幽霊令嬢と『視える』王子様~婚約者を奪われたので自殺した令嬢、霊媒体質の第二王子にまとわり憑く~
星明かりのラスト・ワルツ 01
ローザ・ミスティカ宮殿は、夜でもあちこちに明かりが灯っており、庭園の様子がよく見える。
宮殿裏手の薔薇園も同様で、色とりどりの花が照明に照らし出されて美しく咲き誇っていた。
薔薇のハイシーズンは既に過ぎているが、ここでは花が絶える事がない。
宮殿を守る結界や、今なおこの地に残る、女神ハイランディアの神気が影響しているそうだ。
メルは隣を歩くギルバートの様子をこっそりと窺った。
明日はニコラス最高司祭との面会の日だ。
こうして散歩に誘ってくれたのは、きっと彼なりに別れを惜しんでくれているからだろう。
その気持ちが嬉しい。メルは笑みを浮かべると、花壇に視線を向けた。
彼のように見目麗しい異性との散歩は特別感がある。
白薔薇の回廊を抜けて、奇蹟の青薔薇――ローザ・ミスティカが咲く場所にたどり着くと、ギルバートは足を止めてメルに話しかけてきた。
「確か、初めてお前と出会ったのはこの辺りだったな」
「そうですね」
初対面の時は逃げられた事を考えると、懐かない猫を手懐けたような気分になる。
今日は新月だ。星明かりと地上の照明に照らされて、ここにしか咲かない青い薔薇が咲き誇る光景は幻想的だった。
しかも隣にいるのは、絵本の中から抜け出して来たかのような、金髪に青い瞳の王子様である。
「お前の素性なんだが……」
ぽつりとギルバートが話しかけてきた。
「ルイスに探すよう命じたんだが、時間がかかるかもしれない。本名の候補が多すぎると言われた」
「確かに愛称がメルになる名前はいっぱいありますもんね」
メリンダ、メラニー、メリッサ、メルヴィナ、メリエル――少し考えるだけでもこれだけ思いつく。
「幼馴染みや元婚約者の特徴なども伝えてはいるんだが……他に何か思い出したことはないか?」
ギルバートの質問に、メルは眉を寄せた。
「それが全然なんですよね……」
「髪留めを見た感じ、亡くなったのは最近で間違いないと思うんだけどな」
「髪留め?」
メルは首を傾げた。
「自分の事なのに自覚なしか」
「さっきも言ったじゃないですか。私の体は鏡に映らないんですよ」
一応自分の体には触れる事ができる。
メルは自分の頭に手を触れて、後頭部に何かが着いているのを確認した。
「東洋製の刺繍リボンがあしらわれている。そのタイプの髪飾りが流行りだしたのはここ数年のはずだ」
「女性の衣装にもお詳しいんですね」
「ミミの影響だな。聞いてもいないのにペラペラと話しかけてくる」
ちょっぴり迷惑そうだが、その発言からは妹への愛情が窺えた。
「殿下はご兄弟と仲がいいんですね」
「兄上とは少し歳が離れているからミミほど仲がいい訳ではないんだが……。そうだな、尊敬はしている。父上の後継者としての重圧がかかる中、立派に公務をこなされているからな」
ギルバートの兄、ライナスは現在三十歳で、彼とは六つ離れている。同じ兄弟でも、三歳差のミリアムとは距離感が違うのだろう。
メルは幼少期のギルバート達を想像して笑みを浮かべた。ウォルター王の三人の子供は、全員父親そっくりの華やかな顔立ちの美形だから、さぞかし可愛らしかったに違いない。
ふとメルの脳裏を幼馴染みの姿がよぎった。
顔も名前も思い出せない彼女とメルは、まるで姉妹のように仲良く過ごしたのを思い出したのだ。
メルは彼女を信頼していた。なんでも打ち明けられる親友だと思っていた。実の姉妹以上に仲が良くて、婚約が決まった時も、自分の事のように喜んでくれた。なのに――。
婚約者を紹介して欲しいと言われて引き合わせたのが間違いだった。
二人は知らない間にメル抜きで何度も会う仲になっていて、ある日突然、二人揃って婚約関係の解消を願い出てきた。
『――すまないメル、僕は彼女を愛してしまったんだ』
『待って、違うのよメル。私、そんなつもりは無くて……』
(何が『そんなつもりは無かった』よ。白々しい……)
当時の会話を思い出した途端、自分でも制御できない怒りと憎しみが心の奥底から湧き上がった。
その、次の瞬間――。
バン!
大きな音がなり、ごうっと強い風が吹いた。
青薔薇の花びらが散り、周囲に舞い上がる。
気が付いたら、竜巻のような暴風がメルを中心に発生していた。
「瘴気!?」
ギルバートが驚いた表情で声を発した。
「メル、いきなりどうしたんだ!」
メルは答えられなかった。やり場のない怒りと憤りが心の中で荒れ狂っている。
「どうして私があんな目に……なんで裏切ったの……」
――にくい。
きっとこの現象を引き起こしているのは自分だ。それはわかる。止めなければと思うのに、黒い感情がおさまらない。
「忘れろ! お前は悪くない!」
風から体を庇いながら、ギルバートはこちらに手を伸ばしてくる。
幽霊のメルの体は、誰とも触れ合いないはずなのに――温もりを感じた。
(え……?)
腕を掴まれている。メルは大きく目を見開いた。それはギルバートも同様だったようで、目を丸くして触れ合った部分を凝視している。
「触れる……」
彼のつぶやきが聞こえた。
また、驚いた拍子に憎しみも消え失せ、辺りを吹き荒れていた激しい風がすうっとおさまる。
――よく考えると、ギルバートには初対面の時に怖がられたから、必要以上に近付いた事が無かった。
「もしかして最初からギル様とは触れ合えたんでしょうか……?」
「……そうだったのかもしれない」
ギルバートはメルの腕から手を離すと、その手の平を呆然と見つめた。
「ごめんなさい。顔に傷が……」
暴風で舞い上がった薔薇の葉で切ったのか、ギルバートの頬には切り傷が出来て血が滲んでいた。
メルはギルバートの前に舞い降りると、その頬に手を伸ばした。すると彼はビクリと身を竦ませる。
「あ……」
「メルに触られたのが嫌だった訳じゃない! 手が冷たくて……」
メルが傷付いた表情を見せたからか、ギルバートは慌てて弁解してきた。
「冷たいんですか? 私の手……」
「そうだな。霊体だからだと思うんだが」
ギルバートはメルの指先に手を伸ばし――直前で思いとどまったのかピタリと止まった。
「……触れてみても構わないか?」
ちゃんと断って来るのが紳士的である。
「いいですよ。私もギル様に触れてみたいです」
「積極的だな」
「違います! そうじゃなくて、この体になってから誰かに触れるなんて初めてだから……」
「わかっている」
からかいたかっただけらしい。ギルバートはどこか意地の悪い笑みを浮かべながらも、メルの指先に自身の手を添えた。
「冷たいな」
「ごめんなさい。きっと私、ギル様の体温を奪ってますよね」
「不快ではないから謝らなくていい」
ギルバートは穏やかに微笑みながらメルの手を離した。
温もりが離れていって、名残惜しさを覚える。
「少し踊ってみるか? 音楽がないからステップを軽く踏むだけになるが」
「え……?」
「大使館で、踊りたそうな顔をしていたから誘ってみたんだが……」
「私、そんな顔してましたか?」
「ああ。勘違いだったか?」
「いえ、皆様すごく素敵だったから羨ましいなと思っていました。……上手く踊れるか自信はないんですけど、私で良ければ是非」
「喜んで、レディ」
思い切ってお願いすると、ギルバートはメルに手を差し出した。
宮殿裏手の薔薇園も同様で、色とりどりの花が照明に照らし出されて美しく咲き誇っていた。
薔薇のハイシーズンは既に過ぎているが、ここでは花が絶える事がない。
宮殿を守る結界や、今なおこの地に残る、女神ハイランディアの神気が影響しているそうだ。
メルは隣を歩くギルバートの様子をこっそりと窺った。
明日はニコラス最高司祭との面会の日だ。
こうして散歩に誘ってくれたのは、きっと彼なりに別れを惜しんでくれているからだろう。
その気持ちが嬉しい。メルは笑みを浮かべると、花壇に視線を向けた。
彼のように見目麗しい異性との散歩は特別感がある。
白薔薇の回廊を抜けて、奇蹟の青薔薇――ローザ・ミスティカが咲く場所にたどり着くと、ギルバートは足を止めてメルに話しかけてきた。
「確か、初めてお前と出会ったのはこの辺りだったな」
「そうですね」
初対面の時は逃げられた事を考えると、懐かない猫を手懐けたような気分になる。
今日は新月だ。星明かりと地上の照明に照らされて、ここにしか咲かない青い薔薇が咲き誇る光景は幻想的だった。
しかも隣にいるのは、絵本の中から抜け出して来たかのような、金髪に青い瞳の王子様である。
「お前の素性なんだが……」
ぽつりとギルバートが話しかけてきた。
「ルイスに探すよう命じたんだが、時間がかかるかもしれない。本名の候補が多すぎると言われた」
「確かに愛称がメルになる名前はいっぱいありますもんね」
メリンダ、メラニー、メリッサ、メルヴィナ、メリエル――少し考えるだけでもこれだけ思いつく。
「幼馴染みや元婚約者の特徴なども伝えてはいるんだが……他に何か思い出したことはないか?」
ギルバートの質問に、メルは眉を寄せた。
「それが全然なんですよね……」
「髪留めを見た感じ、亡くなったのは最近で間違いないと思うんだけどな」
「髪留め?」
メルは首を傾げた。
「自分の事なのに自覚なしか」
「さっきも言ったじゃないですか。私の体は鏡に映らないんですよ」
一応自分の体には触れる事ができる。
メルは自分の頭に手を触れて、後頭部に何かが着いているのを確認した。
「東洋製の刺繍リボンがあしらわれている。そのタイプの髪飾りが流行りだしたのはここ数年のはずだ」
「女性の衣装にもお詳しいんですね」
「ミミの影響だな。聞いてもいないのにペラペラと話しかけてくる」
ちょっぴり迷惑そうだが、その発言からは妹への愛情が窺えた。
「殿下はご兄弟と仲がいいんですね」
「兄上とは少し歳が離れているからミミほど仲がいい訳ではないんだが……。そうだな、尊敬はしている。父上の後継者としての重圧がかかる中、立派に公務をこなされているからな」
ギルバートの兄、ライナスは現在三十歳で、彼とは六つ離れている。同じ兄弟でも、三歳差のミリアムとは距離感が違うのだろう。
メルは幼少期のギルバート達を想像して笑みを浮かべた。ウォルター王の三人の子供は、全員父親そっくりの華やかな顔立ちの美形だから、さぞかし可愛らしかったに違いない。
ふとメルの脳裏を幼馴染みの姿がよぎった。
顔も名前も思い出せない彼女とメルは、まるで姉妹のように仲良く過ごしたのを思い出したのだ。
メルは彼女を信頼していた。なんでも打ち明けられる親友だと思っていた。実の姉妹以上に仲が良くて、婚約が決まった時も、自分の事のように喜んでくれた。なのに――。
婚約者を紹介して欲しいと言われて引き合わせたのが間違いだった。
二人は知らない間にメル抜きで何度も会う仲になっていて、ある日突然、二人揃って婚約関係の解消を願い出てきた。
『――すまないメル、僕は彼女を愛してしまったんだ』
『待って、違うのよメル。私、そんなつもりは無くて……』
(何が『そんなつもりは無かった』よ。白々しい……)
当時の会話を思い出した途端、自分でも制御できない怒りと憎しみが心の奥底から湧き上がった。
その、次の瞬間――。
バン!
大きな音がなり、ごうっと強い風が吹いた。
青薔薇の花びらが散り、周囲に舞い上がる。
気が付いたら、竜巻のような暴風がメルを中心に発生していた。
「瘴気!?」
ギルバートが驚いた表情で声を発した。
「メル、いきなりどうしたんだ!」
メルは答えられなかった。やり場のない怒りと憤りが心の中で荒れ狂っている。
「どうして私があんな目に……なんで裏切ったの……」
――にくい。
きっとこの現象を引き起こしているのは自分だ。それはわかる。止めなければと思うのに、黒い感情がおさまらない。
「忘れろ! お前は悪くない!」
風から体を庇いながら、ギルバートはこちらに手を伸ばしてくる。
幽霊のメルの体は、誰とも触れ合いないはずなのに――温もりを感じた。
(え……?)
腕を掴まれている。メルは大きく目を見開いた。それはギルバートも同様だったようで、目を丸くして触れ合った部分を凝視している。
「触れる……」
彼のつぶやきが聞こえた。
また、驚いた拍子に憎しみも消え失せ、辺りを吹き荒れていた激しい風がすうっとおさまる。
――よく考えると、ギルバートには初対面の時に怖がられたから、必要以上に近付いた事が無かった。
「もしかして最初からギル様とは触れ合えたんでしょうか……?」
「……そうだったのかもしれない」
ギルバートはメルの腕から手を離すと、その手の平を呆然と見つめた。
「ごめんなさい。顔に傷が……」
暴風で舞い上がった薔薇の葉で切ったのか、ギルバートの頬には切り傷が出来て血が滲んでいた。
メルはギルバートの前に舞い降りると、その頬に手を伸ばした。すると彼はビクリと身を竦ませる。
「あ……」
「メルに触られたのが嫌だった訳じゃない! 手が冷たくて……」
メルが傷付いた表情を見せたからか、ギルバートは慌てて弁解してきた。
「冷たいんですか? 私の手……」
「そうだな。霊体だからだと思うんだが」
ギルバートはメルの指先に手を伸ばし――直前で思いとどまったのかピタリと止まった。
「……触れてみても構わないか?」
ちゃんと断って来るのが紳士的である。
「いいですよ。私もギル様に触れてみたいです」
「積極的だな」
「違います! そうじゃなくて、この体になってから誰かに触れるなんて初めてだから……」
「わかっている」
からかいたかっただけらしい。ギルバートはどこか意地の悪い笑みを浮かべながらも、メルの指先に自身の手を添えた。
「冷たいな」
「ごめんなさい。きっと私、ギル様の体温を奪ってますよね」
「不快ではないから謝らなくていい」
ギルバートは穏やかに微笑みながらメルの手を離した。
温もりが離れていって、名残惜しさを覚える。
「少し踊ってみるか? 音楽がないからステップを軽く踏むだけになるが」
「え……?」
「大使館で、踊りたそうな顔をしていたから誘ってみたんだが……」
「私、そんな顔してましたか?」
「ああ。勘違いだったか?」
「いえ、皆様すごく素敵だったから羨ましいなと思っていました。……上手く踊れるか自信はないんですけど、私で良ければ是非」
「喜んで、レディ」
思い切ってお願いすると、ギルバートはメルに手を差し出した。