若頭
「付き合って欲しい」
私の目の前に、決して現れてはならない筈の男性の存在。
この声……。
一体何処っ……何処でだろうか?
頭に引っかかる。
どうしてか困惑したままの自分自身も、聞いた事があると感じる不思議な感覚に襲われる。
そして、この男性に対して、自分自身がそう錯覚してしまっている事。
今までに関わりを持っていたのでは?
そう思わせる思考の感覚に、さらに恐怖を覚える。
けれど、この男性に今までに1度でも会っている筈が無い……。
関わり合いに……もし、それが1度でも一瞬だとしても会っていたのならば確実に、忘れられない存在である事には変わりが無いだろうから……。
けれど、顔を挙げずとも、もう既に理解出来ている。
私に声をかけてきた目の前の男性が何者であるかどうかは……。
早く帰りたい……。
ここから逃れたい……。
そんな言葉ばかりが頭を過ぎる。
だが、嫌でも男の声がホールの廊下で呟かれ、私の耳へと入り、その音が直ぐにこの空間に吸い取られる。
パーティー会場から少し離れたヨーロッパをモチーフにした空間。
歩きやすい床は大理石がはめ込められ、嫌でも視界全体を覆う白に近いクリーム色の壁は彫刻で細かく掘られ、天井は普通の家の4階以上は余裕に超える高さ。
透明のクリスタルでこの場を一気に煌びやかで象徴的空間にさせる今にもその重荷で落ちてしまいそうな程大きくてシャンデリア。
そのどれもが眩しくて、目を逸らしたくなるが今はそちらに目を向けなければならないようだ。
その空間の中、何故か男は私の目の前に現れ、行先を阻み、引き止めるように、そう私に向け声をかけたから。
心からお願いするような口調。
それに加え、何故か柔らかな温かみを含んだ、男性を感じさせる艶気を含んだ低い声。
それら全てに動揺を隠せる訳もなく、瞳を見開かずにはいられなかった。
だが、現在の状況を同時に考えるより先に身体がこの状況を否定し、この空間から逃れようと、勝手に動き、つま先は出口の方へ向かおうとしていた。
悪く言えば、理解していながら、私に向けてかけたであろう男の視線、言葉を無視するように……この最悪な予期せぬ状況から逃げようとしていた。
けれど、当然、相手は私以上に上手の人物。
私は籠に閉じ込められる弱者である小鳥。
対して、彼は弱者を狩る狼。
私を閉じ込められる力を持つ強者的存在。
ネズミが猫に駆られるように、その猫が人間が人間に敵わないように。
この世界は弱肉強食で成り立っている。
同じ人種の人間だとしても強いものが全てを決められる権利を持ち合わせる。
その場合多くは、どんな皮肉な形であっても彼らの判断がより正しく、力でも敵わない事が多いのも全て事実。
ほら、もう彼は私が瞬間的に逃げると感じて足の方向を向け1歩を踏み出し、その先へ足裏を着ける前……。