甘美な果実
 混乱が続いているような状態なのに、自分勝手にどんどん話を進められ、それを止めることすらできないでいる俺は、こちらを見下ろす男の視線に圧を感じ、まるで誘導されるかのように首を左右に振っていた。夕飯は、食べていない。腹は、減っている。匂いが、気になっている。

「そっか。良かった。この機会に瞬くんと一緒に食事ができたらと思って、俺の好物と、多分瞬くんの好物だと思うものを持ってきたんだ」

 リビングで食べよう、瞬くん。段ボールを右手で抱え、腰を抜かしている俺の腕を左手で取る男は、有無を言わさずに俺を引き摺った。腕が痛むほどの力に敵わず、立ち上がろうとしても間に合わない。膝に力が入らない。抵抗できぬまま、声も出せぬまま、俺は男に引っ張られ続け、そのままリビングに連れて行かれた。両親の死体をあの場に残して。

 目的の場所へ着くと、男は俺の腕を捕らえたまま、右手に持っていた段ボールを片付いている机の上に置いた。両親は既に夕飯を済ませていたらしく、テレビでバラエティー番組を流して自由に過ごしていたようだった。キッチンには鍋が置いてある。残ったのか、俺の分として残していたのか。俺はフォークで、味なんて、分からないのに。

 ついさっきまで両親が生きていた証となるような物や音を見てしまったら、聞いてしまったら、怒涛の如く深い悲しみが押し寄せてきた。幻か。幻だろうか。幻であればいいのに。これは全部悪い夢で。俺が経験していることは、俺の目に映ったものは、あの惨劇は、全て、すべて、夢で。ゆめで。ゆめであればいいのに。

 願っても、目は覚めない。覚めない。リアルだ。これは、リアル。理不尽な、リアル。絶望する。絶望した。もういい。もういいから、殺してほしい。楽になってしまいたい。ケーキを傷つけなければ、ケーキを喰い殺さなければ、生きていけない殺人鬼のようなフォークなら、この食欲に永遠に苦しまなければならないのなら、全てを投げ出して、両親の後を追って、死んでしまいたい。死にたい。殺してほしい。
< 134 / 147 >

この作品をシェア

pagetop