初恋の終焉〜悪女に仕立てられた残念令嬢は犬猿の仲の腹黒貴公子の執愛に堕ちる
 生ける屍となったエリザベスの世界は灰色だった。何を言われても、何をやっても、何を与えられても心が動くことはない。彼と出会ったあの時も、無意識的にこの泉に来ていたのだ。あの時、なぜこの場所に立っていたのかすらも覚えていない。ただ、この泉に入れば、母に会えるのだと漠然と考えていた事だけは覚えている。

(死ぬつもりだったのかしらね……)

 ゆっくりと、泉ヘと入っていく幼いエリザベス。まとわりつく水の重さ、ぬかるむ水底に足を取られ、気づいた時には身体が沈んでいた。薄れゆく意識の中、これでやっと母に会える、漠然とそう感じていたことだけは覚えている。そんな深淵へと沈みゆく意識が突然浮上したのだ。

 閉じていた瞳に感じる暖かな光。ぼやけた視界が徐々に鮮明になっていく。そして、目の前に現れたのは、必死の形相で何かを叫ぶ誰か。ただ、その全てがどうでもよかった。何かに取り憑かれたように泉へと入ろうとする身体を強い力で引き寄せられ、頬を打たれた。

『君の命は、君一人だけのものではない』

 放たれた言葉が、全てを変えた。

 父や兄や乳母やミリア……、大切な人達の顔が次々と脳裏を駆け巡る。母の存在一色だった世界が、その一言で変わっていく。このまま死ねば、愛する人達を今のエリザベスと同じ状況にしてしまう。あの時、唐突に己の罪深さを理解した。

(あの言葉がなければ、私はきっと生きていないわね)

 動くことのなかった心がトクンっと動き出す。灰色の世界が色鮮やかに色づき出す。そして、何も映し出さなかった瞳に感情が宿った時、初めて命を救ってくれた少年の存在を意識した。

 陽の光を背に立つ、とても綺麗な少年。

 彼とウィリアムが同一人物ではないことくらい理解している。ただ、ウィリアムの笑みを見た時、金色の少年もまたエリザベスを探していたのだと思った。この再会は運命なのだと。

(馬鹿みたいね。そんな運命的な再会、ある訳ないのに)

 もう、この想いに決着をつけねばならない。

「お父様の決めた方に嫁ぐのが一番ね……」

 これ以上、領地で塞ぎ込んでいる訳にはいかない。父が、エリザベスの今後をどう考えているかはわからない。ただ、未だに修道院へ送られていない現状を考えれば、まだ利用価値があると思われているのだろう。

(ヒヒジジイの後妻だろうと、隣国の変態貴族への貢物だろうと、お父様のお役に立てるなら、それで良いじゃない!)

 ウィリアムの事で散々我儘を言ってきたのだ。それなのに、彼の心を掴む事は出来なかった。だったら親孝行と思い、父の政治の駒となればいい。

(最後に、この泉に来られて良かったわ。さよなら、私の初恋――)

 愛馬にまたがりエリザベスは思い出の泉に背を向ける。そして、ベイカー公爵邸へと駆け出した。

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