甘美な果実
 もう飽きた、と短く返した。飽きんなよ、と即座に返ってきた。話すなら別の話がいい。じゃあ、何話すよ、あ、飴なくなった。まだ舐めてたのかよ。最後まで舐め切れたわ。よく噛まずに舐め切れるな。すぐ鞭で叩く瞬と違って、俺は飴を与える派だからな。歯が弱いから噛めないんだろ。オブラートどこいったよ。前から行方不明。ふ、はは、なんだよ、行方不明って、言葉のチョイス最高じゃん。

 下ネタ同様、心底どうでもいいような会話を交わし、にこにこと楽しそうに表情筋を緩ませる紘と並んで、階下へと続く階段を下りていく。右足、左足。重なる足音。意識しなくとも揃う足並みに気づき、なんだかんだ紘とは息が合うのだろうと今更ながら脈絡なく思った。

 喜怒哀楽の様々な顔を見せる紘の横顔を盗み見る。今は笑みを見せている。性格から何から真逆だと言われることがあるが、真逆だからこそ、こうして一緒にいられるのかもしれない。それは都合の良い考えだろうか。

 鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌の良い紘と共に、二階にある三年教室から一階にある生徒玄関を目指して進む。部活動以外で残っている生徒はほとんどいないのか、玄関で、ある人物に会うまでは誰とも会わなかった。

「あれ、篠塚じゃん」

 紘が、そこにいた生徒、篠塚に声をかけた。背を向けていた彼はほんの僅か肩を揺らし、素早い動きで振り返る。どことなく挙動がおかしく見えたが、それをわざわざ尋ねることはしなかった。

「あ……、渕野くんと海崎(かいざき)くん……、今日はお疲れ様」

「篠塚もお疲れ」

「……お疲れ」

 一拍遅れて口にし、俺は篠塚から微かに漂う甘い香りに少しばかり息を止めながら、不自然にならないよう自分の靴箱に近づいた。フォーク用の飴を舐めるようになったおかげか、以前ほど欲求は酷くはないが、それでも、酷くはないだけで、食欲自体は確実に芽生えていた。
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