惑わし総長の甘美な香りに溺れて
「そこにSが入った試験管を入れてしまえば、一日で栽培している南香薔薇に薬を行き渡らせることが出来るはずだったんだ」


 それが直前で奪われ、割られてしまった。

 床に広がった液体は、戻すことが出来ない。

 まさに覆水盆に返らずってところだ。


 ……でも、零れていなければ問題ない。

 私は陽の言ったSを入れるはずだった場所の前に行く。


「……ここにSを入れれば、南香薔薇の催眠作用は消えるんだよね?」

「ああ。今咲いてる花は無理だろうけれど、次に咲く花からは消えてるはずだった」

「じゃあ、入れようか」

「は?」


 気落ちしながら語る陽に、ちょっと申し訳ない心地で話す。

 困惑する陽の目の前で、私はボディーバッグから直方体のケースを取り出した。

 両手に乗るほどの大きさの鉄製の箱。

 上下と四隅の角以外はガラスになっていて、中に青紫の液体が入っている。


「モモ……それって」

「うん、本物のSだよ」


 実は、陽に渡したのは私が作った偽物。

 私が薔薇姫かもしれないって思った頃から作っておいた。

 もしかしたら悪用する人の手に渡るかもしれないって思って。


 ケースや試験管はいつも調香の道具を購入してるネット通販でも買えたし、あとは見た目を同じにすればそんなに難しくはなかったから。

 ただ、うっかりいつものクセで無水エタノールに薔薇の精油を足してしまったけれど……。

 本当に奪われることになるかなんてわからなかったし、まあいっかってそのまま入れておいた。

 まあ、香りに関してはみんな気にしていなかったから良いよね?
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