雪の匂いにキミとの恋を
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「お先に失礼します」
私はいつもように1時間ぴったり残業すると、従業員出入口を出て勤務先である小さな商社をあとにする。
社会人一年目。両親と暮らしていた家から通えないことはなかったが私は就職を機に隣町で念願のひとり暮らしを始めた。今日も仕事が終われば誰も待つことのない自宅へ帰り、食事とお風呂を済ませたらベッドにゴロンで一日が終わる。
(疲れたな……)
その時ブルッとコートの中のスマホが震えて、私はすぐにメッセージを確認する。そこには大学の友達数人と両親から、私の誕生日を祝うメッセージが届いていた。私はスマホを視線を落としたまま小さくため息を吐き出す。
「今年も……ひとりぼっちの誕生日か……」
私は可愛らしいスタンプと共に簡単にお礼のメッセージを返すとスマホをポケットに戻した。
そして私は子供の頃に流行ったクリスマスソングが流れる商店街を歩いていく。
(ケーキはいっか……)
いまの一人暮らしのアパートはバスに乗れば10分ほどでたどり着く。商店街の中にあるケーキ屋さんでケーキを買って帰っても良かったが、一人で食べても味気ないと思った私は足早に通り過ぎた。
「寒い……っ、手袋持ってきたら良かった」
両手に息を吹きかければ、白い吐息がすぐに空へと吸い込まれていく。
──誕生日だからだろう。私は思わず見上げた灰色の雲と藍色の空に私は《《あの約束》》を思い出した。
「はぁ……ほんと、いいかげん……忘れたいのに……」
いつになったら忘れるんだろうか。冬のツンとした香りに混ざって琢磨がよく吸っていた煙草の匂いまで思い出してくる。
「あの約束だって。どうせ覚えてるの私だけなのに……」
そう。何気ない会話のなかで交わした琢磨とのあの約束を、私はいまだに誕生日になると思い出してしまう。きっと琢磨はとっくに忘れてしまってしまっているのに。私だけがあの雪の日に置いてけぼり。私だけがずっとあの日から前に進めない。
「誕生日に雪だけは……。お願い、これ以上……もう思い出させないで……」
誰にも聞こえない声でそう呟くと、私は商店街を抜けて辿り着いたバス停の古びたスチールベンチに座る。
「早くバス来ないかな……」
何もすることがなければ、一人きりの誕生日なんてやっぱり感傷的になってしまう。
(……琢磨にもう五年会ってないのか……)
私は琢磨と別れてから何人かと交際はしたが、どの恋も長続きしなかった。琢磨ほど好きになれなくて、誰かと付き合うたびに自分が琢磨を忘れられないことに気付かされて苦しくなるだけだったから。
そしていつしか私は恋愛することに消極的になっていた。
「はぁあ……」
もう何もかもが冬のせいな気がしてきて、冬に関するすべてのモノに嫌気がさしてくる。
「冬も……雪も……大嫌い」
私は琢磨と別れてからスノボ、アイスクリームすら嫌いになった。
その中でも一番嫌いなのは雪だ。雪に匂いはないなんて言う人もいるが、私にとって雪は悲しい涙の匂いがする。
──その時だった。
「え……っ……嘘」
頬に微かに感じた冷たさに夜空を見上げれば、
小さな丸い水玉模様がふわりふわりと舞い降りてくる。
昨晩、テレビから流れできた天気予報では確かに雪マークがついていたが今年は暖冬だと聞いていたため、本当に降るとは思ってもみなかった。
私が手のひらを空に向ければ、小さな雪が舞い降りては消えるを繰り返す。
どのくらいそうしていただろうか。
私は気付けばバス停のベンチから立ち上がり駅へと向かって駆け出していた。
あんな約束きっと覚えてない。
琢磨は忘れてる。
それでも──。