初恋の終焉〜悪女に仕立てられた残念令嬢は犬猿の仲の腹黒貴公子の執愛に堕ちる
「エリザベス、私が怖いですか?」

「怖くなんてないわ……」

「貴方は昔から変わらない。夜会でひとり虚しく壁の花になっていようとも、私に頼ってはくれなかった。いつになったら貴方は、私を視界に捉えてくれるのだろうか。そんな想いで会うたびにキツい事を言ってしまった」

「何よそれ。今さら謝罪でもする気?」

 ハインツが何の目的でベイカー公爵家と姻戚関係になりたいかなど、どうでもいい。どうせ碌な理由じゃない。ただ、婚約に関してエリザベスの意志が最優先されるのであれば絶対に『OK』だけは言うまいと心に誓う。

「謝罪? する訳ないじゃ無いですか。憎しみの感情ほど強いものはない。現に貴方の中の私の存在は、出会った頃に比べ大きくなっているはずだ」

「そんな事ないわ!」

「本当にそうでしょうか? ベイカー公爵邸に私が現れてから、エリザベスの頭の中は私の事でいっぱいだ。ウィリアム王子の事を綺麗さっぱり忘れる程にね」

 確かにハインツの言う通りだった。ハインツが、ベイカー公爵領に来てから、エリザベスの頭の中は彼の事ばかりだ。

(そう言えば、あんなにウジウジと考えていたウィリアム様の事を思い出しもしなかったわね)

 だからと言って、ハインツに感謝している訳ではない。

「……そんな事、ハインツ様には関係ございません」

「そうですか。仮にも貴方に婚約を申し込んでいる男を目の前に、よくそんな可愛くない口が利けますね」

「えっ? 婚約を申し込んでいる?」

「はっ……、まさか公爵家同士の婚約話、自分の事ではないと思っていた?」

 ハインツの胡乱な視線がエリザベスに突き刺さる。

(ちょって待ってよ。流石に自分の事だとは思っていたわよ。でも、まさかハインツ様が相手だとは思わないじゃない、普通。あんなに仲が悪いのに)

「自分の事だと思っていましてよ、もちろん。でも、お相手がハインツ様だとは思わないじゃありませんか。例えば、弟様とか」

「……私に兄弟はいません」

「えっ……」

 マズい……、公爵令嬢としてはあるまじき失態だわ。

 ハインツの胡乱な視線が鋭さを増し、エリザベスの背を大量の冷や汗が流れていく。

 高位貴族なら自国の貴族名鑑が全て頭に入っていて然るべきだ。以前のエリザベスなら、自国のみならず、隣国の貴族名鑑ですら空で覚えていた。この半年の自堕落な生活で公爵令嬢としての最低限の教養も頭の片隅から消え去っていた。

「はは……ははは……、私が想像する以上に、貴方の心に私はいないのですね。結局のところ、あの頃と何も変わっていない」

「あの頃?」

「そうです。あの頃ですよ。この場所に連れてくれば思い出すと信じていた私が馬鹿だった」

 この場所に連れてくれば思い出すと信じていたって……

 ずっと感じていた既視感が再び脳裏をかすめる。

 そんな筈ないわ。だって彼は金色の髪をしていたのよ。

「エリザベス、この泉を見ても何も思い出しませんか? 貴方がまだ幼かった頃、私とエリザベスは出逢っている」

「嘘よ。そんな筈ないわ! だって彼は……彼は……」

 ハインツの言葉に頭が混乱する。何度否定しても、既視感が拭い去れない。

「嘘よ、嘘よ。そんな筈ない!」

 混乱を来した頭は、とうとう考える事を放棄した。

(逃げなければ、逃げられなくなる……)

 得体の知れない恐怖に支配され、彼の腕に囚われている事が怖くてたまらない。どうにか逃げ出そうと暴れたエリザベスは一瞬の隙をつき、ハインツの腕を飛び出した。

 しかし、錯乱していたエリザベスは前を見ていなかった。

 バシャンという大きな音と共に水飛沫があがり、泉に落ちた事にエリザベスが気づいた時には、どうすことも出来なくなっていた。

 水を吸って重くなった衣服がまとわりつき、身体が水底へと沈んでいく。それと同時にエリザベスの頭の中を過去の記憶がフラッシュバックしては消えていく。

 死ぬのだろうか……

 漠然とそう感じた時、世界が浮上した。

 金色の世界を背に立つ男。彼を瞳に写した時、エリザベスは全てを思い出した。

「昔も今も、世話のやけるご令嬢だよ」

 そんな憎まれ口を聴きながら、エリザベスの世界は深淵へと落ちた。
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