惑わし総長の甘美な香りに溺れて
「会長、陽を離してください。それとその薬も」

「はっ! 薬も、か。お前は父親の意思も捨てるのだな」

「くっ」


 笙さんはまだ完全には割り切れていないのか、甲野の言葉に悔しげに呻く。


「何にせよ、私がお前なんぞの願いを聞き入れる訳がないだろう?」

「あっ!」


 甲野は言い終えると同時にSを持っている腕を上げた。

 そのまま止める暇も無く、Sの入った試験管を床に叩き付ける。


「っ――!」


 誰かの息を呑む音と共に、タイル敷きの床にカシャンと音を立てて試験管が割れた。

 中の青紫の液体は薔薇の香りと共に床に広がっていく。


「Sの作成方法が記載されていた書類はとうに処分したからな。これでNが作れなくなるということは無いだろう」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべた甲野は、ヒタと陽へ視線を戻し表情を消した。


「さて、処分を決めねばな。笙が助命を願えばまた記憶を消すだけにしようと思ったが、笙も裏切ったとなると二人とも消すだけだ」


 まるでゴミを捨てるかのように何の感情も無く淡々と告げる甲野にゾクリと震えた。

 人を人とも思わない。

 こんな人、本当にいるんだ……。


「ああ、だがお前は消すには勿体ないな」

「え?」


 昏い目がゆったりと私に向けられる。

 純粋に怖くて、金縛りに遭ったように体が硬直した。
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