幽霊令嬢と『視える』王子様~婚約者を奪われたので自殺した令嬢、霊媒体質の第二王子にまとわり憑く~
帰ってきた幽霊令嬢 03
上空には満天の星空が広がり、満月がかかっている。
首都がミストシティと名付けられたのは、よく白い霧に覆われるからなのだが、今日は晴れていて夜空が綺麗に見えた。
(まるで吸い込まれそう)
ローザ・ミスティカ宮殿の庭園に佇んだメルは、空を見上げため息をついた。
幽霊なのに、と自分でも思うが、この二週間ですっかり夜は苦手になってしまった。
半透明に透けるこの体は眠りを必要としない。
だから、誰もが眠りにつく真夜中は、酷い孤独感に襲われる。
宮殿の中はまだマシだ。電気が開通しており、不寝番の兵士のために、あちこちに電灯が設置されているので街中よりもずっと明るい。
メルが今いるのは、奇蹟の青薔薇が咲く宮殿裏手ではなく、中央大通りに面した正門側の庭園である。
こちらは幾何学状に造園されていて、宮殿の玄関前の広場には大きな噴水が設置されていた。
深夜だから水は止められていて、噴水は、泉のように静かに水を湛えている。
メルは噴水の縁まで移動すると、中を覗き込んでみた。
水面は月明かりを反射し、きらきらと煌めいていたが、当然ながら自分の姿は映らない。
死者だと自覚はしているけれど、改めて確認すると悲しくなった。
ギルバートは、すぐにミストシティ大聖堂のニコラス最高司祭に連絡を取ってくれた。
しかし、現在私用で地方に行っており、その後も予定が詰まっているとかで、面会できるのは二週間後になるそうだ。
(長いなあ……)
メルは再び夜空を見上げてため息をついた。
独りぼんやりと星を見ていると、嫌な場面が脳裏をよぎる。
『――すまないメル、僕は彼女を愛してしまったんだ』
『待って、違うのよメル。私、そんなつもりは無くて……』
『何を言ってるんだ、〇〇〇〇、君も僕を愛してるって言ってくれたじゃないか』
赤毛の元婚約者が幼馴染みを連れて、婚約解消を申し出てきた時と思われる記憶を思い出し、メルは顔を盛大にしかめた。
◆ ◆ ◆
まだ日が昇りきらないうちに、宮殿の夜は明ける。
主である国王一家はまだ眠りについている時間だが、宮殿に仕える使用人の中でも、料理人や厩務員など、早朝から働き出す者達が活動を始めるのだ。
退屈していたメルは、使用人達の仕事を観察する事にした。まず向かったのは厨房だ。
そこはさながら戦場だった。
魔女の大釜のような巨大な鍋がいくつも並び、もうもうと湯気を立てている。
その中で、誰もがこまねずみのようにくるくると立ち働いていた。
厨房の中は、分業制が敷かれているようだ。入口付近では下働きと思われる若い料理人がひたすらナイフで芋の皮を剥いている。
(宮殿ではこんなに沢山の芋を使うのね……)
ここで作っているのは誰の食事なのだろう。
(王族の方々のお食事ではなさそうね……。住み込みで働いている人達のものかしら?)
この中で一体何人の人間が働いていて、それぞれがどんな仕事をして王族の生活を支えているのか、何もわからない自分にメルは気付いた。
美術品や女子禁制の男の園に意識が向いていたが、まだまだ世の中には知らない事が溢れている。
新しい暇つぶしを見つけて、メルは少しだけ気持ちが楽になった。
◆ ◆ ◆
(あっ……)
ギルバートと出くわしたのは、宮殿内を端から端まで一部屋ずつ探検していた時だった。
壁抜けをして侵入した部屋の中で、ギルバートは立派な机に向き合って何かの書き物をしていた。
室内には、本がぎっしり詰まった本棚が並んでいて書斎っぽく見えた。
(邪魔しちゃダメだわ)
ギルバートの真剣な表情に、メルはくるりと回れ右をした。だが――。
「メルじゃないか」
声を掛けられたので、メルは再び方向転換し、ギルバートに向き直った。
「何をしているんだ?」
「探検を……。宮殿って広いんですねぇ。全部見て回るのに何日か掛かりそうです」
「七百部屋以上あるからな」
「そんなに!? 凄いです!」
感心して目を丸くするとクスリと笑われた。
「ここは殿下の書斎ですか?」
「いや、執務室だ」
「えっと、お仕事中ですよね。邪魔をして申し訳ありません」
「構わない。単純作業に嫌気が差していた所で、そろそろ息抜きしようと思っていた」
肩が凝っているのか、ギルバートは発言しながら右肩を揉みほぐした。
「単純作業?」
「招待状への署名入れだな。純粋に面倒臭い」
確かに机の上には大量の紙と封筒が束になって積み上げられている。
「何通あるんですか……」
「五百くらいかな」
ギルバートの返答にメルは目を丸くした。
「そんな大規模な集まりを殿下が主催されるんですか?」
「そんな訳ないだろう。主催は父上だ。これは父上のバースデーパーティーの招待状だ」
「陛下の招待状に殿下が署名されるんですか?」
「ああ、父上の名前でな」
ギルバートは署名済の招待状をこちらに見えるように見せてくれた。
本文は印刷だが、一番下にはやや右肩上がりの癖字で、ウォルター王のフルネームが書かれている。
「筆跡模写ができるせいで父上の仕事を一部押し付けられることになってしまったんだ。調子に乗って見せ付けなければ良かった」
ギルバートは顔をしかめた。
子供の頃、両親を驚かせてやろうと二人の前で筆跡を真似て見せたのがこの苦行の始まりだったらしい。
「まだ子供だったからな。その結果何が起こるかまで考えてなかった。重要書類はさすがに回ってこないが、この手のさほど重要ではない手紙類への署名が押し付けられるようになってしまった」
「毎年何度もパーティーがあるから大変なのはわかりますけど……」
国王主催のパーティーの招待状だ。貰った事を名誉に感じる人もいるだろうに。
ただ、毎年何度も開かれるパーティーの招待状を準備する負担も理解はできるので、メルは何とも微妙な気持ちになった。
「恐ろしいことに兄上も私に手伝わせる気満々なんだ。模写を披露したのを今死ぬほど後悔してる」
「……王太子殿下の筆跡も真似できるんですか?」
「少し練習すれば誰の筆跡でも模写できる」
「凄いですね」
「隠しておけば良かったと死ぬほど後悔してる特技だがな」
ギルバートはムスッとした表情で机に頬杖をついた。
「……お前の方はどうなんだ。宮殿内に何か面白いものはあったか?」
「そうですね、使用人の方々が働いてるのを見るのは面白いです。厨房は戦場みたいでしたし、ベッドメイクする所は手品みたいでした! 一瞬でピンと綺麗にシーツが張られて」
「そうか」
メルの答えにギルバートは柔らかな笑みを浮かべた。
「あ、そういえば、地下に入れない場所があったんですよね」
「どこだ?」
「えっと、玄関ホールの階段を降りた場所にあるお部屋です。扉に女神の彫刻がされていました」
「その先にあるのは地下礼拝所だな。重要な祭祀が行われる場所だから、より強力な結界が張られているのかもしれん」
「重要な祭祀って、秋の豊穣祈念祭ですか?」
「ああ」
豊穣祈念祭は、国王が主催するハイランディア教において最も重要な祭祀だ。
国土に国中の神気覚醒者から集めた神気を奉納し、翌年の豊穣を祈る神事が執り行われる。
「……そうだ、お前、うっかり他人が入浴中の浴室を覗いたりはしてないだろうな」
突然のギルバートの質問に、メルは目をギョッと見開いた。
「なっ! そんな事はしません! 着替え中の所に入ってしまったことはありますけど、まじまじとは見ずにすぐに出ました!」
「へえ、まじまじとは見ていなくても見た訳だ」
「どうしてそんな意地の悪い聞き方をなさるんですか。ちょっとだけ男性の裸を見てしまったのは認めます。でもびっくりしたのですぐに出ました! せ、背中に毛が……その、生えてて……」
メルはやけくそになって白状した。
「見た目はすごく爽やかそうな方だったのに……」
と、つぶやいたところで、ハッと気付く。
「まさか殿下も……」
「私の無駄毛はそこまで濃くない! 背中まで生えているのは男の中でも極一部の相当毛深い……って、何を言わせるんだお前は!」
ギルバートに睨まれ、メルはむっとした。
「先に変な事を聞いてきたのは殿下です! なるほど、殿下はそこまで毛深くない……」
「……仕事に戻るからお前もう黙ってろ」
ギルバートは舌打ちをしながら、羽根ペンを手に取った。
「ごめんなさい。調子に乗ってしまいました」
「……別に怒ってはいない」
謝罪したメルに対して、彼は目を逸らしながらぼそりとつぶやく。
「お前の言う通り、元々私が変な質問をしたせいだからな。悪かった」
気まずそうな彼の様子を見るに、本当に怒ってはいないのだろう。メルはホッと安堵した。
「私は、そろそろ行きますね。殿下のお仕事の邪魔をしたい訳ではないので」
「……夜なら来てもいい。九時を過ぎたら時間が取れると思う」
ギルバートの言葉にメルは思わず笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。ではその頃にまた」
「……ああ」
そっけない様子ながらも返事をしてくれたのが嬉しくて、メルはギルバートに一礼すると、執務室を退室した。
首都がミストシティと名付けられたのは、よく白い霧に覆われるからなのだが、今日は晴れていて夜空が綺麗に見えた。
(まるで吸い込まれそう)
ローザ・ミスティカ宮殿の庭園に佇んだメルは、空を見上げため息をついた。
幽霊なのに、と自分でも思うが、この二週間ですっかり夜は苦手になってしまった。
半透明に透けるこの体は眠りを必要としない。
だから、誰もが眠りにつく真夜中は、酷い孤独感に襲われる。
宮殿の中はまだマシだ。電気が開通しており、不寝番の兵士のために、あちこちに電灯が設置されているので街中よりもずっと明るい。
メルが今いるのは、奇蹟の青薔薇が咲く宮殿裏手ではなく、中央大通りに面した正門側の庭園である。
こちらは幾何学状に造園されていて、宮殿の玄関前の広場には大きな噴水が設置されていた。
深夜だから水は止められていて、噴水は、泉のように静かに水を湛えている。
メルは噴水の縁まで移動すると、中を覗き込んでみた。
水面は月明かりを反射し、きらきらと煌めいていたが、当然ながら自分の姿は映らない。
死者だと自覚はしているけれど、改めて確認すると悲しくなった。
ギルバートは、すぐにミストシティ大聖堂のニコラス最高司祭に連絡を取ってくれた。
しかし、現在私用で地方に行っており、その後も予定が詰まっているとかで、面会できるのは二週間後になるそうだ。
(長いなあ……)
メルは再び夜空を見上げてため息をついた。
独りぼんやりと星を見ていると、嫌な場面が脳裏をよぎる。
『――すまないメル、僕は彼女を愛してしまったんだ』
『待って、違うのよメル。私、そんなつもりは無くて……』
『何を言ってるんだ、〇〇〇〇、君も僕を愛してるって言ってくれたじゃないか』
赤毛の元婚約者が幼馴染みを連れて、婚約解消を申し出てきた時と思われる記憶を思い出し、メルは顔を盛大にしかめた。
◆ ◆ ◆
まだ日が昇りきらないうちに、宮殿の夜は明ける。
主である国王一家はまだ眠りについている時間だが、宮殿に仕える使用人の中でも、料理人や厩務員など、早朝から働き出す者達が活動を始めるのだ。
退屈していたメルは、使用人達の仕事を観察する事にした。まず向かったのは厨房だ。
そこはさながら戦場だった。
魔女の大釜のような巨大な鍋がいくつも並び、もうもうと湯気を立てている。
その中で、誰もがこまねずみのようにくるくると立ち働いていた。
厨房の中は、分業制が敷かれているようだ。入口付近では下働きと思われる若い料理人がひたすらナイフで芋の皮を剥いている。
(宮殿ではこんなに沢山の芋を使うのね……)
ここで作っているのは誰の食事なのだろう。
(王族の方々のお食事ではなさそうね……。住み込みで働いている人達のものかしら?)
この中で一体何人の人間が働いていて、それぞれがどんな仕事をして王族の生活を支えているのか、何もわからない自分にメルは気付いた。
美術品や女子禁制の男の園に意識が向いていたが、まだまだ世の中には知らない事が溢れている。
新しい暇つぶしを見つけて、メルは少しだけ気持ちが楽になった。
◆ ◆ ◆
(あっ……)
ギルバートと出くわしたのは、宮殿内を端から端まで一部屋ずつ探検していた時だった。
壁抜けをして侵入した部屋の中で、ギルバートは立派な机に向き合って何かの書き物をしていた。
室内には、本がぎっしり詰まった本棚が並んでいて書斎っぽく見えた。
(邪魔しちゃダメだわ)
ギルバートの真剣な表情に、メルはくるりと回れ右をした。だが――。
「メルじゃないか」
声を掛けられたので、メルは再び方向転換し、ギルバートに向き直った。
「何をしているんだ?」
「探検を……。宮殿って広いんですねぇ。全部見て回るのに何日か掛かりそうです」
「七百部屋以上あるからな」
「そんなに!? 凄いです!」
感心して目を丸くするとクスリと笑われた。
「ここは殿下の書斎ですか?」
「いや、執務室だ」
「えっと、お仕事中ですよね。邪魔をして申し訳ありません」
「構わない。単純作業に嫌気が差していた所で、そろそろ息抜きしようと思っていた」
肩が凝っているのか、ギルバートは発言しながら右肩を揉みほぐした。
「単純作業?」
「招待状への署名入れだな。純粋に面倒臭い」
確かに机の上には大量の紙と封筒が束になって積み上げられている。
「何通あるんですか……」
「五百くらいかな」
ギルバートの返答にメルは目を丸くした。
「そんな大規模な集まりを殿下が主催されるんですか?」
「そんな訳ないだろう。主催は父上だ。これは父上のバースデーパーティーの招待状だ」
「陛下の招待状に殿下が署名されるんですか?」
「ああ、父上の名前でな」
ギルバートは署名済の招待状をこちらに見えるように見せてくれた。
本文は印刷だが、一番下にはやや右肩上がりの癖字で、ウォルター王のフルネームが書かれている。
「筆跡模写ができるせいで父上の仕事を一部押し付けられることになってしまったんだ。調子に乗って見せ付けなければ良かった」
ギルバートは顔をしかめた。
子供の頃、両親を驚かせてやろうと二人の前で筆跡を真似て見せたのがこの苦行の始まりだったらしい。
「まだ子供だったからな。その結果何が起こるかまで考えてなかった。重要書類はさすがに回ってこないが、この手のさほど重要ではない手紙類への署名が押し付けられるようになってしまった」
「毎年何度もパーティーがあるから大変なのはわかりますけど……」
国王主催のパーティーの招待状だ。貰った事を名誉に感じる人もいるだろうに。
ただ、毎年何度も開かれるパーティーの招待状を準備する負担も理解はできるので、メルは何とも微妙な気持ちになった。
「恐ろしいことに兄上も私に手伝わせる気満々なんだ。模写を披露したのを今死ぬほど後悔してる」
「……王太子殿下の筆跡も真似できるんですか?」
「少し練習すれば誰の筆跡でも模写できる」
「凄いですね」
「隠しておけば良かったと死ぬほど後悔してる特技だがな」
ギルバートはムスッとした表情で机に頬杖をついた。
「……お前の方はどうなんだ。宮殿内に何か面白いものはあったか?」
「そうですね、使用人の方々が働いてるのを見るのは面白いです。厨房は戦場みたいでしたし、ベッドメイクする所は手品みたいでした! 一瞬でピンと綺麗にシーツが張られて」
「そうか」
メルの答えにギルバートは柔らかな笑みを浮かべた。
「あ、そういえば、地下に入れない場所があったんですよね」
「どこだ?」
「えっと、玄関ホールの階段を降りた場所にあるお部屋です。扉に女神の彫刻がされていました」
「その先にあるのは地下礼拝所だな。重要な祭祀が行われる場所だから、より強力な結界が張られているのかもしれん」
「重要な祭祀って、秋の豊穣祈念祭ですか?」
「ああ」
豊穣祈念祭は、国王が主催するハイランディア教において最も重要な祭祀だ。
国土に国中の神気覚醒者から集めた神気を奉納し、翌年の豊穣を祈る神事が執り行われる。
「……そうだ、お前、うっかり他人が入浴中の浴室を覗いたりはしてないだろうな」
突然のギルバートの質問に、メルは目をギョッと見開いた。
「なっ! そんな事はしません! 着替え中の所に入ってしまったことはありますけど、まじまじとは見ずにすぐに出ました!」
「へえ、まじまじとは見ていなくても見た訳だ」
「どうしてそんな意地の悪い聞き方をなさるんですか。ちょっとだけ男性の裸を見てしまったのは認めます。でもびっくりしたのですぐに出ました! せ、背中に毛が……その、生えてて……」
メルはやけくそになって白状した。
「見た目はすごく爽やかそうな方だったのに……」
と、つぶやいたところで、ハッと気付く。
「まさか殿下も……」
「私の無駄毛はそこまで濃くない! 背中まで生えているのは男の中でも極一部の相当毛深い……って、何を言わせるんだお前は!」
ギルバートに睨まれ、メルはむっとした。
「先に変な事を聞いてきたのは殿下です! なるほど、殿下はそこまで毛深くない……」
「……仕事に戻るからお前もう黙ってろ」
ギルバートは舌打ちをしながら、羽根ペンを手に取った。
「ごめんなさい。調子に乗ってしまいました」
「……別に怒ってはいない」
謝罪したメルに対して、彼は目を逸らしながらぼそりとつぶやく。
「お前の言う通り、元々私が変な質問をしたせいだからな。悪かった」
気まずそうな彼の様子を見るに、本当に怒ってはいないのだろう。メルはホッと安堵した。
「私は、そろそろ行きますね。殿下のお仕事の邪魔をしたい訳ではないので」
「……夜なら来てもいい。九時を過ぎたら時間が取れると思う」
ギルバートの言葉にメルは思わず笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。ではその頃にまた」
「……ああ」
そっけない様子ながらも返事をしてくれたのが嬉しくて、メルはギルバートに一礼すると、執務室を退室した。