幽霊令嬢と『視える』王子様~婚約者を奪われたので自殺した令嬢、霊媒体質の第二王子にまとわり憑く~
新しい生活 01
メルヴィナの一日は、祖父セオドアとの散歩から始まる。
「メル、そろそろ休むか?」
一緒に歩いていたセオドアが声を掛けてきたのは、庭園の中央に設置された四阿の前に差し掛かかった時だった。
「はい、お祖父様」
メルヴィナは頷くと、セオドアと一緒に四阿に向かう。
セオドアは紳士的にメルヴィナをエスコートすると、中のベンチにメルヴィナを座らせた。
「今日は休憩なしでここまで歩けたな」
セオドアは、メルヴィナの隣に腰を掛けながら話しかけてくる。
「そうですね。少し歩くだけでもすごく疲れてしまいますが」
メルヴィナはセオドアに微笑みかけた。
四阿のベンチからは、アンブローズ侯爵家の首都屋敷の様子がよく見えた。
灰色で重々しい雰囲気の建物は、二百年ほど前の祖先が著名な建築家に依頼して建てたものらしい。
メルヴィナは現在この屋敷にて、祖父の庇護を受けて療養生活を送っていた。
ニコラス最高司祭の力を借りるために、父リチャードは、母ドロシーとの離婚を覚悟して、絶縁状態だったセオドアを頼った。
幸いと言っていいのか、力を貸す代わりにセオドアが出した条件は、妻子を引き連れて侯爵家に戻る事だった。
奇しくも、ずっとリチャードとの和解方法を模索していた祖父にとって、メルヴィナの自殺未遂はきっかけになったのである。
メルヴィナが目覚めたら、姓が『グレンヴィル』から『アンブローズ』に変わっていた。
更に、リチャードはアンブローズ侯爵家の法定推定相続人になり、ドロシーはその奥様に、メルヴィナはお嬢様と呼ばれる身分になっていたのだから驚きである。
一家離散を覚悟してセオドアを頼った両親の方が、メルヴィナ以上に驚きが大きかったかもしれない。
だが、祖父がその心境に至るまでには、彼なりの葛藤が色々とあったようだ。
何もかもが豪華な侯爵家の生活にはまだ慣れない。メルヴィナは小さく息をつくと、ぼんやりと庭園の景色を眺めた。
体に戻ってから既に三か月が経過しており、庭園は秋の装いを見せていた。
四阿の周辺は今流行りの東洋風に整えられていて、貿易商を経由して取り寄せたモミジという植物が、鮮やかな真紅に染まっていて美しい。
魂が体に戻る前、完全な健康体に戻るまで時間がかかる、とニコラスから言われたが、その言葉は本当だった。
一か月以上も飲まず食わずで眠り続けていた体は衰弱しきっており、寝たきりの生活からのスタートだったのである。
メルヴィナの体を持たせていたのはニコラスの神気と点滴だ。輸液治療が発明され、一般的になったのはここ二、三十年の事だから、一昔前だったら死んでいたかもしれないと思うとゾッとする。
最初は固形物を受け付けなかった体は、今も脂っこいものを食べると気分が悪くなってしまう。
それでもこうして散歩ができる状態まで回復したのは大きな進歩だ。何しろ最初は横になった状態で手足を持ち上げてもらい、筋力を付けるところからのスタートだったのだ。それでもまだまだ万全とは言い難い状態なのだが。
幽体離脱の後遺症は、実は肉体だけでなく魂にも残っている。
ぼんやりと庭園を観察していたメルヴィナは、ふわふわと上空を漂う人影を目撃し、さりげなく目を逸らした。そしてドレスの胸元に触れる。すると、硬い金属の感触が指先に触れた。
そこには、ペンダントに加工されたロザリウムがある。これはギルバートが持っていたものと同じで、ニコラス最高司祭に聖別してもらった護符だ。
今のメルヴィナは、霊感がギルバート並に上昇している状態で、かつ魂が体から分離しやすくなっているらしい。
これは言い換えると、幽体離脱しやすくなっているだけでなく、亡者に体を奪われやすい状態になっているという事だ。ニコラスから貰った護符は、亡者から身を隠し、幽体離脱を防ぐための神術が込められている。
護符があるとはいえ、時折亡者が見えてしまうのは精神的に負担がかかる。メルヴィナはギルバートの苦労を現在進行形で思い知らされていた。
時が経てばいずれ魂は肉体に定着するらしいが、鋭敏になった霊感が元に戻るかどうかはニコラスにもわからないらしい。
もしかしたら、ギルバートのように一生護符を手放せない生活が待っているかもしれないと考えると憂鬱になる。
この状態の唯一の収穫を挙げるとすれば、微弱な神気を放出できるようになったという事だろうか。
神気は、王族と違って普通の人間の場合、神への強い信仰心と厳しい修行を経て初めて会得できるものと言われている。
ニコラスによると、祖先に降嫁した王女を持つ侯爵家の血筋と臨死体験が影響している可能性があるそうだ。
神気覚醒者は希少だ。これは言い換えると聖職者への道が開けたという事でもある。ニコラスからはその気があるなら歓迎するとも言われたのだが――。
自分の魂の状態や神気を使えるようになった事は、家族にも報告済みだ。
しかし、神気について伝えた時、祖父や父は渋い顔をしていた。メルヴィナが教団に取られるのではと心配したらしい。
(……聖職者になるのは無いわね。お祖父様やお父様がきっと寂しがるもの)
そして、メルヴィナ自身も、家族との時間を大切にしたかった。
メルヴィナに限らず王家の血が混ざった高位貴族には、稀に王族同様に特別な修練をしなくても神気が使える者が産まれるが、その全てが聖職者になる訳ではない。
貴族には貴族の領地を守るという義務があるため、教団や王家が司る、重要な祭祀への協力義務を果たせば許された。
ちらりと隣のセオドアの様子を窺うと、視線に気付いた祖父と目が合った。
「今日は天気がいいし暖かいから、ボートに乗らないか? お祖父様が漕いであげよう」
セオドアはニコニコと穏やかな笑みを浮かべてメルヴィナに提案してきた。
この屋敷の敷地は広大で、庭の池ではボート遊びができるようになっている。
祖父はようやく対面を果たしたメルヴィナに非常に甘い。子供の頃可愛がれなかった分を埋め合わせるかのようにメルヴィナを可愛がってくれる。
これまでとは格段に違う裕福な生活に心苦しくなる時もあるが、優しい祖父をメルヴィナはすっかり好きになっていた。
「ありがとうございます、お祖父様」
メルヴィナはセオドアに向かって微笑みかけると、その手を取ってベンチから立ち上がった。
◆ ◆ ◆
雲行きが怪しくなってきたのでセオドアとのボート遊びを切り上げ、一緒に屋敷に戻ってくると、何かの書類を抱えたドロシーと出くわした。
「お義父様! 探していたんです。メルと一緒だったんですね」
ドロシーが声を掛けると、それまで笑顔だったセオドアの顔から表情がすっと消えた。
「……なんだろうか」
「冬支度の概算を家政婦長と相談して作成したのですが、これで本当にいいのか今一つ自信がなくて。お義父様に見て頂きたいなと……」
「……わかった。執務室で待っていなさい。メルを部屋に送り届けたら向かう」
セオドアの返事に、ドロシーはほっとした表情を見せた。
「あの……いつもメルの散歩に付き合って頂いてありがとうございます」
「私がやりたくてやっているだけだ」
ドロシーとセオドアの関係はどこかぎこちない。
いや、ドロシーだけでなく、祖父の後継者となるべく勉強中のリチャードとも同じような感じなのだが。
祖父が自分を特別に甘やかすのは、そのよそよそしい空気感も関係しているのだろう。メルヴィナはなんとなく察していた。
いつか時間が解決してくれればいいのだが……。
メルヴィナは祖父と母の間に流れる微妙な空気に眉を下げた。
「メル、そろそろ休むか?」
一緒に歩いていたセオドアが声を掛けてきたのは、庭園の中央に設置された四阿の前に差し掛かかった時だった。
「はい、お祖父様」
メルヴィナは頷くと、セオドアと一緒に四阿に向かう。
セオドアは紳士的にメルヴィナをエスコートすると、中のベンチにメルヴィナを座らせた。
「今日は休憩なしでここまで歩けたな」
セオドアは、メルヴィナの隣に腰を掛けながら話しかけてくる。
「そうですね。少し歩くだけでもすごく疲れてしまいますが」
メルヴィナはセオドアに微笑みかけた。
四阿のベンチからは、アンブローズ侯爵家の首都屋敷の様子がよく見えた。
灰色で重々しい雰囲気の建物は、二百年ほど前の祖先が著名な建築家に依頼して建てたものらしい。
メルヴィナは現在この屋敷にて、祖父の庇護を受けて療養生活を送っていた。
ニコラス最高司祭の力を借りるために、父リチャードは、母ドロシーとの離婚を覚悟して、絶縁状態だったセオドアを頼った。
幸いと言っていいのか、力を貸す代わりにセオドアが出した条件は、妻子を引き連れて侯爵家に戻る事だった。
奇しくも、ずっとリチャードとの和解方法を模索していた祖父にとって、メルヴィナの自殺未遂はきっかけになったのである。
メルヴィナが目覚めたら、姓が『グレンヴィル』から『アンブローズ』に変わっていた。
更に、リチャードはアンブローズ侯爵家の法定推定相続人になり、ドロシーはその奥様に、メルヴィナはお嬢様と呼ばれる身分になっていたのだから驚きである。
一家離散を覚悟してセオドアを頼った両親の方が、メルヴィナ以上に驚きが大きかったかもしれない。
だが、祖父がその心境に至るまでには、彼なりの葛藤が色々とあったようだ。
何もかもが豪華な侯爵家の生活にはまだ慣れない。メルヴィナは小さく息をつくと、ぼんやりと庭園の景色を眺めた。
体に戻ってから既に三か月が経過しており、庭園は秋の装いを見せていた。
四阿の周辺は今流行りの東洋風に整えられていて、貿易商を経由して取り寄せたモミジという植物が、鮮やかな真紅に染まっていて美しい。
魂が体に戻る前、完全な健康体に戻るまで時間がかかる、とニコラスから言われたが、その言葉は本当だった。
一か月以上も飲まず食わずで眠り続けていた体は衰弱しきっており、寝たきりの生活からのスタートだったのである。
メルヴィナの体を持たせていたのはニコラスの神気と点滴だ。輸液治療が発明され、一般的になったのはここ二、三十年の事だから、一昔前だったら死んでいたかもしれないと思うとゾッとする。
最初は固形物を受け付けなかった体は、今も脂っこいものを食べると気分が悪くなってしまう。
それでもこうして散歩ができる状態まで回復したのは大きな進歩だ。何しろ最初は横になった状態で手足を持ち上げてもらい、筋力を付けるところからのスタートだったのだ。それでもまだまだ万全とは言い難い状態なのだが。
幽体離脱の後遺症は、実は肉体だけでなく魂にも残っている。
ぼんやりと庭園を観察していたメルヴィナは、ふわふわと上空を漂う人影を目撃し、さりげなく目を逸らした。そしてドレスの胸元に触れる。すると、硬い金属の感触が指先に触れた。
そこには、ペンダントに加工されたロザリウムがある。これはギルバートが持っていたものと同じで、ニコラス最高司祭に聖別してもらった護符だ。
今のメルヴィナは、霊感がギルバート並に上昇している状態で、かつ魂が体から分離しやすくなっているらしい。
これは言い換えると、幽体離脱しやすくなっているだけでなく、亡者に体を奪われやすい状態になっているという事だ。ニコラスから貰った護符は、亡者から身を隠し、幽体離脱を防ぐための神術が込められている。
護符があるとはいえ、時折亡者が見えてしまうのは精神的に負担がかかる。メルヴィナはギルバートの苦労を現在進行形で思い知らされていた。
時が経てばいずれ魂は肉体に定着するらしいが、鋭敏になった霊感が元に戻るかどうかはニコラスにもわからないらしい。
もしかしたら、ギルバートのように一生護符を手放せない生活が待っているかもしれないと考えると憂鬱になる。
この状態の唯一の収穫を挙げるとすれば、微弱な神気を放出できるようになったという事だろうか。
神気は、王族と違って普通の人間の場合、神への強い信仰心と厳しい修行を経て初めて会得できるものと言われている。
ニコラスによると、祖先に降嫁した王女を持つ侯爵家の血筋と臨死体験が影響している可能性があるそうだ。
神気覚醒者は希少だ。これは言い換えると聖職者への道が開けたという事でもある。ニコラスからはその気があるなら歓迎するとも言われたのだが――。
自分の魂の状態や神気を使えるようになった事は、家族にも報告済みだ。
しかし、神気について伝えた時、祖父や父は渋い顔をしていた。メルヴィナが教団に取られるのではと心配したらしい。
(……聖職者になるのは無いわね。お祖父様やお父様がきっと寂しがるもの)
そして、メルヴィナ自身も、家族との時間を大切にしたかった。
メルヴィナに限らず王家の血が混ざった高位貴族には、稀に王族同様に特別な修練をしなくても神気が使える者が産まれるが、その全てが聖職者になる訳ではない。
貴族には貴族の領地を守るという義務があるため、教団や王家が司る、重要な祭祀への協力義務を果たせば許された。
ちらりと隣のセオドアの様子を窺うと、視線に気付いた祖父と目が合った。
「今日は天気がいいし暖かいから、ボートに乗らないか? お祖父様が漕いであげよう」
セオドアはニコニコと穏やかな笑みを浮かべてメルヴィナに提案してきた。
この屋敷の敷地は広大で、庭の池ではボート遊びができるようになっている。
祖父はようやく対面を果たしたメルヴィナに非常に甘い。子供の頃可愛がれなかった分を埋め合わせるかのようにメルヴィナを可愛がってくれる。
これまでとは格段に違う裕福な生活に心苦しくなる時もあるが、優しい祖父をメルヴィナはすっかり好きになっていた。
「ありがとうございます、お祖父様」
メルヴィナはセオドアに向かって微笑みかけると、その手を取ってベンチから立ち上がった。
◆ ◆ ◆
雲行きが怪しくなってきたのでセオドアとのボート遊びを切り上げ、一緒に屋敷に戻ってくると、何かの書類を抱えたドロシーと出くわした。
「お義父様! 探していたんです。メルと一緒だったんですね」
ドロシーが声を掛けると、それまで笑顔だったセオドアの顔から表情がすっと消えた。
「……なんだろうか」
「冬支度の概算を家政婦長と相談して作成したのですが、これで本当にいいのか今一つ自信がなくて。お義父様に見て頂きたいなと……」
「……わかった。執務室で待っていなさい。メルを部屋に送り届けたら向かう」
セオドアの返事に、ドロシーはほっとした表情を見せた。
「あの……いつもメルの散歩に付き合って頂いてありがとうございます」
「私がやりたくてやっているだけだ」
ドロシーとセオドアの関係はどこかぎこちない。
いや、ドロシーだけでなく、祖父の後継者となるべく勉強中のリチャードとも同じような感じなのだが。
祖父が自分を特別に甘やかすのは、そのよそよそしい空気感も関係しているのだろう。メルヴィナはなんとなく察していた。
いつか時間が解決してくれればいいのだが……。
メルヴィナは祖父と母の間に流れる微妙な空気に眉を下げた。