惑わし総長の甘美な香りに溺れて
「っ! こんなことしてる場合じゃない」


 ウソをつかれて悲しいとか、一緒に行かせてもらえなくて悔しいとか、そんなことは後回しだ。

 昼に陽が南香街に向かったんなら、順調にいけばもうSは使われているはず。

 順調にことが済んだなら、きっと私が心配しないようにメッセージくらいはくれると思う。

 なのに陽からは何の連絡も来ていない。

 それはつまり、順調にいかない何かがあったってことだ。


 理解したと同時に、私は走り出す。

 すぐにでも南香街に行きたかったけれど、どうしても必要なものがあるからいったん家に帰った。

 必要なものをボディーリュックに詰めて、すぐに家も出る。

 向かうのは、南香街立ち入り禁止区域。

 この間SudRosaにお披露目すると言って連れて行かれたあの施設。

 スパイシーな薔薇の香り――Nの香りが薄く広く香るあの施設に、きっと南香薔薇の栽培場所がある。

 詳しい場所はわからないけれど、施設内を手当たり次第に調べればどこにあるかくらいはわかるかもしれない。


「あ、でも認証しなきゃ行けないところがあるんだっけ?」


 南香街禁止区域へと向かうフェンスをくぐり抜けるとき、陽の話を思い出す。

 二年前、認証登録されているのが陽だけだったから記憶を消されて手駒として利用されたんだって。

 今では甲野の手下も登録されているらしいけれど、私は当然登録なんてしてないから行けるわけがない。


「どうしよう」


 困ったけれど、だからといって向かわない訳にはいかない。

 私はとにかくあの施設へ向かおうとまた走り出した。
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