幽霊令嬢と『視える』王子様~婚約者を奪われたので自殺した令嬢、霊媒体質の第二王子にまとわり憑く~
幽霊令嬢と舞踏会 02
舞踏会もずっと見ていると飽きてきたので、メルは大広間を出る事にした。
ギルバートからは、あらかじめ彼が把握している大使館内のクレオールの絵画の展示場所を教えてもらっている。それを順番に見て回ろうと思ったのだ。
まずは大広間から玄関ホールに続く廊下だ。そこはギャラリーになっていて、ノルトラインの芸術家の手による絵画や彫刻が飾られていた。
メルは順番に美術品を見て回った。
そして、舞踏会の様子を切り取った絵画を発見し、大広間でのギルバートの姿を思い出して苦笑いを浮かべる。
ミリアムと一曲踊り終えたギルバートは、クラーセン男爵夫人にダンスを申し込んでいた。
この舞踏会への出席は、彼にとっては公務である。
招待側の女主人である男爵夫人を誘うのは半ば義務だ。
とはいえ王子様も大変だ。握手の時の様子を見るに、心の中では嫌々だったに違いない。
しかし彼は笑みを絶やさず、紳士的に男爵夫人をリードしていた。そんな彼を見つめる夫人の蕩けた表情は、ちょっと気持ち悪かった。
親子といってもいいくらい年齢の離れたマダムまで惹き付けてしまうなんて罪な容貌である。
ギルバートに同行していた警護役の近衛兵やルイスも、メル同様同情の視線を向けていた。
ちなみに夫人の夫であるクラーセン男爵は、ミリアムと踊って鼻の下を伸ばしていたから似た者夫婦である。
◆ ◆ ◆
(あら?)
ここはどこだろう。
廊下の美術品を追ううちに、メルは気が付いたら大使館の奥の方に入り込んでしまっていた。
(うーん、確かこっちから来たはず……)
メルは記憶を辿りながら元きた道を戻る。
鑑賞した美術品を追いながらなら問題なく戻れるはず。
と、思っていたのだが――。
(困ったわ……)
どこかで曲がる所を間違えたらしい。
大使館は増改築を繰り返した建物らしく、迷路のようになっていて、なかなか元の大広間にたどり着けない。
(一度外に出て、玄関から入り直した方がいいかしら)
玄関ホールから大広間までの道順は何となく覚えている。
そう思って壁を抜けようとした時だった。
廊下の曲がり角から、ぐったりとした女性を横抱きにかかえた若い男が現れた。二人とも正装だから舞踏会の招待客だろう。
女性のドレスに見覚えがあったので、メルは首を傾げた。
銀糸の織り込まれた淡い水色の生地に、無数のクリスタルガラスが縫い付けられ、光を反射して銀色に煌めく涼しげなドレスは、確かミリアムが着用していたものだ。氷の精霊みたいだなと思ったから覚えている。
女性の髪はギルバートによく似た波打つ金色だし、恐らく間違いないだろう。
不審に思ったメルは、男女に近付いた。
男が誰かはわからないが、女性はメルの推測通りミリアムだった。
彼女は目を硬く閉じて男に身を任せている。どうやら眠り込んでいるようだ。
その姿にメルは違和感を覚え、眉間に皺を寄せる。
(どうして護衛も侍女も連れていないの?)
未婚の王女であるミリアムには、必ず誰かしらが身辺警護のために付き従っているはずだ。
しかも彼女は、国内の有力貴族と婚約中の身である。こんな場所で若い男性と二人きりになるなんてありえない。
男は曲がり角のすぐ傍にあった扉を、ミリアムを抱えたまま器用に開いた。
扉の向こうは誰かの私室のようだった。
ぎっしりと本の詰まった本棚やら、大きなベッドが設置されている。
メルは男を追いかけて、するりと部屋に入り込んだ。
男はミリアムをベッドに横たえてから、扉に鍵をかけに行った。
メルはベッドに近付くと、ミリアムの様子を窺った。
彼女はすうすうと寝息を立てている。
その静かな寝顔は、まるで等身大の陶器人形だ。
急に室内が明るくなった。男が室内に置かれたランプに火を灯したのだ。オレンジ色の光が間接照明となって室内を照らし出す。
彼は、笑みを浮かべながら戻ってきた。
そしてベッドに膝をつくと、ミリアムの頬に指先を伸ばし、頬を撫でる。
「ミリアム殿下、ようやく二人きりになれましたね」
男はうっとりと囁くと、ミリアムの髪に指先を滑らせ、頬に唇を落とした。
それを目撃した瞬間、メルの全身に鳥肌が立った。
どういう手段を使ったのかはわからないが、こいつはミリアムを攫ってきたに違いない。
男はすやすやと眠る彼女のドレスのスカートをたくし上げると、ビジューの付いた靴を脱がせ、あらわになった脹脛に指を滑らせた。
――気持ち悪い。
嫌悪感を覚えると同時に、メルの心に湧き上がったのは怒りの感情だ。
意識のない女性に不埒な真似をするなんて許せない。しかも彼女はギルバートの妹だ。
(ギル様を呼びに行かなくっちゃ!)
メルは急いで外に飛び出そうと方向転換した。その時、視界の端に、ミリアムの太腿に口付けながら、更に最奥に手を侵入させようとする男の姿が見えた。
「だめっ!!」
メルは思わず叫んでいた。
バァン!!
同時に何かが壊れるような音が響く。
そうだ。自分にはラップ音があったんだった。
美術品泥棒を撃退した時を思い出し、精神を集中させる。
あの時と同じように、こいつを怖がらせて追い出してやる。
バシン! バシン!
強く、大きな音が響き渡り、男はミリアムから体を離すと、きょろきょろと辺りを見回した。
「何だ……?」
もっと大きな音を立てなければ。
メルは全身に力を入れる。
すると、ガタガタと室内の家具が震え始めた。
「うわっ!」
男が悲鳴を上げた。
メルもまた驚いていた。まさか、これは自分がやったのだろうか。
「ヒッ!」
男は息を呑むと、ズザ、と後ずさりした。
その瞳はメルを捉えている――ように感じられる。
(もしかして見えているの?)
メルは大きく目を見張るが、すぐに好都合だと思い直す。
「ここから消えて! ミリアム殿下の傍から離れなさい!!」
強く叫ぶと、男は更に後退し、ベッドからもんどり打つように転げ落ちた。
ごう、と室内に強い風が吹く。
男は這う這うの体で壁際まで後退した。
すると、ちょうど頭上に飾られていた絵画が壁から落ち、男の頭を直撃する。
(これって……)
『騒霊現象』という単語が頭の中に浮かんだ。
どうしよう。また力が強くなったのかもしれない。
いや、考えるのは後だ。
メルは男の様子を確認した。
男は、項垂れた状態で壁際に座り込み、ピクリとも動かない。
気絶しているだけ……と思いたいが――。
(もし打ちどころが悪かったら……)
体が恐怖で震えた。
(ううん、今はこいつの事より、ミリアム殿下を助けなくちゃ!)
メルは気持ちを切り替えると、慌てて壁を抜けた。
ギルバートからは、あらかじめ彼が把握している大使館内のクレオールの絵画の展示場所を教えてもらっている。それを順番に見て回ろうと思ったのだ。
まずは大広間から玄関ホールに続く廊下だ。そこはギャラリーになっていて、ノルトラインの芸術家の手による絵画や彫刻が飾られていた。
メルは順番に美術品を見て回った。
そして、舞踏会の様子を切り取った絵画を発見し、大広間でのギルバートの姿を思い出して苦笑いを浮かべる。
ミリアムと一曲踊り終えたギルバートは、クラーセン男爵夫人にダンスを申し込んでいた。
この舞踏会への出席は、彼にとっては公務である。
招待側の女主人である男爵夫人を誘うのは半ば義務だ。
とはいえ王子様も大変だ。握手の時の様子を見るに、心の中では嫌々だったに違いない。
しかし彼は笑みを絶やさず、紳士的に男爵夫人をリードしていた。そんな彼を見つめる夫人の蕩けた表情は、ちょっと気持ち悪かった。
親子といってもいいくらい年齢の離れたマダムまで惹き付けてしまうなんて罪な容貌である。
ギルバートに同行していた警護役の近衛兵やルイスも、メル同様同情の視線を向けていた。
ちなみに夫人の夫であるクラーセン男爵は、ミリアムと踊って鼻の下を伸ばしていたから似た者夫婦である。
◆ ◆ ◆
(あら?)
ここはどこだろう。
廊下の美術品を追ううちに、メルは気が付いたら大使館の奥の方に入り込んでしまっていた。
(うーん、確かこっちから来たはず……)
メルは記憶を辿りながら元きた道を戻る。
鑑賞した美術品を追いながらなら問題なく戻れるはず。
と、思っていたのだが――。
(困ったわ……)
どこかで曲がる所を間違えたらしい。
大使館は増改築を繰り返した建物らしく、迷路のようになっていて、なかなか元の大広間にたどり着けない。
(一度外に出て、玄関から入り直した方がいいかしら)
玄関ホールから大広間までの道順は何となく覚えている。
そう思って壁を抜けようとした時だった。
廊下の曲がり角から、ぐったりとした女性を横抱きにかかえた若い男が現れた。二人とも正装だから舞踏会の招待客だろう。
女性のドレスに見覚えがあったので、メルは首を傾げた。
銀糸の織り込まれた淡い水色の生地に、無数のクリスタルガラスが縫い付けられ、光を反射して銀色に煌めく涼しげなドレスは、確かミリアムが着用していたものだ。氷の精霊みたいだなと思ったから覚えている。
女性の髪はギルバートによく似た波打つ金色だし、恐らく間違いないだろう。
不審に思ったメルは、男女に近付いた。
男が誰かはわからないが、女性はメルの推測通りミリアムだった。
彼女は目を硬く閉じて男に身を任せている。どうやら眠り込んでいるようだ。
その姿にメルは違和感を覚え、眉間に皺を寄せる。
(どうして護衛も侍女も連れていないの?)
未婚の王女であるミリアムには、必ず誰かしらが身辺警護のために付き従っているはずだ。
しかも彼女は、国内の有力貴族と婚約中の身である。こんな場所で若い男性と二人きりになるなんてありえない。
男は曲がり角のすぐ傍にあった扉を、ミリアムを抱えたまま器用に開いた。
扉の向こうは誰かの私室のようだった。
ぎっしりと本の詰まった本棚やら、大きなベッドが設置されている。
メルは男を追いかけて、するりと部屋に入り込んだ。
男はミリアムをベッドに横たえてから、扉に鍵をかけに行った。
メルはベッドに近付くと、ミリアムの様子を窺った。
彼女はすうすうと寝息を立てている。
その静かな寝顔は、まるで等身大の陶器人形だ。
急に室内が明るくなった。男が室内に置かれたランプに火を灯したのだ。オレンジ色の光が間接照明となって室内を照らし出す。
彼は、笑みを浮かべながら戻ってきた。
そしてベッドに膝をつくと、ミリアムの頬に指先を伸ばし、頬を撫でる。
「ミリアム殿下、ようやく二人きりになれましたね」
男はうっとりと囁くと、ミリアムの髪に指先を滑らせ、頬に唇を落とした。
それを目撃した瞬間、メルの全身に鳥肌が立った。
どういう手段を使ったのかはわからないが、こいつはミリアムを攫ってきたに違いない。
男はすやすやと眠る彼女のドレスのスカートをたくし上げると、ビジューの付いた靴を脱がせ、あらわになった脹脛に指を滑らせた。
――気持ち悪い。
嫌悪感を覚えると同時に、メルの心に湧き上がったのは怒りの感情だ。
意識のない女性に不埒な真似をするなんて許せない。しかも彼女はギルバートの妹だ。
(ギル様を呼びに行かなくっちゃ!)
メルは急いで外に飛び出そうと方向転換した。その時、視界の端に、ミリアムの太腿に口付けながら、更に最奥に手を侵入させようとする男の姿が見えた。
「だめっ!!」
メルは思わず叫んでいた。
バァン!!
同時に何かが壊れるような音が響く。
そうだ。自分にはラップ音があったんだった。
美術品泥棒を撃退した時を思い出し、精神を集中させる。
あの時と同じように、こいつを怖がらせて追い出してやる。
バシン! バシン!
強く、大きな音が響き渡り、男はミリアムから体を離すと、きょろきょろと辺りを見回した。
「何だ……?」
もっと大きな音を立てなければ。
メルは全身に力を入れる。
すると、ガタガタと室内の家具が震え始めた。
「うわっ!」
男が悲鳴を上げた。
メルもまた驚いていた。まさか、これは自分がやったのだろうか。
「ヒッ!」
男は息を呑むと、ズザ、と後ずさりした。
その瞳はメルを捉えている――ように感じられる。
(もしかして見えているの?)
メルは大きく目を見張るが、すぐに好都合だと思い直す。
「ここから消えて! ミリアム殿下の傍から離れなさい!!」
強く叫ぶと、男は更に後退し、ベッドからもんどり打つように転げ落ちた。
ごう、と室内に強い風が吹く。
男は這う這うの体で壁際まで後退した。
すると、ちょうど頭上に飾られていた絵画が壁から落ち、男の頭を直撃する。
(これって……)
『騒霊現象』という単語が頭の中に浮かんだ。
どうしよう。また力が強くなったのかもしれない。
いや、考えるのは後だ。
メルは男の様子を確認した。
男は、項垂れた状態で壁際に座り込み、ピクリとも動かない。
気絶しているだけ……と思いたいが――。
(もし打ちどころが悪かったら……)
体が恐怖で震えた。
(ううん、今はこいつの事より、ミリアム殿下を助けなくちゃ!)
メルは気持ちを切り替えると、慌てて壁を抜けた。