幽霊令嬢と『視える』王子様~婚約者を奪われたので自殺した令嬢、霊媒体質の第二王子にまとわり憑く~

薔薇園の出会い 02

 ギルバートが向かったのは、宮殿の三階に位置する部屋だった。
 彼の後を追いかけ、するりと壁を抜けて部屋の中に入ったメルは、室内の雰囲気から私室ではないかとあたりを付ける。

 ぎっしりと本が並んだ本棚、座り心地のよさそうなソファ、書き物用の机に天蓋付きの大きなベッド――濃紺とダークブラウンを中心にまとめられた部屋は、男性的でかつ重厚な印象だ。

 ギルバートは真っ直ぐに室内を突っ切ると、窓際にある書き物用の机の上にスケッチブックを置いて、ふうっと大きく息をついた。

「あのう……」

 メルはふわふわと飛んで彼に近付き、話しかけてみる。
 すると、ギルバートはこちらを振り向き、メルを視界に捉えるなりぎょっと目を見張った。

「なんでまだいるんだよ!!」

 悲痛な声で叫びながらギルバートは右手をこちらに突き出した。

上古(いにしえ)より(そら)(ましま)(たっと)き主神ハイランディアよ……」

 彼が唱え始めたのは聖典の一節だ。
 するとその手の平から金色の光があふれ出す。

 ――神気だ。

 王族、そして『神気覚醒者』と呼ばれる一部の貴族や高位聖職者が行使する神の力。
 それは《天候操作》、《祓魔》、《豊穣》といった、様々な神術と呼ばれる奇蹟の源でもある。


  (けむり)の追いやらるる如く彼らを驅逐(おいやり)給え
  ()しきものは火の前に(ろう)の溶くる如く
  神の(みまえ)にて滅ぶべし


 詠唱が進むにつれ、手の平から溢れる光は、特徴的な図形を形成した。
 ――神術図形だ。
 神術の使い手は、神気でこの図形を作り出すことによって様々な奇蹟を発現させると言われている。

 どうして忘れていたんだろう。王族は誰もが聖職者の資格を保有する、極めて優秀な神術の使い手である。

(私、祓われちゃうの……!?)

 メルはぎゅっと目を(つむ)った。

「神の力よ、さまよえる魂を導き給え! 《祓魔(エクソシズム)》!!」

 声が聞こえた瞬間、目蓋ごしにギルバートの手元が眩く光るのがわかった。光はメルの体に容赦なく降り注いでくる。

 しかし――。

(…………?)

 何も起こらない。
 メルは目を開けて自分の体を確認した。

「なんで効かないんだ! かなり神気を込めたのに!」

 右手をこちらに突き出しながら焦った表情を見せる王子様の姿は、ちょっと情けなかった。

「何一人で大騒ぎしてるんですか、殿下……」

 呆れたような声が聞こえたかと思うと、出入口から若い男が顔を出した。
 十代後半に見えるが、宮殿に仕える使用人の制服を身に着けているので、見た目通りの年齢ではなさそうだ。
 明るい茶色と可愛らしい顔立ちが特徴の青年である。

「ルイス、護符を持ってきてくれ! そこに亡者(アンデッド)がいる!」

 ギルバートはメルを指さして喚いた。

「……何もいませんが。宮殿にはその手の人外は入れないはずでは? かなり強力な破邪の結界が張られているはずですよね?」

 若い男――ルイスは、こちらを一瞥すると、可哀想なものを見るような目をギルバートに向けた。

「本当にいるんだ! しかも私の祓魔術が効かない!」
「そう言われても僕には何も見えないんですよねぇ……」

 ルイスは困り顔で返事をする。その様子を見る限り、メルの姿を認識できるのは、ギルバートだけのようだ。

「あの……どうしてそこまで怖がるんですか……?」

 メルは思い切ってギルバートに話しかけた。

「私、何もしませんよ。というか、できないと思います。こんな風に、何かに触ってもすり抜けちゃうから」

 ふよふよと空中を移動し、壁に手を突っ込んで、ギルバートに触れない事を証明して見せる。

「……亡者の割にはやけに理性的だな」
「理性的……?」
「話が分かりそうだっていう意味だ」

 首を傾げたメルに向かってギルバートは解説してくれた。険しい表情はそのままだが、怯えは消えたようだ。

「その亡者って話が通じそうな感じなんですか? 殿下が今まで出くわしてきたのとは何か違うみたいですね」

 首を傾げながらルイスが尋ねてきた。
 メルはこくこくと頷く。

「悪さなんかしません! ただ、あなたが初めて出会った私の姿が見える人だから、それでつい追いかけちゃっただけで……」

 力一杯に主張すると、ギルバートは苦虫を噛み潰したような表情をした。



「大変渋い顔をなさってますが、亡者は何と?」

 メルとギルバートの間に流れた気まずい雰囲気を破ったのはルイスだった。

「……私が『視える』体質の人間だから追って来たそうだ」
「なるほど。基本的に亡者や悪魔は普通の人間には見えませんからね」

 ルイスはしみじみとつぶやいた。

「えっとですね、あの、話し相手になって欲しいです! どうして殿下には私が見えるのかとか、聞きたい事が沢山あるので」

 思い切って提案してみると、ギルバートの眉間に深い皺が寄った。

「どうしたんですか?」

 ルイスが質問する。

「話し相手になって欲しいと頼まれた」
「なってあげればいいじゃないですか」
「そんな事して憑きまとわれたらどうしてくれるんだ!」
「おっさんやジジイだったらお断りですね」
「……若い女性だ」
「見た目が可愛ければ僕は大歓迎です」
「お前最低だな」
「ブスなんですか?」
「いや、割と可愛……」

 と言いかけて、ハッとギルバートは口を(つぐ)んだ。

「えっと、ありがとうございます?」

 メルは自分の容姿も覚えていない。しかし褒められかけたような気がしたので一応お礼を言っておいた。

(可愛いのかしら……)

 メルは眉をひそめた。自分の容姿については、幼馴染みと比べると、いたって普通だった気がする。

 プラチナブロンドにセルリアンブルーの瞳を持つ儚げな美女である彼女と比べると、メルは茶色の髪に灰色の瞳という、なんとも地味な色の取り合わせだったのは覚えている。

 髪と瞳の色は両親から受け継いだものなので気に入ってはいたけれど、婚約者が幼馴染みに乗り換えた時、平凡な自分から幼馴染みに乗り換えるのは当然だと思ったのは鮮明に覚えている。

「……可愛いならいいじゃないですか」

 ルイスが面倒そうな顔で発言した。

「そういう問題じゃない! お前も知ってるだろ! 私は純粋に亡者が苦手なんだ!」

 ギルバートは力いっぱいに力説する。するとルイスは肩を竦めながら面倒そうに発言した。

「あのー、亡者のお嬢さん、この人『視える』体質のくせに人外全般ダメなんですよ。なので、あんまりいじめないであげて下さい」

 ルイスの言葉はメルに向けたものなのだろう。ただし彼の視線は明後日の方向に向いている。

「……亡者はこっちだ」

 ギルバートは憮然とした表情でメルを指さした。

「あの、そんなに私が怖いなら出ていきます。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」

 メルはしゅんとうなだれると、ギルバートに謝罪した。
 するとギルバートはぐっと詰まる。

「……そこに掛けるといい。それとルイスは席を外せ」
「おや、諦めたんですか? ついでに僕は仲間外れですか」
「お前にはこいつが見えてないだろうが。独り言を話しているような間抜けな姿を人前に晒すのはプライドが許さん」
「格好付けですねぇ……想像すると結構不気味そうなんで、僕もご遠慮申し上げたいですけど」

 ルイスの発言はかなり冷たい。ギルバートは彼をじろりと睨み付けた。

「聞き耳も立てるなよ」
「承知いたしました」

 芝居がかった仕草で一礼すると、ルイスは元の部屋へと戻っていく。
 おそらく彼が向かった扉の先にあるのは、使用人の為の控え室だ。

「お前はそんなに悪い亡者には見えないから、少しくらいなら時間を取ってやってもいい。ただし、その代わり満足したら出て行ってくれ」

 ルイスが姿を消すと、ギルバートは不服そうにメルに向かって告げた。

「それでもいいです! ありがとうございます!」

 メルはぱあっと顔を輝かせると、ソファの上に移動した。
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