初恋の終焉〜悪女に仕立てられた残念令嬢は犬猿の仲の腹黒貴公子の執愛に堕ちる

馬鹿げた観劇


「ねぇ、ミリア。私、領地から帰って来てから何かしたかしら?」

「いいえ、何も。相変わらずのだらけぶりです」

 エリザベスが王都へと戻り、早一ヶ月が過ぎようとしていた。

 あの日、シュバイン公爵家の別邸に連れて行かれた日のことは誰にも打ち明けていない。乳姉妹であるミリアにさえ、打ち明けられるような話ではなかった。

 しかし、勘の良い彼女の事だ。あの日、何が起こったのかは察しがついているのかもしれない。翌朝、ベイカー公爵家に戻ったエリザベスを見たミリアの泣きそうな顔が今でも脳裏に焼き付いている。

 あれから、王都に呼び戻されたエリザベスは、早々に父の執務室へと呼び出された。

『エリザベス嬢は、ハインツ・シュバインとの婚約を了承しました。つきましては、婚約了承の旨、陛下へお伝え願いたく存じます』

 シュバイン公爵家から届いた書簡を渡されたエリザベスは、父から真意を問われた。あの時、父の前で泣き崩れなかっただけ、エリザベスは頑張ったのではないだろうか。

(ハインツ様と関係を持ちましたなどと、口が裂けても言えないわ)

 とっさに出た『傷ついた心を癒してもらい、いつの間にか好きになっていた』という嘘を、父が信じてくれて本当によかったと思う。

(結局、ハインツ様との婚約は成立したのかしら?)

 あの日を境に、ハインツからのアクションは何もない。

 あの夜の出来事は幻だったのではと思えるほど何も起こらない日々に、エリザベスは気分が落ち込んで仕方なかった。ただ、その理由がわからない。

 ハインツは宰相補佐と王太子の側近を兼任している。今までだって、忙しく立ち回っていたことだろう。それがベイカー公爵領地に現れて、数日間執務を離れていたのだ。書類の山に忙殺されていてもおかしくはない。

(でも、手紙くらいくれたっていいじゃない……)

「お嬢様。お部屋の空気がよどんでおります。これでは領地にいた時の方がマシです」

「ミリア、ひどいわ」

「ひどいわ、ではありません。ハインツ様に放置されて沈んでいらっしゃるのはわかりますが、たかが男一人に振り回されてウジウジと。ハインツ様を振り回すくらいの手管を身につけ、虜にしてやるくらいの上昇思考をお持ちください」

 ミリアの言う通りだった。たかが、男一人に振り回されてウジウジと。

 そもそも、ハインツとの仲は以前から良くないのだ。彼の気まぐれか、何かは知らないが、手篭めにされて、婚約を無理矢理了承させられて、このまま彼の思い通りになっていて良いのか、エリザベス。

(音沙汰ないなら、それはそれで万々歳くらいの心持ちでいなさいよ。突き進むのよ、エリザベス!!)

「そうね! 彼に振り回されるなんて真っ平ごめんよ。これから、社交界にも戻るでしょうし、今のままでは負け犬令嬢と揶揄されても何も言い返せないわね」

「その粋です、お嬢様!」

 王都に戻ってからの1ヶ月、公爵邸から一歩も出ていないエリザベスは、今の王都の現状や流行、社交界の噂はもとより、市井の噂ですら知らない有様だった。これでは、社交界に復帰しても魑魅魍魎渦巻く貴族社会で太刀打ち出来ない。

(色々と気にしていても仕方がないわね。まずは、情報収集からよ)

「ミリア、街に出ましょう」

 そして、街に出たエリザベスは衝撃的な噂を耳にする。

『意地悪公爵令嬢に婚約破棄を突きつけた第二王子殿下が、真に愛する男爵令嬢マリア・カシュトル様と婚約された』というものだった。

 市井では、社交界での噂が尾びれや背びれ、はたまた胸びれまでついて、流れることが多い。つまりは、市井での噂は、社交界でも流れていると見て間違いないと言うことだ。

 考えていた以上に悪い状況に、エリザベスは大きなため息をつく。

 それに追い討ちをかけるように『意地悪公爵令嬢に立ち向かった心優しい男爵令嬢と王子との真実の愛』などという観劇のポスターを見つけたエリザベスは、足元から崩れ落ちそうになった。

「ミリアは、街での噂知っていたの? ウィリアム様の婚約のこと」

「えぇ、もちろん知っています。大流行の馬鹿げた観劇のことも」

「教えてくれても良かったじゃない」

「お嬢さま、何をおっしゃっているのですか! 馬鹿王子と男爵令嬢の婚約、お嬢さまはまだ馬鹿王子に未練があるのですか?」

「未練なんてないわよ。ただ、男爵令嬢ってウィリアム様の最後のお相手の方よね。彼が気にいるような儚げな女性だったかしら?」

 エリザベスがウィリアムから婚約破棄を言い渡された時、彼の隣にいた女性は儚げな女性では決してない。

 去り際に見せた笑みは、まぎれもなく私に対する嘲笑をにじませていた。

(儚げと言うより、小悪魔的な雰囲気というか、どう足掻いても気の強い肉食令嬢と言った感じよね。ウィリアム様の好みとはかけ離れているように思うけど……)

「そもそも、馬鹿王子の事を思い出すこと自体、未練があると言っているのです。そんな状態で、ミランダ様の成婚パーティーに出席するなど自殺行為です。きっと、夜会には殿下とその男爵令嬢も現れます。お嬢さまが動揺されれば、奴らの思う壺です。奴らを見返してやるくらいの気概をお見せください」

「そうね……そうよね……」

 見返すくらいの気概がなければ、今度こそ本当に社交界から締め出されてしまうわね。

「ミリア、私頑張るわ!」

 そしてこの日を境に、ミリアによるお嬢さま改造計画が始動し、全盛期の美貌にも引けを取らない出来に仕上がったエリザベスは無事、社交界復帰当日を迎えたのであった。

 
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