幽霊令嬢と『視える』王子様~婚約者を奪われたので自殺した令嬢、霊媒体質の第二王子にまとわり憑く~

プロローグ

 ……わたし、どうしてこんな所にいるのかしら?

 メルはいつの間にやら街角に佇んでいる自分に気付き、首を傾げた。
 ここは、ハイランド王国の首都、ミストシティの中央大通り(セントラル・ストリート)だ。
 その起点である国立美術館の前にメルは立っていた。

 訳が分からず呆然と立ち尽くしていると、背後から歩いてきた通行人が、メルの体を通り抜けて行った。

(えっ……?)

 メルはギョッと目を見張る。

(なに、今の……)

 唖然とする間にも、次の通行人がメルの体を通過して行く。

(えええっ!?)

 慌ててメルは自分の体に触れてみた。すると、顔や体には問題なく触れる。
 でも自分以外のものは駄目なようだった。
 至近距離にあった街灯の鉄柱にも郵便ポストにも触れない。するりとすり抜けてしまう。

 メルは自分の体を点検した。そして、全身が半透明になって透けているのに気付く。
 しかもよく見ると、足元は浮いていて地面についていない。

「やだ、なにこれ!」

 歩こうとしてもうまく歩けない。その代わり、行きたい方向を思い浮かべれば、宙に浮いたまま体が移動した。前後左右だけでなく上に浮かんだり、下に降りたり自由自在でちょっと楽しい。

 だが、はたと気付く。楽しんでいる場合ではなかった。

(……これじゃ、まるで幽霊じゃない)

 呆然とたちつくしていると、三人目の通行人が自分の体を通過していった。

「待って!」

 メルはその通行人の紳士を追い掛けて声を掛けてみるが無視された。

「あの、すみません」
「この声、聞こえますか……?」
「待って! お願い!」

 周囲にいた何人かに手当たり次第に声を掛けたが紳士と同様の反応だった。大通りを行き交う通行人の誰もメルを認識してくれない。

 どうしてこんな状態になったんだろう。青ざめながらメルは記憶を探る。そして更に顔色を悪くした。

 何も思い出せない。思い出せたのは、メルという自分の名前、それから、自室のベッドの天蓋から紐をぶらさげて首吊り自殺を図った記憶の二つだった。

(待って、何で私自殺なんか)

 いや、それよりも、こんな記憶があるという事は幽霊確定ではないか。

(嘘でしょ……)

 慌ててメルはどうして自殺したのかを思い出そうとした。
 すると、胸が張り裂けそうになるほどの悲しみが心の奥底から湧き上がってきた。

(……婚約者に裏切られたんだわ)

 メルには大好きな婚約者がいた。
 顔も名前も思い出せない。だけど優しくて格好良かった事はおぼろげに覚えている。
 赤毛の青年で、メルは彼の髪の毛が太陽の光を浴びると、朱金に煌めくのを見るのが好きだった。

(でも、彼は幼馴染みと……)

 メルには子供の頃から姉妹のように仲良くしていた幼馴染みの女性がいた。
 彼は気が付いたら彼女に心変わりしていたのだ。

 彼女の顔も名前も思い出せない。だけど、自分よりずっと美人でお金持ちだったのは確かだ。
 プラチナブロンドに、澄み切った青空のようなセルリアンブルーの瞳を持つ、華奢で儚げな女性だった。

『すまないメル、僕は彼女を愛してしまったんだ』

 婚約者が心変わりを突き付けてきた時の様子を思い出すと、胸が張り裂けそうに痛んだ。

 家族は激怒して慰めてくれたけど、その裏切りがどうしても悲しく、受け入れられなくてメルは衝動的に――。

(馬鹿だわ、私)

 どうして自分から死を選んだりしたのだろう。
 記憶が曖昧な今は、馬鹿な事をしたという感情しか湧かない。
 メルは半透明に透ける手を見つめて、ため息をついた。

 これからどうしよう。
 急に孤独感を覚え、メルは辺りを見回した。

 大通りを挟んだ向かい側にある銀行の前に、メルと同じように半透明の人物が(たたず)んでいるのが見えた。くたびれた格好をした中年の男性だった。

 メルはふわりと宙に浮かぶと大通りを渡った。
 大通りは馬車が行き交い結構な交通量だが、事故を気にせず渡れるのは便利だ。

 しかし、男性に近付いたメルは、ぴたりと空中で制止した。
 彼が明らかに普通ではない雰囲気を漂わせていたからだ。

 男性は地面の一点を凝視し、虚ろな目でぶつぶつと何事か呟いている。
 これはお近付きになってはいけない人種だ。メルはそそくさとその場を離れた。



(どうしよう、困ったな……)

 ふわふわと浮かびながら大通りを移動すると、街角のあちこちに半透明の人が立っているのが見えた。
 だけど、どの人もさっきの中年男性と同じように何かつぶやいているか、ぼんやりと立っているかで、とても意思疎通できるような雰囲気ではなかった。

(同じ幽霊とも話ができないだなんて)

 メルは寄る辺ない気持ちに襲われ、悄然と肩を落とす。

 この中央大通りの終点は、ハイランド王の住まいであるローザ・ミスティカ宮殿である。
 気が付いたらメルは、宮殿の玄関口である立派な門の前にたどり着いていた。

 門の左右には近衛兵が立っている。直立不動の兵士は、近くで子供が悪戯をしても微動だにせず、表情も変えない事で有名だ。

 宮殿は、当然ながら特別な許可や理由がなければ入れない。

(でも、今の私なら……)

 ふと好奇心が湧いた。

 こんな体になって、記憶も曖昧で、何をしていいのかわからないのだ。この際だから、普通は入れない場所に入り込んで、あちこち見て回ってもいいのではないだろうか。

 宮殿には、王家が所有する様々な宝物や美術品の数々が眠っているはずだ。

 また、この宮殿の名前、『ローザ・ミスティカ』は、古語で『()しき薔薇』を意味する言葉だ。立派な門の中には、その名の由来となった見事な薔薇園が存在すると言われている。

 そこでは特別な薔薇が栽培されている事でも有名だ。ハイランド王家が何年もかけて品種改良を繰り返して作り出した『奇蹟の青薔薇』である。
 最高級のサファイアのように深みがあり、上品な青い花弁を持つこの薔薇は、宮殿と同じ『ローザ・ミスティカ』と名付けられた。

 ローザ・ミスティカは国花であり、王家の紋章にも使用されている貴重な薔薇で、王族の結婚式や葬儀など、特別な行事の時だけお披露目される。

 栽培には神気――神の末裔たる王族や、高位の貴族・聖職者だけが扱える聖なる力――が必要と言われており、宮殿の外ではどう頑張っても根付かないらしい。その事実がこの薔薇の希少性と神秘性を高めていた。

(見てみたいな)

 直近だと八年前のライナス王太子の結婚式で用いられているはずだが、たぶん生で見た事はないと思うのだ。

 メルは、近衛兵に守られた宮殿の門をじっと見つめた。
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