甘美な果実
 篠塚をただ喰いたいだけでなく、喰って泣かせて、喰って虐めて、喰って苦しませて。食欲のみならず、性的な欲求すら、俺は無自覚に満たそうとしていたのかもしれない。だとしたら、知らなくていいことを知ってしまった。これも全部、俺を誘惑し、煽動した、篠塚のせいだ。俺が篠塚を噛んだのも。俺が篠塚を喰ったのも。俺が篠塚を殺しかけたのも。全て。全て。篠塚のせい。篠塚の、せい。俺は何も悪くない。俺は何も、悪くない。俺は。何も。

 篠塚を喰った衝撃が、喰い殺しかけた衝撃が、唐突に、理性を取り戻した俺に襲いかかってきた。その衝撃に堪えられるだけのメンタルを今は持ち合わせていない俺は、途端に呼吸の仕方が分からなくなる。喰った篠塚の血肉を戻してしまいそうになり、咄嗟に口を押さえた。吐くわけにはいかない。篠塚の前で、篠塚の肉を、吐くわけにはいかない。

「……ふち、の、くん」

 吐き気を堪える俺の耳に、途切れ途切れに俺を呼ぶ篠塚の声が届いた。徐に目を向ける。青白い顔をした篠塚が、床に座り込んだままベッドに身を乗り出すようにして、俺を見上げていた。血塗れの首が、痛々しかった。

 痛々しいと思わせるような所業を仕出かしたのは他ならぬ自分であり、肉を噛み千切って飲み込んだ紛れもない事実を改めて突きつけられた。突きつけられて嘔吐きそうになっているのに、俺はその血をまだ飲みたいと思っていて。篠塚を捕らえようとするかのように、俺は手を伸ばしていた。

 篠塚を、喰いたかった。篠塚に、触れたかった。首から流れる血液を、飲みたかった。舐めたかった。篠塚の全てが、欲しかった。篠塚。篠塚。欲しい。欲しい。唇を舐めた。戻しそうだった。喰いたかった。地獄だった。

「ふちのくん、おれ、おいしかった……? もし、おいしかった、なら、また、いつでも、たべて、いいからね……」

「ふざけんなよ篠塚。煽るようなこと言ってんじゃねぇよ。今日は瞬には会いに行くなとも言っただろ。それなのに、自分から喰われに行って、何考えてんだよ」
< 108 / 147 >

この作品をシェア

pagetop