初恋の終焉〜悪女に仕立てられた残念令嬢は犬猿の仲の腹黒貴公子の執愛に堕ちる
錯乱
――ここって……
エリザベスは想い出の泉を目の前に、思わず背後を振り返っていた。そんな筈はない。彼がこの泉を知っているはずがない。
脳裏に浮かんだ既視感を払うためエリザベスは頭を振るが、陽の光を背に立つハインツの姿が金色の少年と重なっていく。
「エリザベス、手を」
「えっ?」
「ずっと、馬に乗っている訳にもいかないでしょ」
先に馬上から降りたハインツが手を差し出している。ただ、その手を取ることが出来ない。その手を取ってしまえば、引き返せないところまで追い詰められてしまう予感がする。もう、彼から逃げられなくなってしまう。
このまま手綱を握り、馬を走らせればいい。今ならまだ逃げ出せる。そんな思いを見透かしたかのように宙を彷徨うエリザベスの手をハインツが掴み、引いた。
バランスを崩し落ちていく。
エリザベスは落ちていく身体をどうすることも出来ず、ハインツの腕の中へと収まってしまった。
「ハインツ様、降ろしてください!」
「ふふふ、逃げようとしていたでしょ?」
「うっ……」
「図星ですか。往生際が悪いというか、なんというか。エリザベスはひどい人ですね。こんな森の中に私を置き去りにするつもりだったと」
「いいえ! 違うわ。ちゃんと迎えを寄越すつもりだったわよ」
「やはり、逃げるつもりだったのですね」
「あっ……」
カマをかけられた事に気づいたエリザベスの頬が赤く染まる。
(恥ずかしい……、これじゃ、完全に私が悪者じゃないの)
エリザベスは気まずさからハインツの顔を見れず、俯くことしか出来なくなってしまった。
「今の貴方の心境を考えれば逃げ出したくもなるでしょうけど……。まぁ、たとえ置き去りにされても、帰るすべはありますけどね。シュバイン公爵領は目と鼻の先ですし」
えっ? シュバイン公爵領が目と鼻の先って本当に?
ハインツの言葉を頭の中で思案しても答えがわからない。シュバイン公爵領とベイカー公爵領が隣り合っていると、エリザベスは聞いたことがなかった。しかし、公爵家ともなれば治める土地は広大になる。エリザベスが知らないだけで、ハインツの話が真実であるということは十分にあり得る話だった。
(まさか……、ハインツ様はこの泉の存在を知っていたとでも言うの?)