甘美な果実
 篠塚の唾液の味を知り、本物を喰おうとしてしまってから、俺の感覚はおかしくなっていた。やはり、安易に手を出してはいけないものだったのだ。覚えてはいけない味だったのだ。

 あの味が、ずっと忘れられない。また味わいたくてたまらない。唾液を。唾液以上のものを。俺は篠塚を喰ってしまいたい。丸ごと喰ってしまいたい。以前よりも、その欲求は酷く大きくなっていた。

 誰にも顔を見られないように俯いて。抑えられないままに舌舐めずりをする。こんな状態だ。こんな半端な状態だから、ケーキである篠塚には近づけなくなっていた。近づいたら、襲いそうになってしまう。理性を失くしてしまいそうになってしまう。

 和解のようなことをして、篠塚と関わるようになり、ゆっくりとではあるが埋まりかけていたはずの溝が、逆戻りするように深くなっていくばかりだった。諸悪の根源は、自分でしかなかった。

 俺は篠塚に近づけない。近づきたくない。それなのに篠塚は、めげずに声をかけようとしてくることがある。飲食店での一件で、察することはあっただろうに、彼は俺を避けるどころか、自ら寄ってくるのだった。それを俺が、避けている。

 俺がフォークで、自分がケーキであることを、篠塚はまだ気づいていないのだろうかと思ったが、彼もそこまで鈍感ではないはずだ。もしかしたらと可能性として想像することはあるはずだ。それならば、なぜ。自分を喰おうとした俺に声をかけて、避けられても声をかけて、わざわざ危険を冒すような真似をする理由が分からない。俺は篠塚が分からない。篠塚の考えていることが分からない。分からないなら、思考を、思考する脳味噌を、喰ってしまえば分かるだろうか。そうして咀嚼すれば、分かるだろうか。
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