二十九日のモラトリアム
エピローグ
風夏(フウカ)! 気が付いたの!?」

 目を覚ますと、見慣れない白い天井に見慣れたお母さんの顔。

 これまでの人生で味わったことのない痛みが全身にあった。

「お母さん……ここ、どこ……?」

「病院よ! 覚えてないの? アンタ、塾サボって廃ビルから落ちたでしょ。悪いことしたから、バチが当たったのよ」

 塾をサボった覚えはあった。最近ずっとサボってたから、今日も同じだった。いつもみたいに塾が終わる時間までスマホでもさわって時間つぶそうと、非常階段を登って行って――――そこからは、記憶がなかった。まったくなかった。

 ビルから落ちたって、階段を踏み外したりしたんだろうか。

 バチが当たったとか悪態をつく余裕があるってことは、ケガもそこまで酷くなかったんだろう。

「血まみれの女の子が倒れてるって、救急車呼ばれて念のためにAEDまで用意してくれて、大騒ぎだったんだからね! 連絡受けた時の、お母さんの気持ち考えて反省しなさい!」

 お母さんは私の手を握り締めて、ボロボロ涙を流していた。

「血まみれって……おかーさん。私、輸血した?」

 私の言葉に、お母さんがなんでそんなこと聞くのって顔をする。たぶん、言葉を口にした私も同じ顔をしていたと思う。

 なんで、そんなことが気になるんだろう。なんて、輸血してたらドナーになれないって、気になっちゃうんだろう。

「先生の話だと、せずに済んだって」

 ほっとする。これで、ドナー登録ができる。骨髄バンクの、ドナー登録。

 なんでだろう。九死に一生を得て、人生観でも変わってしまったんだろうか。限りある命、少しでも誰かの役に立てたいみたいな。

 なんだろう、この気持ち。そうしなきゃいけないような気がする。

「それとおかーさん、私もう受験やめる」

 愛娘が九死に一生を得たこのタイミングなら、どんな話でも聞いてくれそうな気がした。

「第一志望、落ちててももう受験やめるから。もう合格してるとこ、行く」

「滑り止めの……?」

「うん。みんなは滑り止めのつもりみたいだけど、私はあそこが一番行きたい。そこまで偏差値高くないけど、オープンキャンパスで一番いいなって思ったの」

 ずっと言えなかった言葉を、やっと言えた。

 目の前にぶら下げられた別に食べたくもないニンジンを追いかけて、みんなが喜ぶ顔を褒めてくれる言葉を期待して走ってた。でも、もう走れない。走っちゃダメ。

 これ以上走ったら、私は病気になってしまう。
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