三日月だけが見ていたふたりの輝かしい生活
出勤すると、ロッカールームは制服に着替える社員やパートのおばさんたちで溢れていた。

一見、和やかな雰囲気のこの狭い空間には、3つの派閥がある。

年配の社員と同年齢のパートのおばさん。

中堅の社員とそれに付随する派遣社員。

そして利香と同年齢の若手社員。

「おはよう。今日も可愛い服着てるじゃない」

「あら、その髪型素敵」

「今日も化粧のノリがいいねえ」

爽やかな朝に相応しい言葉が飛び交う。

それぞれ仲間ごとに更衣室を後に、廊下に出れば途端に声を潜めて囁き合うのだ。

「あの髪型どこの美容室?絶対行かない〜」

「センス疑う〜あの服」

利香も例外ではなく、中堅やベテランとは店内でも火花を散らし、仲間のミキたちと昼休みに愚痴るのが日課だった。

しかし、今の利香にはその日常が危険極まりない方向へ向かい出している。

カツカツの節約生活で神経が過敏になっているから、ちょっとしたことでも腹が立ち、火花は爆弾に変わるとも限らない。

「今の若い子は節制って知らないのかしらね」

利香から見ればおばあちゃんの分類のベテラン社員は、給湯室で水を流しっぱなしで湯呑みを洗っている若い社員に聞こえよがしに言う。

若い社員は表向き、すみません〜とか言ってその場をつくろい、廊下で『ひもじいクソババアが!』と罵る。

利香はそのどちらにも腹が立ち、どうにも我慢ができなくなるのだ。

おばあちゃん社員の言うことは当たり前だけど、あんたはいつも嫁が作ってくれた弁当を残してるよな!と食ってかかりたかったし、若い社員には当たり前のことをやれ!と殴ってやろうかと思う。

どいつもこいつも、と腹を立てることばかりで、このところ利香は情緒不安定になりつつあった。

誰でもお腹が空けばイライラする。

金がなければ世の中に忿懣をぶつけたくなる。

頑張っても頑張っても先が見えない現実に悲観して、自暴自棄になる。

そして、楽しみにしていた弁当を奪われれば絶望的になる。

空腹だからか、先の見えない未来に悲観してめまいがしたのか、フラフラしてきた。

「リカ、具合でも悪いの?」

手際良く布を裁断しながら、同期のミキが隣から声をかけてきた。

布を広げ、すーっとハサミを前に流す。

よく切れるハサミはパチパチと動かさなくても気持ちいいほどの切れ味を見せつける。

これだけがストレス解消。

ミキに並んで客の指定した長さに布を切りながら、利香は「べつに」と答えた。

ミキは布から目を離さず「やけにイラついんてんなあ」と小声で言う。

「アレか?それともアレか?」

ミキは口にする。

1個目のアレは生理のこと、2個目のアレは多分男のこと。

どちらもブッブーだ。

最近、ろくな食生活を送ってないから生理が乱れている。

そして、半年以上も前に別れた男のことなど微塵も引きずってはいない。

ただ、金が欲しいのだ。

貯めたいのだ。

ミキは左手の薬指に嵌めたダイヤのリングが、店の照明に反射して一層の輝きを増すように、微妙に手の位置を合わせる。

時々、左手で前髪をかきあげたりしながら、その存在を誇示する。

かなり金のなる木をつかんだらしい。

そうだよなあ、その手があったよな、と利香は思うが、そういう手段は極力避けたかった。

そういう相手を見つけられないから負け惜しみとも言えるけど、他人の金で叶えるとしたら、目的の意味はなくなる。

それなら初めからこんな生活はしないで、貰った給料の範囲で満たされた生活をすればいいのだ。

「50㎝でお願いします」

順番になったご婦人が、一反の生地を裁断用のテーブルに出した。

イギリス産のとても高価な生地だ。

測ると残りは70㎝あった。

「おまけしてくれないの?」

50㎝でカットすれば残りはわずか20㎝だが、それはハギレとして安価で販売するから、そういうわけにはいかない。

あと20㎝しかないのだからいいじゃない、と利香だって思うけれどそういう決まりだから仕方ないのだ。

「ケチ」

品の良さそうなご婦人が小さく呟く。

カチンときたけど、きっちり50㎝でカットした布を折り畳んでカゴに入れると「ありがとうございました」と頭を下げた。

自分もあんな風にガツガツした嫌な女と見られているんだな、と思うと悲しくなる。

コンビニの店員も、8時の女、とか陰で呼んで冷笑しているんだろう。

でも、そんなことで負けてはいられない。

そんなことで負けていたら、もうやめた方がいい。

頑張る。

でも、あー、更新が迫ってる。

利香はザーッと布にハサミを入れて、悶々とした気持ちを裁断した。


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