甘美な果実
 男の持っているものは、心臓だった。その心臓の持ち主は、俺が今抱いている、首を切断された篠塚のものだろう。殺人鬼は、ケーキの身体の一部を奪っている。そう報道されていた覚えがある。その一部が、心臓。

 どこまで行っても、どこをどう切り取っても、この殺人鬼は、極悪非道だ。人の生首を抱いて、飢えを満たすために喰おうと企んでいる壊れた俺もまた、殺人鬼とそう変わらないだろうか。変わらないかもしれない。

「賞味期限、そんなに長くはないから、早く食べよう。いただきます」

 椅子を引いてそこに腰掛けた男が、篠塚の心臓に噛みついた。異常な光景なのに、そうすることが善であるかのように思えてしまうくらいには俺もおかしくなっていて。男の挨拶につられるようにして、言葉を引き出されるようにして、いただきます、と掠れた声で口にした。喰いたくて、喰いたくて、涙が溢れてきた。篠塚の首に、一度自分が味わった箇所に、歯を当てた。硬かったが、問題なく噛み千切れた。喰えた。味がした。美味かった。甘美だった。それらの事実が恐ろしかった。

 男の視線に気づくこともないまま、今は、喰って、喰って、ひたすらに、喰った。腹を満たして。飢えを凌いで。それが終わったら。終わったら。終わったら。俺は。どうすれば。終わったら。そうだ。終わったら。終わってから。死のう。殺してくれないなら。死のう。篠塚を喰ってから。全部。喰ってから。終わりにする。そこで。死ねばいい。死ねば。いい。死にたい。死にたい。美味い。死にたい。死にたい。死にたい。美味い。死にたい。涙が、止まらなかった。
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