。
 前世での父に連れられて、興味もないお城巡りをしたことを思い出す。
 江戸城――皇居は当然のこと、名古屋城や大阪城などなど多くのお城見学はしたが、その近くにあるテーマパークには一度も連れていってもらえなかったのだ。
 あの時はまったく興味なく、お城だけでなく、川や埋め立てられたというただの土地を見るだけの退屈な旅だった。
 正直なところ、本気で学んでいたところで大きく役に立てたとは思わない。
 ただあの施策が幕府の権威誇示であり、外様大名たちの経済的負担によって力を削ぎ、忠節の証を立てさせる目的でもあったことは覚えている。
 それと同じように、この国でも諸侯たちの力を削いで中央集権国家になれば、内乱など起きないのではないかと考えたのだ。
「ルチアの言うことはもっともだろう。当然ながら、諸侯たちを命令に従わせるために慎重に動かなければならない。また、復興と国作りのための綿密な計画は必須条件だ。かなり神経を使いはするが、幸い頭と度胸だけですむ。私たちの少ない資金と頼もしい兵たちを動かさないですむなら、安いものだ」
 ルチアに賛同して、冗談交じりにジュストがエルマンたちに語りかけると、三人も同意する。
 だがそこで、珍しくシメオンが口を開いた。
「奥様は……都市作りだけでなく、国作りとおっしゃいましたが、防衛が必要だと思うのですか?」
「そうですね。今すぐ、というわけではありませんが、このバランド王国が二国に――オドラン王国とウタナ王国に接している以上は油断できないと思います」
 シメオンの鋭い問いに答えたのは、まだジョバンニの婚約者としてオドラン王国の王宮内で過ごしていた時に得た情報があったからだった。
 ウタナ王国では数年前に先王が崩御し、その息子が即位したのだが、新王となった息子は王太子だった兄を弑(しい)して玉座を手に入れたらしい、と。
 当時、オドランの政務官たちはいよいよウタナ王国が動き出す、と戦々恐々としていたのだが、幸いにして何もなかった。
 しかし、長く内乱が続いていたこのバランド王国には、何か仕掛けてきていたのかもしれない。
 ウタナ王国との国境はシメオンの実家であるケーリオ辺境伯が守ってくれていたからこそ、何事もなかったように見えているだけなのかもしれなかった。
 もしくは、ウタナ国内の情勢が落ち着いたからこそ、国外へと目を向け始めた可能性もある。
 そこでルチアは、シメオンに問い返した。
「シメオンは何かお聞きになっているのですか?」
 すると、シメオンはちらりとジュストを見てから頷いた。
「国境の駐屯兵の数が増えました」
「まさか侵攻の準備をしているということですか?」
「まだわかりません」
「そうですか……」
 はっきりはわからないが怪しい動きをしているということだ。
 なぜ冬を迎えるこの時期に、と思い、ルチアははっとした。
「アーキレイ伯爵に何か不審な動きはありませんか!?」
 そう問いかけたルチアに、シメオンだけでなく、ジュストもエルマンもニコルも驚いたようだ。
 この話し合いの時間だけで、ルチアはもう何度も皆を驚かせている。
 そこでルチアは気づいた。
「ひょっとして、私とウタナ王国が繋がっていると疑っているのですか?」
 アーキレイ伯爵を今の領地へ――ケーリオ辺境伯領の隣へと転封するように提案したのはルチアだった。
 もしウタナ王国側が侵攻を開始した後、アーキレイ伯爵がジュストたちを裏切り挙兵すれば、ケーリオ辺境伯ははさみ打ちになってしまう。
 さすがに勇猛果敢と言われる辺境伯軍もかなり不利な戦いを強いられる。
 しかもルチアは、貴重な兵たちを辺境伯領とは逆の北部地域に向かわせることまで提案したのだから、怪しいことこの上ない。
 責められるか問い詰められるかと思ったルチアだったが、我に返ったらしいジュストが慌てて否定した。
「違う違う! ルチアを疑ってはいない!」
「そうなんですか?」
「ああ。確かに、ウタナ王国の話が入ってきた時はほんの一瞬だけ皆の頭をかすめはしたが、すぐにないと結論が出た」
「それはダメです。もっと疑ってください」
「え?」
 ジュストの言葉は嬉しかったが、それとこれとは別である。
 ルチアがジュストを窘めると、ニコルが噴き出した。
 エルマンもシメオンも笑っている。
「皆さんもですよ?」
「はい。失礼ながら、ジュスト様とともに疑わせていただきました。ほんの一瞬、というのはジュスト様の嘘なので、後で苦情をおっしゃってください」
「ルチア、すまない」
「いえ、安心しました。でも、本当に大丈夫だと思うのですか?」
 疑われて喜ぶというのも変な話だが、ジュストが為政者として正しくあることが嬉しかった。
 エルマンの言葉に安心したルチアと違って、ジュストはしゅんとしている。
 それがまた可愛いと思い、そういえば訊かなければと思い出した。
 ただし、それは後だ。
「ちゃんと私が裏切り者じゃないっていう根拠を教えてください」
「それって疑われている本人が言うことじゃないですよ」
 ルチアは真剣に言ったのだが、ニコルの突っ込みが入る。
 今度はジュストも笑い、ルチアまでおかしくなってしまった。
「……アーキレイ伯爵がウタナ王国と内通していたとして、このたびの措置は逆効果だろう? たまたまケーリオ辺境伯に近い土地に移ってもらうことになったが、今の伯爵には腹心の部下もいなければ、馴染みの従僕さえいない。財産も私兵もすべて私たちの管理下にある。そして今現在、エルマンの信頼する部下に四六時中監視されているんだ。もしルチアが仕組んだのだとしたら失策すぎて心配になるくらいだよ」
「なるほど……」
「私たちが先ほど驚いたのは、ウタナ王国の動きを知ってすぐにアーキレイ伯爵を疑ったことだ。軍事に精通しているならともかく、普通の令嬢はそこまで考えが及ばない……と思っていたのは偏見だったようだ」
「いえ、それはたぶん私が……可愛げがないですよね」
 しばらくしてジュストがルチアの疑いが晴れた理由を説明してくれたが、皆が驚いた理由まで話してくれた。
 その内容に、ルチアは何と答えればいいのかわからず、ジョバンニたちによく言われた言葉を口にした。
 自分が普通の令嬢ではない、前世の記憶があり、知識の底上げをしているとは言えなかったのだ。
 ところが、ジュストは優しく微笑んでルチアの頬に触れた。
「ルチアはこんなに可愛いのに、何を言っているんだ? 可愛くて賢くて優しい素敵な女性だということを、ルチアはちゃんと自覚したほうがいい。気をつけないと、悪いやつに利用されてしまいかねない」
「たとえば『悪魔』と呼ばれる王様とかですかね?」
 ジュストの優しい碧色の瞳に見つめられると、ルチアはぼうっとしてしまう。
 心が一気にジュストでいっぱいになってしまうのだ。
 しかし、すぐにニコルの声で我に返った。
 ニコルはニコニコしているが、なぜか笑っているように見えない。
「とりあえず、今日はここまでにして、僕たちのいないところで思う存分イチャイチャしてくれませんか? ジュスト様は明日の朝まで予定もなかったですよね?」
「いや――」
「ありませんでした! だよね、エルマン?」
「あー、ええ」
 またまたニコルに突っ込まれて恥ずかしくなっていたルチアだったが、さらに続いた言葉でニコルが何をにおわせているのかわかって顔が熱くなる。
 だが、ジュストが乗り気でないこともわかってしまった。
 ニコルとエルマンに気を遣わせてしまっていることが居たたまれなくて、ルチアは気づかないふりをして話題を変えた。
「そうだ! 私はジュスト様が可愛いと思うんですけど、皆さんはどう思います?」
「……はい?」
「ええ?」
「…………」
 昼食の時の約束通り、ルチアは質問してみたが、三人とも似たような反応だった。
 要するに、あり得ないといった感じである。
「ほら、違うだろう? 私が可愛いはずがない」
「いいえ、そんなことはないです。かっこいいと可愛いが八対二ってところです!」
「いやいやいや、ないですよ! ジュスト様はかっこいいと頼もしいが半々ですね」
 三人の反応にジュストは得意げにルチアに言うのだが、こういうところが可愛いと自覚がないらしい。
 そのため、ルチアが言い張ると、ニコルが割り込んで主張してきた。
「確かに、頼もしいもありますね。では、かっこいいと可愛いと頼もしいで、八対二対十でどうでしょうか?」
「え? 割合じゃなくて相対的ですか?」
「褒めてくれるのは嬉しいが、そろそろやめてくれないか」
 ルチアが負けずに主張すると、ニコルがわざとらしく驚き、ジュストが照れながら止めに入る。
 それがまた可愛いのに、皆は何も思っていないようだ。
 見る目がないなとルチアは思いながら、皆と一緒に笑ったのだった。
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