覚えたくない恋はいらない
会
あの日が人生の最高峰だったよ。
今になって思うんだ。
あれが最大のクライマックスでも私は何も言えないな。
「神戸〜!」
担任の山田晴人(やまだはると)通称やま先が私を呼んだ。
神戸叶歌(かんべかのか)はけだる気だる気に振り返る。
「なんですかーーーーわたしかえるんですよーーーーー」
抑揚のない反抗的な声を出すが慣れたやま先に効くはずもなかった。
「神戸今日日直だったろ、しかも保健委員だよな?」
「そうですけど…」
あからさまに嫌な顔をする私にやま先は、暑くなり始めた今日にぴったりのキンキンに冷えたピーチサイダーを手渡してきた。
「……買収」
ボソリと毒づく私の睨みなんて何のそのなやま先は25歳に見合わない深いため息をつくと、わりいなと笑った。
最近うちのクラスは荒れている。
まあやま先も疲れているんだろう。
あの空間にいるだけの私もつかれるくらいだからね。
「頼まれてくんね?神戸」
「………今日だけですよ」
「…さんきゅ、4組の隣の空き教室に資料あるからホチキス留めしてほしいんだ。今度ある、遠足の資料なんやけど…俺はその前に抗争を止めなきゃだから」
無言で哀れに目を向けると苦笑いをされてしまった。
「全部やれとは言わないからできるとこまでやっといてくれんかな」
「了解です、賄賂もらったんでできる限りはやっときます」
さんきゅ、と疲れの滲むへたくそな笑みをやま先からもらい、走っていくやま先を見送る。
…可哀想やなあ…。
田舎は噂が広まるのが早い分、問題が解決することが難しい。
狭い世界。
鳥かごのような狭い世界しか知らないくせに粋がって自分が1番だと勘違いしてばかみたい。
自分の家を思い出し、無意識に左手をかばった。
スマホを見ればまだ17時にもなっていなかった。
校内の最終下校時刻は19時。
2時間もある。
メッセージアプリを起動させ、友人の早見紫音(はやみしおん)『今日何時〜?』と送る。
紫音は弓道部の黒髪のモデルのようにきれいな女の子。
あれほどロングが似合う子は見たことがない。
何気なく最近レイヤーを入れてみた自分のセミロングの髪に触れる。
色素がぬけやすく少しブラウンの混じった髪。
…紫音みたいな女の子だったら毎日モテ期じゃん。
羨ましくも思うけど、私は私をそれほど嫌ってはいない。
一重だし猫目だし背もちいさいが何気に気にいってはいる。
自分のことは自分が1番愛してあげないと。
のんびり歩いていたが空き教室についたので作業を開始していく。
意外に量の多い敵を見据えてもらったピーチサイダーを喉に流す。
しゅわしゅわと刺激する炭酸に少し顔を歪ませる。
一気に飲みすぎた…。
資料のだいたい真ん中の席を陣取り、推しの曲を聞く。
…よし、やるか。
「おーほぼやってくれたんやな!さんきゅ」
やま先の声がやけに近くで聞こえて驚いた私は椅子の上で小さくはねた。
「びっ!?????…くりしたああああ…」
おーおー生きが良いな、なんておどけるやま先に今までで1番のにらみをきかせる。
「何もこんな時間までやらんでも良かったんに」
まだ驚きでばくばくする心臓を抑えながらスマホの時刻を見ると18:46だった。
「え…こんな時間経っとった?」
地味な単純業は音楽を流していいなら得意ではあるけれど、自分でも驚くくらい集中していたようだ。
現にドアを開けたら音が出ていたはずのやま先の登場にも気づかなかったんだから。
「いやー本気で助かる。感謝。でもあぶねえからもうかえんな。ごめんな、もっと早く気付けばよかったな」
さっきあったときより酷い顔をしている先生に、さすがに同情した私はにこりと笑って答えた。
「大丈夫ですよ、帰っても暇だったし…今日バイト入っとらんかったんで。紫音も部活終わるみたいなんで紫音と帰ります!」
そうか…と笑うやま先のは何を聞かされて、どんな話をしたんだろう。
早急に帰って寝ていただきたい。