甘美な果実
 一番前の席で弁当を広げている篠塚を見つけ出し、俺の貴重な食糧、と舌舐めずりをしそうになったところで我に帰った。今、俺は、何を、考えて。

 小さく咳払いをして煩悩を弾き飛ばし、篠塚を食糧だと一瞬でも思った自分に罰を与えるように、篠塚は食糧なんかじゃない、と心の中で唱えながら、閉じた口の中で舌を噛んだ。もう癖のようになってしまっていた。欲求を抑える時にする癖。

 篠塚に気づかれる前に、早々に彼から顔を逸らした。良くない視線だ。良くない衝動だ。良くない感情だ。篠塚を見て食糧だと思うのは重症だ。

 箸で突いていたおかずを適当に摘み、勢いをつけて口に入れた。何も考えずに噛み砕く。何も考えずに流し込む。終始感じるのは無機質な異物感だけだった。

 もう一口、食べた。舌は拒否をしていたが、意気地になって、強制的にその上に食べ物を乗せた。乗せることに成功した。噛み砕いた。飲み込んだ。

 食べる気になれなくても、それでも無理やり食べてしまえば、勝手に空腹は満たされるはずだ。腹さえ膨れてくれたら、篠塚を見る度に彼を食糧だなんて思うことはないだろう。

 何を食べても味がしないため、この舌が美味しいと感じられる物を食べたい。つまりはケーキだ。ケーキなのは篠塚だ。俺は篠塚を食べたい。篠塚を。ああ、言った側から。再び咳払いをして、舌を噛んだ。弁当箱を見た。二口分、隙間が広がっていた。

「最近の瞬、昼食べる時よく手が止まるし、よく残すよな。体調でも悪い? 篠塚のこともやたらと気にしてるっぽいし。なんか、前より症状も酷くなってね?」

 冗談言うべきじゃないなって俺でも思うくらい、余裕がない感じがする。一つの机を挟んで向かい合って座っている紘は、俺の挙動の一部始終を黙って観察していたらしい。もう既に食べ切っている弁当を置いて、水筒に手を伸ばしながらそう言い、的を射るようなことを付け加えた。揶揄っている口調ではないため、どうやら懸念してくれているようだ。
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