壁尻マッチング☆~アンニュイな王太子さまをその気にさせる古の秘策!~
三話 アデーレとクリスタ
常にさげすまれ、罵られながら過ごした姉が生んだ念願の赤ちゃんは、産声をあげなかった。
いつから心音が止まっていたのか、どうして気がついてやれなかったのか、一体何がいけなかったのか。
悲しくて悲しくて悲しくて、産み終わってすぐのボロボロの体を労うことも忘れて泣いてばかりの姉に、アッカーマン侯爵夫人は非情な仕打ちをした。
「次代アッカーマン侯爵の最初の子が死産だなんて縁起が悪すぎるわ。不吉な嫁など不要よ」
アッカーマン侯爵家からの打診で無理やり婚約先を変更してまで嫁がされたのに、姉はあっけなく離縁され家に出戻った。
王太子妃が長らく決まらず、私がいつまでも候補者のままだったことも影響したかもしれない。
用無しと判断され、ろくな荷物も持たされず、ほとんど着の身着のままで帰ってきた姉を、私たち家族は温かく迎えた。
まだ出産の疲労も回復していなかった姉は、それから数か月寝込んだ。
肉体的な疲れに合わせて、精神的な疲れにも打ちのめされたのだ。
最近、やっと姉は元気を取り戻してきた。
笑うようになり、お母さまと出かけるようになり、アッカーマン侯爵家には内緒でこっそりと建てた赤ちゃんの墓に優しく語りかけることも出来るようになった。
私たちケップラ侯爵家にとっては鬼門でしかない王太子妃候補の選定の儀として、『壁尻の儀』の招集状が届いたのはそんなときだった。
「お父さま、その儀式はどんな儀式なのですか?」
「未婚のアデーレに言うのは憚られるが、どうやらコンラート殿下との体の相性を確かめるそうだ」
「……え?婚姻前ですよ?どうやって確かめるというのです?」
「何か確かめられる方法があるのだろうな。詳細は書かれていないんだ。なんでも王家の秘儀らしくてな」
お父さまは何度も招集状を読んでは、ひっくり返して裏にも何か書かれていないか確かめている。
何も書かれていなかったのだろう、ため息をついていた。
「そもそも、ケップラ侯爵家は王家との縁をそれほど望んではいない。これ以上、余計なことに巻き込まれるくらいなら、辞退してもいいと思っている。アデーレ、お前の気持ちはどうだい?」
「辞退したいわ!王太子妃候補に選ばれてからというもの、我が家には不幸しかやってこないじゃない!お姉さまがゆっくりと過ごせるように、静かな環境に戻しましょうよ!」
私はここぞとお父さまにお願いする。
私は、もともと王太子妃になりたかったわけではないし、四年間の候補者生活の中でコンラート殿下と仲良しになったわけでもない。
悪縁を呼び寄せる王太子妃候補など、下りれるものなら下りてしまいたい。
そんな私の意見に反対をしたのは驚くことにお姉さまだった。
「アデーレが素敵な淑女だから、王太子妃候補に選ばれたのだと思うの。とても名誉なことだわ。だからもう少し頑張ってみない?」
「お姉さま……お姉さまがそう言うのなら……でも、この体の相性っていうのは嫌だわ。もしかして体を触られたりするのかしら?」
19歳で王太子妃候補に選ばれた私は、コンラート殿下以外の男性とお付き合いをしたことがない。
ゆえに男女がどのような触れ合いをするのか、まるで知らないのだ。
知らないことへの恐怖は誰しもあると思う。
私のそんな怯えを察してくれたお姉さまが、とんでもないことを言い出した。
「この儀式の間だけ、私たち入れ替わってみない?幸い、私とアデーレは瞳の色が少し違うだけで顔は似ているし、化粧の仕方と髪の長さを同じにすれば、ますます分からなくなるわ」
私は茶髪茶瞳で髪は背中までの長さ、姉は茶髪橙瞳で髪は肩先までの長さだ。
どちらも顔はおっとりとした癒し系だと言われる。
儀式が行われる一か月後までに私が髪を肩先までの長さにして姉に似せた化粧をし、姉は私に似せた化粧をして儀式に参加する。
果たしてそんなことがうまくいくのだろうか。
お父さまとお母さまも心配げだ。
「私は男の人に触られても大丈夫だから。これまでずっと看病をしてくれたアデーレの役に立たせてちょうだい」
ふわっと柔らかいお姉さまのほほ笑みに、心を射貫かれてしまった私は、コクコクとうなずくしかなかった。
◇◆◇
一か月後、付き添いを一人だけ伴うことが許され、王太子妃候補たちは王宮の控室へと案内される。
それぞれが個室を与えられ、飾りのない聖職者のような服と、びっしり文字の並ぶ注意書きを手渡された。
注意書きはどうやら儀式の手順が書かれているらしい。
私たちは手順に則り、まずは着替えることから始めた。
アデーレは姉がドレスを脱ぐのを手伝う。
そう、アデーレは姉のふりをして付添人として、姉はアデーレのふりをして妃候補者として、ここまで来た。
王宮のメイドたちには見破られなかったことで少し安心したが――。
「お姉さま、ここまで来てしまったけど、いつでも止めていいのよ」
「いけないわ、私のことをお姉さまと呼んでは。どこで誰が聞いているか分からないのよ。いいわね、あなたは姉のクリスタ、私がアデーレなのだから」
お姉さまの決意は揺るがなかった。
ただし、下着をつけてはいけないという注意書きを見つけたとき、ちょっとだけお姉さまの動きが止まったのを私は見ていた。
(やっぱり不安なのよ、お姉さまだって!)
その後、続きの部屋へと向かう。
ケップラ侯爵家の化粧室くらいの広さで、壁の一部に穴が空いている。
注意書きによると、穴の下は扉になっているので、その穴から下半身を壁の向こうに突き出し、上半身はこちらの部屋を向いた状態で、扉を閉じればいいようだ。
(なんなの?この体勢は?)
注意書き通りにしているが妙な格好だ。
上半身が苦しくないように、壁の両脇には腕を載せる場所があった。
疑問符ばかりが浮かぶ私と違って、お姉さまはだんだん状況が読めてきたのか顔から表情が抜け落ちていった。
「お姉さま?止める?帰る?」
心配になって涙目で尋ねる。
なにしろ注意書きにはこのあと裾をまくりあげ、完全に下半身を露出するように書いてあるのだ。
「いいえ、やるわ。アデ……お姉さま、注意書きにはほかに何が書いてあるの?」
お姉さまは覚悟を決めたのか、率先して裾をまくりあげて腰でまとめている。
「ええっと……ええ!?猿ぐつわを噛んで声をあげられないようにし、さらに厚い布を頭からかぶって声がもれないようにしなさい。なお、その際に髪はまとめて結い上げ、壁の向こうに決してこぼれて見えないように……おかしいわ!お姉さま!これは絶対におかしいわよ!」
私は淑女にあるまじき叫び声をあげる。
なんなのだ、これは!
こちらの尊厳を無視した扱いだ!
いくら王命と言えど、許されるものではない!
憤る私を見て、お姉さまがふっと笑う。
どうして笑えるの、こんなときに。
もう私の顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
(お姉さま、帰ろう!)
そう言い張ろうとした私を、お姉さまの言葉が堰き止めた。
「私でよかったわ。あなたにこんなことはさせられない」
「さあ、猿ぐつわをちょうだい」
「髪を結うから布をかぶせてね」
「あなたは控室に戻るのよ。なにが聞こえても決してこちらに来ては駄目。約束してちょうだい」
最後は私を寄せ付けないように、突き放す物言いをしたお姉さま。
これから何が起こるの?
お姉さまは大丈夫なの?
私は何も出来ないの?
まるで罪人のように壁に囚われているお姉さまの姿に、ボロボロこぼれる涙が止まらず、それでも私は言いつけを守って、隣の控室へと戻ったのだった。
いつから心音が止まっていたのか、どうして気がついてやれなかったのか、一体何がいけなかったのか。
悲しくて悲しくて悲しくて、産み終わってすぐのボロボロの体を労うことも忘れて泣いてばかりの姉に、アッカーマン侯爵夫人は非情な仕打ちをした。
「次代アッカーマン侯爵の最初の子が死産だなんて縁起が悪すぎるわ。不吉な嫁など不要よ」
アッカーマン侯爵家からの打診で無理やり婚約先を変更してまで嫁がされたのに、姉はあっけなく離縁され家に出戻った。
王太子妃が長らく決まらず、私がいつまでも候補者のままだったことも影響したかもしれない。
用無しと判断され、ろくな荷物も持たされず、ほとんど着の身着のままで帰ってきた姉を、私たち家族は温かく迎えた。
まだ出産の疲労も回復していなかった姉は、それから数か月寝込んだ。
肉体的な疲れに合わせて、精神的な疲れにも打ちのめされたのだ。
最近、やっと姉は元気を取り戻してきた。
笑うようになり、お母さまと出かけるようになり、アッカーマン侯爵家には内緒でこっそりと建てた赤ちゃんの墓に優しく語りかけることも出来るようになった。
私たちケップラ侯爵家にとっては鬼門でしかない王太子妃候補の選定の儀として、『壁尻の儀』の招集状が届いたのはそんなときだった。
「お父さま、その儀式はどんな儀式なのですか?」
「未婚のアデーレに言うのは憚られるが、どうやらコンラート殿下との体の相性を確かめるそうだ」
「……え?婚姻前ですよ?どうやって確かめるというのです?」
「何か確かめられる方法があるのだろうな。詳細は書かれていないんだ。なんでも王家の秘儀らしくてな」
お父さまは何度も招集状を読んでは、ひっくり返して裏にも何か書かれていないか確かめている。
何も書かれていなかったのだろう、ため息をついていた。
「そもそも、ケップラ侯爵家は王家との縁をそれほど望んではいない。これ以上、余計なことに巻き込まれるくらいなら、辞退してもいいと思っている。アデーレ、お前の気持ちはどうだい?」
「辞退したいわ!王太子妃候補に選ばれてからというもの、我が家には不幸しかやってこないじゃない!お姉さまがゆっくりと過ごせるように、静かな環境に戻しましょうよ!」
私はここぞとお父さまにお願いする。
私は、もともと王太子妃になりたかったわけではないし、四年間の候補者生活の中でコンラート殿下と仲良しになったわけでもない。
悪縁を呼び寄せる王太子妃候補など、下りれるものなら下りてしまいたい。
そんな私の意見に反対をしたのは驚くことにお姉さまだった。
「アデーレが素敵な淑女だから、王太子妃候補に選ばれたのだと思うの。とても名誉なことだわ。だからもう少し頑張ってみない?」
「お姉さま……お姉さまがそう言うのなら……でも、この体の相性っていうのは嫌だわ。もしかして体を触られたりするのかしら?」
19歳で王太子妃候補に選ばれた私は、コンラート殿下以外の男性とお付き合いをしたことがない。
ゆえに男女がどのような触れ合いをするのか、まるで知らないのだ。
知らないことへの恐怖は誰しもあると思う。
私のそんな怯えを察してくれたお姉さまが、とんでもないことを言い出した。
「この儀式の間だけ、私たち入れ替わってみない?幸い、私とアデーレは瞳の色が少し違うだけで顔は似ているし、化粧の仕方と髪の長さを同じにすれば、ますます分からなくなるわ」
私は茶髪茶瞳で髪は背中までの長さ、姉は茶髪橙瞳で髪は肩先までの長さだ。
どちらも顔はおっとりとした癒し系だと言われる。
儀式が行われる一か月後までに私が髪を肩先までの長さにして姉に似せた化粧をし、姉は私に似せた化粧をして儀式に参加する。
果たしてそんなことがうまくいくのだろうか。
お父さまとお母さまも心配げだ。
「私は男の人に触られても大丈夫だから。これまでずっと看病をしてくれたアデーレの役に立たせてちょうだい」
ふわっと柔らかいお姉さまのほほ笑みに、心を射貫かれてしまった私は、コクコクとうなずくしかなかった。
◇◆◇
一か月後、付き添いを一人だけ伴うことが許され、王太子妃候補たちは王宮の控室へと案内される。
それぞれが個室を与えられ、飾りのない聖職者のような服と、びっしり文字の並ぶ注意書きを手渡された。
注意書きはどうやら儀式の手順が書かれているらしい。
私たちは手順に則り、まずは着替えることから始めた。
アデーレは姉がドレスを脱ぐのを手伝う。
そう、アデーレは姉のふりをして付添人として、姉はアデーレのふりをして妃候補者として、ここまで来た。
王宮のメイドたちには見破られなかったことで少し安心したが――。
「お姉さま、ここまで来てしまったけど、いつでも止めていいのよ」
「いけないわ、私のことをお姉さまと呼んでは。どこで誰が聞いているか分からないのよ。いいわね、あなたは姉のクリスタ、私がアデーレなのだから」
お姉さまの決意は揺るがなかった。
ただし、下着をつけてはいけないという注意書きを見つけたとき、ちょっとだけお姉さまの動きが止まったのを私は見ていた。
(やっぱり不安なのよ、お姉さまだって!)
その後、続きの部屋へと向かう。
ケップラ侯爵家の化粧室くらいの広さで、壁の一部に穴が空いている。
注意書きによると、穴の下は扉になっているので、その穴から下半身を壁の向こうに突き出し、上半身はこちらの部屋を向いた状態で、扉を閉じればいいようだ。
(なんなの?この体勢は?)
注意書き通りにしているが妙な格好だ。
上半身が苦しくないように、壁の両脇には腕を載せる場所があった。
疑問符ばかりが浮かぶ私と違って、お姉さまはだんだん状況が読めてきたのか顔から表情が抜け落ちていった。
「お姉さま?止める?帰る?」
心配になって涙目で尋ねる。
なにしろ注意書きにはこのあと裾をまくりあげ、完全に下半身を露出するように書いてあるのだ。
「いいえ、やるわ。アデ……お姉さま、注意書きにはほかに何が書いてあるの?」
お姉さまは覚悟を決めたのか、率先して裾をまくりあげて腰でまとめている。
「ええっと……ええ!?猿ぐつわを噛んで声をあげられないようにし、さらに厚い布を頭からかぶって声がもれないようにしなさい。なお、その際に髪はまとめて結い上げ、壁の向こうに決してこぼれて見えないように……おかしいわ!お姉さま!これは絶対におかしいわよ!」
私は淑女にあるまじき叫び声をあげる。
なんなのだ、これは!
こちらの尊厳を無視した扱いだ!
いくら王命と言えど、許されるものではない!
憤る私を見て、お姉さまがふっと笑う。
どうして笑えるの、こんなときに。
もう私の顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
(お姉さま、帰ろう!)
そう言い張ろうとした私を、お姉さまの言葉が堰き止めた。
「私でよかったわ。あなたにこんなことはさせられない」
「さあ、猿ぐつわをちょうだい」
「髪を結うから布をかぶせてね」
「あなたは控室に戻るのよ。なにが聞こえても決してこちらに来ては駄目。約束してちょうだい」
最後は私を寄せ付けないように、突き放す物言いをしたお姉さま。
これから何が起こるの?
お姉さまは大丈夫なの?
私は何も出来ないの?
まるで罪人のように壁に囚われているお姉さまの姿に、ボロボロこぼれる涙が止まらず、それでも私は言いつけを守って、隣の控室へと戻ったのだった。