そしてリリアナは第三王子のお妃様になりました
頭のすぐそばで、こん、とカウンターが鳴る。
まかないができあがったのかと顔を上げると、そこにはアルマの絶品サンドウィッチは見当たらず、代わりにほっそりとした綺麗な手があるだけだった。
水仕事で荒れ放題のリリアナの手とは違い、指先まで手入れが行き届いてとても柔らかそうだ。
「暇なら食堂の前に置いてあるシーツの箱、焼却炉に持っていって」
高い位置で一つに結い上げた、白銀の艶やかな長い髪に上向きの目尻が特徴的な紫色の大きな瞳。
一際目を引く綺麗な顔つきはいいとして、人を小馬鹿にしたような態度はいい加減やめたほうがいいのではとリリアナは密かに思った。
「ちょっと聞いてる?」
「あ、はいはい聞いてます。すみません」
ふんと鼻を鳴らし、腕を組んだ彼女――――イザベラは、リリアナをこき使うメイド達のリーダー的な存在だ。
性格はとても傲慢な上に気位が高く、誰と話す時も貴族主義を全面的に押し出していて、リリアナにとっては最も苦手とする相手だった。
豊かな資源に恵まれた領地の生まれで、父親のアールステット男爵には財力もあり、本来なら働かなくてもいい身分だけれど、今年の春に19歳を迎えた彼女は花嫁修業のため王宮に遣えているらしい。
王宮の至る所で、白馬の王子様との出会いを求めていると噂で耳にしたのはつい先日のことだ。
19歳といえば貴族の間では婚活シーズン真っ只中。
でも残念なことに、冬になった今でもイザベラはまだいいご縁に恵まれていないそうだけれど、平民のリリアナには関係ない。
「夜勤って眠いし肌も荒れそうだし最悪。あなたみたいな何の価値もない人がやるべきだと思うのよね。ねぇ、今から変わってくれない?」
「それじゃ、わたしの寝る時間がなくなっちゃいます」
「1日くらい寝なくても平気よ」
「でも交代して欲しいって頼んできたのはイザベラさ……」
「うるさいわね。とにかく食堂の前のシーツ捨てて来て! 捨てたらすぐに戻って来なさい!」
イザベラが癇癪を起こすと誰にも止められなくなる。
そうなる前に言うことを聞いておいたほうが無難だと判断したリリアナは、「はーい」と適当に返事をしてそそくさと食堂を出た。
もちろん、戻る気はない。
扉の前にはシーツの入った茶色い厚紙の箱が3箱も積み上げられている。
これを一人で運ぶのは辛そうだ。
2階の食堂から向かい側に建つ使用人専用宿舎の裏庭を周って、しばらく歩いたところにある焼却炉までの距離を考えると、2回に分けて運んだほうが賢明ではある。
「えぇぇ! めんどくさ……!」
リリアナは誰もいない廊下で膝を抱えた。
体力には自信がある。
自分でも可愛げがないと思うほど身体は丈夫だし、実はイザベラの言った通り1日くらい寝なくたって平気だ。
けれどリリアナにはこの後、誰にも言えない仕事がまだ残っている。
早くまかないを食べて、できれば汗だくの身体をシャワーで流して、薄く施した化粧もサッと整えて。
最後の仕事に取りかかる前にこれらをすべてやっておきたかった。
荷物を運ぶのと引き換えに、全部諦めてしまわないといけないなんてこの上なく残念で悔しい。
けれどモタモタしている時間もなく、とりあえず急いでシーツの入った重い箱を2つ積み上げ、両手に抱えた。
不安定な足取りで冷たい廊下を歩いていると、箱の向こう側から白いレザーシューズが床を鳴らしているのが見えた。
白いレザーシューズを履いているのは、白い隊服がトレードマークの近衛騎士だけだ。
使用人しかいない廊下になぜいるのだろうと不思議に思ったリリアナは、視界の大部分を遮る荷物を抱えながら身体をひねった。
背の高い近衛騎士が無愛想な表情でこちらを見下ろしている。
「何でしょう?」
「今からエイル王子殿下がここを通られる。端に寄るように」
エイル――――最推しである第三王子の名前を告げられ、リリアナは思わず声を上げそうになった。
下働きの者が走り回る慌ただしい場所を、なぜエイル王子殿下が通らなければいけなくなったのかは分からないけれど、このままぼうっと突っ立っておくわけにはいかない。
慌てて重い箱を床に置き、リリアナは緊張しながらひっそりと廊下の端に立った。