幽霊令嬢と『視える』王子様~婚約者を奪われたので自殺した令嬢、霊媒体質の第二王子にまとわり憑く~

幽霊令嬢の正体 01

 ニコラス最高司祭との面会は、大の甘党である彼の希望で会員制のティールームで行われる事になった。

 予約していた個室に一足先に到着し、ニコラスの訪れを待つギルバートは、着席するなり大きなあくびをする。

「ごめんなさい、眠いですよね……」

 メルは隣の席から声をかける。
 夜通しメルに付き合ってくれたから、彼は朝まで一睡もしていないのだ。

「一日徹夜したくらいで倒れるほど貧弱ではないから気にするな。それにお前との勝負はなかなか楽しかった」

 勝負というのはチェスの事だ。
 ギルバートの提案で朝までの暇つぶしとして始めたところ、少しだけメルの技量が上回っていたせいで負けず嫌いのギルバートが白熱し、気が付いたら夜が明けていた。

「私も楽しかったです。お付き合いいただいてありがとうございました」

 ふふ、と彼に向かって微笑みかけた時だった。
 扉の外からノックが聞こえ、給仕がニコラスの訪れを知らせてくれた。

 ニコラスは、ギルバートやウォルター王に共通する容貌の、渋くて格好いい壮年の男性だった。
 お忍びでの訪れだからか、祭服ではなくギルバートと同じようなフロックコート姿で、それがまた似合っている。

 個室に入るなり、ニコラスはメルに目を留めた。
 最高位の聖職者である彼には、メルの姿がギルバート同様『視えて』いるらしい。
 地下牢のルーラントは結局こちらを認識できないようだったので、ようやくメルが視える二人目の人物に巡り会えた。

「お久し振りです、ニコラス叔父様」

「そうだね。ギル。元気そうで何よりだ」

「いつも護符を作っていただきありがとうございます。先日はそのお陰で助かりました」

「護符が役に立って良かったよ。例の悪魔に操られていた画商は、後遺症の心配はなさそうだったから一旦日常生活に戻ってもらってる。悪魔の被害についてはまだ調査中なので、何かわかったら一報を入れるよ」

「お気遣いありがとうございます」

「それにしても、相変わらず君は変なモノを惹き付けるね」

 そう告げると、ニコラスはギルバートからメルに視線を移動させた。

「この子が手紙で知らせてくれた亡者だね? 祓魔が効かなくて当然だよ。まだ生きてるんだから」
「えっ……」

 ニコラスの発言に、ギルバートはぽかんと目と口を開けた。

「勘違いしたのも無理もないかな。幽体離脱中の生霊(いきりょう)亡者(アンデッド)を区別するのは熟練の祓魔師でも難しい。ただ、ギルが嫌がらずにもう少し神術や亡者について勉強していればすぐに気付いただろうね」

 ギルバートはまだ唖然としている。

「初めまして、メルヴィナ嬢」

 ニコラスはメルに向かって呼びかけてきた。

「メル……ヴィナ……?」

 メルは首を傾げる。

「そうだよ。君の名はメルヴィナ・グレンヴィルだ。記憶が曖昧になっているとはギルの手紙で知らせてもらったけど、自分の名前を聞いても思い出せないかな?」

(メルヴィナ・グレンヴィル)

 心の中で名前をつぶやいた時だった。
 鈍器で殴られたような強い痛みが頭に走った。そして膨大な情報が、堰を切ったようにメルを襲う。
 情報量が多過ぎてうまく処理できない。頭がガンガンする。

「メル、大丈夫か?」

 頭を手で押さえると、ギルバートが声を掛けてきた。

「私、は……」

 思い出した。自分の名前。
 メルヴィナ・グレンヴィルで間違いない。



 父の名はリチャード、母の名はドロシー。メルヴィナはこの二人の間に生まれた。

 リチャードは、この首都ミストシティから汽車で三十分ほどの距離にある、ニューゲートという都市で会計士として働いていた。

 メルヴィナに絵の知識があるのは絵画を趣味とするこの父親の影響だ。子供の頃から父と美術館を巡ったり、一緒にスケッチに出かける中で培われたものである。

 ずっと仲の良かった幼馴染の事も思い出した。
 彼女の名前はジュリア・ライセット。ニューゲートで大きな紡績工場を経営する資本家の娘で、彼女の父親がリチャードの顧客だったのがきっかけで、家族ぐるみでの親交があった。

 婚約者の一件まで、ジュリアはメルヴィナに親切で優しかった。ライセット家の末っ子だった彼女は『お姉様』に強く憧れており、一つ年下のメルヴィナは格好の妹扱いできる存在だったのである。

『メル、このドレス、私にはもう小さくなってしまったの。貰ってくれる?』
『見て、お揃いのリボンよ! 首都で買ってきたの。早速つけてみましょう。きっと本物の姉妹みたいに見えるわ!』

 お下がりのドレス、お揃いの髪飾りに陶器人形(ビスクドール)――。
 ジュリアは色々な物をメルヴィナに与えてくれた。
 裕福な彼女の屋敷には子供心をくすぐるおもちゃが沢山あったので、メルヴィナも遊びに行くのが楽しみだった。

 成長して女学校に通うようになってからもジュリアとの友情は続き、一学年上の頼もしい『お姉様』としてメルヴィナに良くしてくれた。

 だから、元婚約者が彼女に心を奪われ、婚約の解消を申し出てきた時は、目の前が真っ暗になるほどの衝撃だった。

 元婚約者もまた父、リチャードの縁で知り合った。
 彼――グレアム・ベイカーは、父が勤務する会計事務所で働く若手の会計士だった。

 彼は、両親や三つ上の兄との折り合いが悪く、首都の大学を卒業したあとは家を飛び出し、一人暮らしをしていた。
 そんな彼を不憫がったリチャードが、家に招待したのが交流の始まりだった。

 グレアムは、燃えるような赤毛に緑の瞳を持つギルバートとはタイプの違う美形で好青年だったから、メルヴィナが恋に落ちるのに時間はかからなかった。

 幸いグレアムもメルヴィナを憎からず思ってくれたようで、そんな二人の様子を見たリチャードによって婚約が整えられた。
 ここまでは順調だったのだ。ジュリアに婚約のお祝いをしたいから、グレアムを紹介してくれと言われるまでは。

 幼馴染と元婚約者の対面は、至って和やかに終わったはずだった。

(まさか二人が私抜きで何度も会っていたなんて思わなかった)

 最初はメルヴィナの誕生日プレゼントを選ぶのを手伝うという名目だったらしいが、その時に意気投合し、逢瀬を繰り返すようになったらしい。

 どうしよう。また悲しみと憎しみがぶり返してきた。呼吸が荒くなる。

「メル!」

 温かな手が背中に触れた。そのおかげでメルヴィナは、現実に引き戻される。

「ギル様……」

 メルヴィナはギルバートの顔を見つめた。

 彼に初めて出会って自殺の事情を話した時、馬鹿と一刀両断にされたのを思い出す。
 本当に自分は馬鹿だった。後先考えずに衝動的に命を放り捨てるなんて、馬鹿以外の言葉が思いつかない。

「私、思い出しました。全部」
「名前には力がある。本当の名前が引き金になったのかもしれないね」

 ニコラスが声を掛けてきた。

「……どうして猊下は私をご存知なんですか?」

 メルヴィナの質問に、ニコラスは穏やかに微笑んだ。

「それはつい三日前まで君の傍に居たからだね。……と言っても、私が会ったのは魂の抜けた肉体の方なんだけど。自殺未遂をした後、一命は取り止めたはずなのに一向に目を覚まさない君を、ご両親やお祖父様が心配してね……霊的にどうなのか診て欲しいという依頼を受けたんだ」

「祖父……?」

 メルヴィナは眉をひそめた。
 物心付いた時から、メルヴィナは祖父母という存在にお目にかかった事がない。

「祖父なんて私にはいません。父方も母方も早くに亡くなったと聞いています」

「君のお父様はそんな風に君に説明していたんだね……。母方はどちらも既に亡くなられたみたいだけど、父方のお祖父様は生きているよ。君のお父様はお母様との結婚を反対されたせいで駆け落ちしてね……お祖父様とは絶縁状態になっていたんだ」

 初めて聞いた事実だ。メルヴィナは目を丸くする。

「待ってください、母はウェルシュの貴族だったと聞いた事がありますけど……結婚を反対……?」

「……メルの母君は貴族だったのか?」

 ギルバートの質問にメルヴィナは頷いた。

「はい。内戦で祖国を追われ、この国に逃げてきたそうです」

 ウェルシュは、ハイランドの南に位置する隣国だ。
 そこでは、三十年前に大きな内戦が起こり、国が二つに割れて荒れた。
 その時、母方の祖父は戦死し、母は祖母と一緒に親戚を頼ってハイランドにやってきたと聞いている。

「君のお父様も貴族だよ。結婚後は、お母様側の姓てあるグレンヴィル姓を名乗るようになったみたいだけどね。君のお父様の結婚前の名前は、リチャード・アンブローズと言うんだ」

 ニコラスの発言を聞いて、ギルバートは目を大きく見開いた。

「アンブローズ……? まさかアンブローズ侯爵家ですか!?」

「ああ。メルヴィナ嬢の父君は、二十五年前に出奔したアンブローズ侯爵家の嫡男だ」

「……という事は、メルの祖父は現当主のセオドア・アンブローズ殿……?」

「そうだね。彼は嫡男と亡命貴族の娘の結婚を許さなかった。その結果が駆け落ちだ。だけど、何をしても目覚めないメルヴィナ嬢のために、リチャード殿はセオドア殿に頭を下げたんだよ」

 懇切丁寧に説明されても、うまく頭の中に入ってこない。
 メルヴィナは呆然とニコラスを見つめた。



 自失していたのはギルバートも同じだったが、彼の方が回復が早かった。

「……何故叔父様がメルの体のそばにいたのかようやく理解できました。アンブローズ侯爵家の人脈を使ったんですね」

 ギルバートの質問にニコラスは頷く。

「魂が抜けているのは見ただけでわかった。どこに居るのか何とかして突き止めなければと思ってたんだけどね。まさかギルと一緒にいるとは驚いたな」

「それは……私が視えるのはギル様だけだったので」

 ちらりとギルバートを見ると、ふいっと顔を逸らされた。

「祓魔術が効かなかったので仕方なく憑きまといを容認しただけです」

「なるほど、随分仲良くなったみたいだ。ギル、メルヴィナ嬢が生きていて良かったね」

「……そうですね。良かったな、メル。もう一回人生やり直せるじゃないか」

「えっと、はい。そうですね」

 色々とまだ受け止めきれていないが、メルヴィナはこくりと頷いた。

「メルヴィナ嬢、神から賜った命を自ら絶つのは罪だよ。一体どれだけご家族が悲しんだか……今も目を覚まさない君をずっと心配し続けてるからね」
「……はい」

 ニコラスに諭すように言われて、メルヴィナは返す言葉もなくしゅんと俯いた。
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