幽霊令嬢と『視える』王子様~婚約者を奪われたので自殺した令嬢、霊媒体質の第二王子にまとわり憑く~
展覧会にて 01
ギルバートはやっぱりお人好しだ。メルは目の前を歩く彼の姿に、そう思わずにはいられなかった。
現在、メルはギルバートと一緒に、会員制の画廊で開催されている絵画の展覧会を訪れていた。
絵に興味を示すから、おそらく気遣ってくれたのだろう。彼の方から誘ってくれたのだ。
ただし、『独り言をつぶやく怪しい人間になりたくない』という理由で、二人きりの時以外は話しかけてはいけない事になっている。
展覧会には、若い画家の作品ばかりが集められていた。
斬新すぎてよくわからないものから、素人目にも(素敵だな)と思うものまで、様々な作品が揃っていてなかなか面白い。
(わあ……この絵、天然のウルトラマリンブルーが使われてる。この画家はお家が裕福なのかしら……?)
近年の科学技術の急速な発展は、絵画の世界にも革命をもたらした。
化学染料が開発される前に用いられていたウルトラマリンブルーの絵の具は、ラピスラズリを砕いて作られており、かつては金よりも高値で取引されていたと聞く。
化学染料で作られた絵の具の方が青の色味は鮮やかだが、天然ウルトラマリンブルーの青は渋さの中に深みと奥行きがあって人目を惹き付ける。
メルはふと考えた。
一目見て区別がつくという事は、きっと記憶を失う前の自分は、絵や画材に詳しかったのだろう。
ギルバートがこの展覧会に招待されたのは、恐らく芸術家の教育機関である王立芸術院や、国立美術館の理事を務めているからだ。
絵を趣味とする次男に、ウォルター王は文化活動の振興に関する公務を多めに割り振っているらしい。
ちらりとギルバートを見ると、彼は、展覧会を主催する画商から説明を受けながら、真剣な表情で絵に見入っていた。
「……そうなんですね。勉強になります」
ギルバートはメルやルイスに対する時とは違い、丁寧な態度で画商と会話を交わしている。
会場内は第二王子の来訪を受け、警備上の理由から貸切状態になっているので、彼らの会話がよく聞こえてきた。
それを聞き流しながら、メルは彼から離れて順番にじっくりと絵を鑑賞していく。
「アルマン・クレオールの絵が!?」
そんなギルバートの声が聞こえてきたのは、一通り絵を見終えたので彼の近くに戻ろうとした時だった。
「ここだけの話なんですが、誰よりも早く殿下にお知らせしたいと思いまして……もしよろしければご覧になりますか?」
アルマン・クレオールは、東側の隣国、ノルトライン王国で百年ほど前に活躍し、一時代を築いた画家である。
映像のような写実的な手法と綿密な空間構成、そして光による巧みな質感表現を得意とした巨匠だ。
ギルバートは興味深そうに画商の話を聞いている。
「……そうですね。見せていただけるのなら、是非」
彼は絵を見に行くようだ。
クレオールの絵なら自分も見てみたい。そう思ったので、メルは慌ててギルバートの背中を追いかけた。
◆ ◆ ◆
画商は商談用だという応接室にギルバートを案内した。
王子様である彼には常に警護役の近衛兵が複数名付き従っている。入室すると、兵達は入口近くを陣取った。
「こちらへ」
画商はギルバートにソファを勧めると、その近くに設置されたイーゼルの隣に移動した。イーゼルには絵が飾られているようだが、上から布が被せられている。
「こちらがクレオールの絵画になります」
画商はイーゼルを覆う布を取り払った。すると、その下から、赤いドレスを身につけた黒髪の女性の肖像画が姿を現す。
異変が起こったのはその時だった。
ぶわっと漆黒の靄が絵から湧き出した。
その大量の靄は、瞬く間にギルバートの体を包み込む。
「瘴気!?」
驚きの声を上げたのは近衛兵だろうか。
「全員退避を! もし逃げられたら大聖堂に連絡を……」
ギルバートが焦った表情で叫んだ。メルは驚きに硬直して動けない。気が付いた時には黒い靄に取り囲まれていた。
(なんなの、これ……)
青ざめた次の瞬間――。
(うそっ)
メルの体は突如強い力に引っ張られた。その力は、肖像画があった方向から働いているようだ。
(嫌っ!)
メルは自分を引っ張る力に反射的に抗った。
黒い靄の持つ禍々しい雰囲気に、本能的な恐怖が呼び覚まされる。
そして悟った。きっとこれは悪魔か悪霊の仕業だ。絵の中にメルを引きずり込もうとしているに違いない。
必死の抵抗も虚しく、メルは少しずつ絵の方向に引き寄せられる。
ああ、これは無理だ。
メルは諦めると、目をギュッと閉じた。
現在、メルはギルバートと一緒に、会員制の画廊で開催されている絵画の展覧会を訪れていた。
絵に興味を示すから、おそらく気遣ってくれたのだろう。彼の方から誘ってくれたのだ。
ただし、『独り言をつぶやく怪しい人間になりたくない』という理由で、二人きりの時以外は話しかけてはいけない事になっている。
展覧会には、若い画家の作品ばかりが集められていた。
斬新すぎてよくわからないものから、素人目にも(素敵だな)と思うものまで、様々な作品が揃っていてなかなか面白い。
(わあ……この絵、天然のウルトラマリンブルーが使われてる。この画家はお家が裕福なのかしら……?)
近年の科学技術の急速な発展は、絵画の世界にも革命をもたらした。
化学染料が開発される前に用いられていたウルトラマリンブルーの絵の具は、ラピスラズリを砕いて作られており、かつては金よりも高値で取引されていたと聞く。
化学染料で作られた絵の具の方が青の色味は鮮やかだが、天然ウルトラマリンブルーの青は渋さの中に深みと奥行きがあって人目を惹き付ける。
メルはふと考えた。
一目見て区別がつくという事は、きっと記憶を失う前の自分は、絵や画材に詳しかったのだろう。
ギルバートがこの展覧会に招待されたのは、恐らく芸術家の教育機関である王立芸術院や、国立美術館の理事を務めているからだ。
絵を趣味とする次男に、ウォルター王は文化活動の振興に関する公務を多めに割り振っているらしい。
ちらりとギルバートを見ると、彼は、展覧会を主催する画商から説明を受けながら、真剣な表情で絵に見入っていた。
「……そうなんですね。勉強になります」
ギルバートはメルやルイスに対する時とは違い、丁寧な態度で画商と会話を交わしている。
会場内は第二王子の来訪を受け、警備上の理由から貸切状態になっているので、彼らの会話がよく聞こえてきた。
それを聞き流しながら、メルは彼から離れて順番にじっくりと絵を鑑賞していく。
「アルマン・クレオールの絵が!?」
そんなギルバートの声が聞こえてきたのは、一通り絵を見終えたので彼の近くに戻ろうとした時だった。
「ここだけの話なんですが、誰よりも早く殿下にお知らせしたいと思いまして……もしよろしければご覧になりますか?」
アルマン・クレオールは、東側の隣国、ノルトライン王国で百年ほど前に活躍し、一時代を築いた画家である。
映像のような写実的な手法と綿密な空間構成、そして光による巧みな質感表現を得意とした巨匠だ。
ギルバートは興味深そうに画商の話を聞いている。
「……そうですね。見せていただけるのなら、是非」
彼は絵を見に行くようだ。
クレオールの絵なら自分も見てみたい。そう思ったので、メルは慌ててギルバートの背中を追いかけた。
◆ ◆ ◆
画商は商談用だという応接室にギルバートを案内した。
王子様である彼には常に警護役の近衛兵が複数名付き従っている。入室すると、兵達は入口近くを陣取った。
「こちらへ」
画商はギルバートにソファを勧めると、その近くに設置されたイーゼルの隣に移動した。イーゼルには絵が飾られているようだが、上から布が被せられている。
「こちらがクレオールの絵画になります」
画商はイーゼルを覆う布を取り払った。すると、その下から、赤いドレスを身につけた黒髪の女性の肖像画が姿を現す。
異変が起こったのはその時だった。
ぶわっと漆黒の靄が絵から湧き出した。
その大量の靄は、瞬く間にギルバートの体を包み込む。
「瘴気!?」
驚きの声を上げたのは近衛兵だろうか。
「全員退避を! もし逃げられたら大聖堂に連絡を……」
ギルバートが焦った表情で叫んだ。メルは驚きに硬直して動けない。気が付いた時には黒い靄に取り囲まれていた。
(なんなの、これ……)
青ざめた次の瞬間――。
(うそっ)
メルの体は突如強い力に引っ張られた。その力は、肖像画があった方向から働いているようだ。
(嫌っ!)
メルは自分を引っ張る力に反射的に抗った。
黒い靄の持つ禍々しい雰囲気に、本能的な恐怖が呼び覚まされる。
そして悟った。きっとこれは悪魔か悪霊の仕業だ。絵の中にメルを引きずり込もうとしているに違いない。
必死の抵抗も虚しく、メルは少しずつ絵の方向に引き寄せられる。
ああ、これは無理だ。
メルは諦めると、目をギュッと閉じた。