パブリックダーリン~私と彼と彼氏~
「まだ弟と付き合ってたんだ」



スッと通り過ぎた顔も名前も知らない人が言った。
私と彗くんに聞こえるように。あざ笑うみたいに。

あぁもっと早く帰るんだった、廊下で喋っちゃってたから…

「彗くん行こう!早く図書館行かないと席なくなっちゃうかもっ」

「待って紫衣ちゃん!」

急いでその場から離れようと一歩踏み出したのに、彗くんに腕を掴まれて動けなかった。

「紫衣ちゃん…!オレは全然気にしてないよ、いろいろ…聞こえてるけど気にしてない!」

そうなの…、彗くんは何も言わなかった。

知らないんだって思ってたけどこんなに言われてるんだもんね、知らないわけないよね。

知らない方が不自然だよね。


きっと全部優しさだった。


「オレは紫衣ちゃんのことが好きだから」
 

目を合わせたら泣きそうになる。


私だって彗くんのことが…っ



「でも紫衣ちゃんは誰のことが好きなの?」



「え…」


ずしんと鉛が重くのしかかるみたいに、苦しくて息の仕方を忘れてしまいそうだった。   

「紫衣ちゃんってたまにわからないなって思ってたんだ」

「……。」

「オレの知らないことで怒ったり、オレの知らないこと言って来たり、オレの知らないとこで噂になってたり…」

いろんなことが駆け巡ってぐわんぐわんと頭が回る。


「でもわからないのってオレの方なんだ」


彗くんの手がずるっと落ちていくように離れた。

「彗くん…」

「わかんないんだ…、紫衣ちゃんとのことを思い出そうと思っても途中で切れちゃってたりふわっとしか思い出せなかったり自分がどこにいたのかもわかんなくなる」

全部なかったことに…、なんてことない。

全部なかったことになっても、彗くんの中で消えるわけじゃない。


そんなことできないんだ。


 
だって彗くんはここに存在して()るんだから…!



「だってオレ、紫衣ちゃんとのこと覚えてないはずないもん」



“彗くん、…本当に覚えてないの?” 


ずっと考えてたの?

ずっと悩んでたの…?

あの時、私が言ったこと… 


「彗くんっ」

「ねぇ紫衣ちゃん」

「…っ」


「紫衣ちゃんはオレの中に誰を見てるの?」


彗くんの頬を涙が伝う、静かにつーっと流れ落ちた。

「ごめん、今日は先に帰るね…!」

何も言えなかった。

何も言い返せなかった。




私が好きなのは彗くんだよって、言えなかった。
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