初恋の終焉〜悪女に仕立てられた残念令嬢は犬猿の仲の腹黒貴公子の執愛に堕ちる

「ベイカー公爵、今日はお招き頂きありがとうございます」

(お前を招いた覚えはないがな)

 柔和な笑みを崩さない目の前の男を見つめ、漏れそうになるため息を飲み込む。

 ハインツを目の前に気を抜いている場合ではない。先ほどから笑みを絶やさないヤツの目が全く笑っていないのはわかっている。

「立ち話もなんだな。座れ」

「失礼致します」

 対面のソファに座ったハインツは変わらずの笑みを浮かべている。さて、どこまでヤツの真意を探れるか。

「それで、改まって話とは何だ? こうも毎日顔を合わせているのだ。王城の執務室でも事足りたのではないか?」

「くくく、公爵も人が悪い。あんな誰が聴いているかもわからない執務室で、エリザベス嬢との婚約話など出来るはずもない。あぁ、だから半年間も個人的な話し合いに応じて下さらなかったのですね」

「ふん。エリザベスは、ウィリアム王子に婚約を破棄されたばかりだぞ。傷も癒えんのに、次の婚約話など出来ん」

「よく言いますよ。第二王子と結婚させるつもりなど無かったくせに――」

 ボソっと呟かれた言葉に片眉が跳ね上がるが、聴こえなかったふりをする。図星を刺され、胸が痛い。

 元々、エリザベスをあの馬鹿王子に嫁がせるつもりはなかったのだ。四大公爵家の中で娘が居るのはベイカー公爵家のみ。順当に行けば、王太子殿下の婚約者はエリザベスになる筈だった。しかし、第二王子との婚約が決まったのは、エリザベスの意向が大きい。若干十歳でウィリアム王子に恋してしまったエリザベスは、第二王子の婚約者になる事に執念を燃やしていた。それを無碍にも出来ず、王太子の婚約者候補の打診に、第二王子との婚約なら受けると返事をしてしまった。一時の気の迷い、エリザベスもいつかは目を覚ますだろうと願いながら十年。まさか、目を覚ますこともなく今でもウィリアム王子にゾッコンとは、我が娘ながら頭が痛い。

 領地で未だに伏せっていると聞くエリザベスの心情を考えると、頭を抱えたくもなる。

「――エリザベス嬢は、今でも領地で静養中なのですか?」

「あぁ。ただ、このままと言うわけにも行かぬ。社交界から姿を消して半年。これ以上は、アイツの将来を本当の意味で潰す事になるからな」

「妥当な線ですね。あの噂も下火になっている。復帰するには、何か手土産が必要だと思いませんか?」

「その手土産と言うのが、お前との婚約話とでも言うのか」

「これ以上の手土産は無いと思いますが。中立派のベイカー公爵家と王太子派のシュバイン公爵家の婚約話、社交界はひっくり返りますよ。エリザベス嬢の悪い噂などあっという間に忘れ去られる」

「お前の目的は、社交界を混乱に陥れる事か? 貴族社会の力関係を滅茶苦茶にして、何を企んでいる」

「ふふふ、何も企んでなどいないですよ。ただ、夢を叶えたいだけですよ。幼い頃の夢をね」

「お前の夢など糞食らえだ! そんなモノにエリザベスを巻き込むな」

「それは出来ない相談です」

「ハインツ……いい加減にしろ! お前が、何を企もうと、エリザベスを巻き込む事だけは許さない。今回の婚約話――」

「ベイカー公爵。貴方が婚約話を破談にしようとも、私は諦めない。必ず、エリザベスを手に入れる。それは、絶対だ」

「――っ! お前……」

 先ほどまでの柔和な雰囲気が消え去り、眼光鋭くこちらを見据えるハインツの威圧が背を震わす。

(コイツ……。正面切って脅しをかけるとは、やはりあの噂は本当であったか)

 数年前、正式に第二王子とエリザベスの婚約が決まった頃、王城の執務がストップするほどの事件が起こった。王太子と第二王子とで王室の執務を二分していた当時、第二王子に託された他国との貿易交渉が、頓挫寸前まで追い込まれる事態となった事件があったのだ。あの時は、王太子が矢面に立ち早急に問題を解決した事で、大事には至らなかった。ただ、あの事件がきっかけとなり、第二王子の政務に関する発言権は急速に落ち、最終的には政務から排除される結果となった。

 あの一件は、第二王子の政務に対する怠慢が招いた事件として片づけられたが、第二王子を排除したい誰かが裏で糸を引いていたのではと言われている。もし仮に、その糸を引いていたのがハインツだとしたら。第二王子を排除する目的が、エリザベスと王子との婚約を破談へと追い込むために仕組んだモノだったとしたら。

 当時は、そんな馬鹿げた話あるものかと思ったが、目の前で威圧を放つハインツを見ていると、馬鹿げた話が真実であったのではと思えてならない。

(ハインツは、エリザベスを愛しているのか? まさかな――)

「公爵、失礼致しました。少々、私も焦っていたようです。何しろ、半年も待たされましたから」

 フッと威圧が消え、いつものハインツへと戻る。

「ふんっ、半年くらい何だと言うのだ。ハインツ、お前が何を企んでいるかは知らんが、エリザベスとの婚約は認めん。アイツを政略の駒にするつもりはない。エリザベスには、好いた男と一緒になり幸せになってもらいたい。それがベイカー公爵家としての返事だ」

「では、エリザベス嬢が私との婚約を承諾すれば、ベイカー公爵家としても、この婚約話受けてくださると言うことですね?」

「そう言うことになるな。ただ、お前にエリザベスの心を動かす事が出来るとは思えんがな。ウィリアム王子への想いを変えることは、最後まで家族ですら出来なんだ。エリザベスの心にお前が入り込む余地など無いわ」

「相変わらず、目障りな男だ……」

 一瞬露わになった怒りの表情も、すぐに柔和な笑みに隠される。

「そうですか。ただ、未来は誰にもわかりませんよ。エリザベス嬢が振り向いてくれる未来もあるかも知れません」

「減らず口を叩きおって」

「ふふふ、始めから諦めていては、エリザベスを奪えませんから。そろそろ、子離れした方がよろしいかと思いますよ、公爵」

「貴様!」

「そうそう、今のままでは圧倒的に私が不利ですね。お願いがあります。エリザベス嬢と一週間、領地で一緒に過ごさせてください」

「はっ!? エリザベスは未婚の女性だぞ!!」

「二人っきりとは言いません。エリザベス嬢の友人のアイリス嬢とミランダ嬢。そのお二方のパートナーも一緒ではいかがですか? エリザベス嬢も気心の知れた友人とお会いしたいと思いますが。では、公爵が知りたがっているであろう事を一つお教えしましょう。公爵家同士の婚姻を可能にする方法を」

(何!? ハインツは、王家を黙らせるカードを持っているのか?)

「お前は、本気で陛下からエリザベスとの結婚の許可をもぎ取るつもりなのか?」

「もちろんです。そのための布石は打ってきたつもりです」

 笑みを消し、真剣な眼差しで紡がれる言葉を聞き、ハインツの本気を感じる。奴はエリザベスとの結婚を本気で考えているのか。婚約だけでなく、その先の未来をもエリザベスと共に歩もうと。ハインツの夢とは――

「そうか……、公爵家同士の婚姻? そんなモノに興味はない。必要であれば、お前がどうにかするのであろう。エリザベスには、ハインツが婚約者候補であると伝えないがよいか?」

「かまいませんよ」

「わかった。領地には早馬を出しておく」

「ありがとうございます。一週間後に、領地へ着くように調整致します」

「ところでひとつ。なぜ王太子派はウィリアム王子の女遊びに関して、エリザベスの耳に入らないようにしていたのだ? アイツの周りは、王太子派の貴族令嬢ばかりだと言うのに。その者達を利用すれば、いくらでもエリザベスにウィリアム王子の悪い噂を刷り込む事は出来る。そのために、お前はエリザベスの周りを王太子派で固めたのではないのか?」

「ベイカー公爵様も薄々はわかっていらっしゃるのではないですか? 婚約破棄をするにもベストなタイミングというものがあるのですよ。全てのピースが揃った今だからこそ、動けるのです」



「父上、ハインツ殿との話し合いはいかがでしたか?」

 ハインツとの話し合いを終え、私室へと戻ってきたベイカー公爵にリドルが話しかける。

「エリザベスも、策士に好かれてしまったものだ。次期宰相候補の名は伊達ではないな。領地のエリザベスとミリア宛に急ぎ手紙を書かねばならんか」
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