ベッド―令和で恋する昭和女―
中島くんと加納くんに焼き場を任せた私は休憩室に足を向けた。
もう少しだけ中島くんと加納くんの言葉のやり取りを聞きたい気持ちがあったが、抑えた。
中島くんが加納くんの指導をすることを進言したのは私だったし、シフト表を見たにも関わらず加納くんの休憩時間を把握していなかったことに関して、後ろめたい気持ちもあったからだ。
調理場と売り場を通ると、そちらこちらから、
「お疲れ様です」
という挨拶が聞こえた。
私は事務的に、
「お疲れ様」
と、返した。
階段を使い、休憩室に入ると一人の女性が食事を摂っていた。
中島くんと加納くんのシフトをすっかり忘れていた私に、二人が休憩を欲していることを伝えた女性である。
この女性は主に売り場を担当していた。
女性は仕出し弁当の蓋を空けているところだった。
休憩室の時計を見ると、時刻は午前11時となっていた。
『リラの工房』では従業員が午前11時に昼食を始めることが多い。
が、一度にすべての従業員が休憩に入ってしまうと店が回らなくなるので、交代で入ってもらうようにしている。
通常、1人か2人でお昼ご飯を食べてもらうことが多かった。
女性は1人だ。
(一人でゆっくりご飯を食べたいだろうに、私なんかが来て邪魔だよな)
思ったが、私が気を遣うと女性を緊張させてしまうと思い、あえて横柄ともいえる態度を取ることにする。
「馬鹿やっちゃってご飯を中途半端に残しちゃったよ。もう一回、チンして食べようかな」
女性は私に対して笑顔を見せた。
そして小さく、
「いただきます」
と言うと弁当を食べ出した。
私は冷えた白米が詰まった弁当箱を電子レンジに入れた。
なるべく女性が伸び伸びと休憩時間を過ごせるように声をかけることは控える。
電子レンジの前に立つ私を、女性が見詰める。
「私、別に嫌な気分になってませんよ」
「え?」
「ずっとリーダーとはお昼ご飯を食べながらおしゃべりをしたいと思ってました」
「休憩中なんだから自分の時間を過ごしていいんだよ」
「いえ、本当のことです。今ってコロナのせいで黙食が基本になってますよね」
「ああ」
私はうなずいた。
今、休憩室で昼食を摂っている女性は日本で新型コロナウイルスが蔓延してから『リラの工房』に入って来た。
新型コロナウイルスが流行してから『リラの工房』の働き方が変わった。
従業員はマスクの着用を義務付けられた。
手洗いは以前よりも徹底され、抗菌手袋を使うようになった。
さらに、なるべく「密」を避けるべく、休憩の時間は従業員同士が時間をずらして取るようになった。
働く時間の都合上、休憩室で複数人で昼食を一緒にする時間がある場合には、なるべく私語を慎むように店長からお達しがあった。
『リラの工房』が新型コロナウイルスと生活することが当たり前になった時に、この女性はパートタイムとして働くようになったので、仕事上のやり取り以外では、ほかの従業員たちとあまりコミュニケーションが取れていないように映った。
もっとも、
(仕事場以外でコミュニケーションを取るなんて気持ち悪い)
と彼女は思っているかもしれない。
さすがに本人から直接聞いたわけではないが、彼女は20代の半ばあたりに見えた。
もしかしたら、中島くんと同世代くらいかもしれない。
私はこの女性を認めていた。
女性は仕事に対して常に真面目だった。
店長からちらりと、
「彼女、お菓子作りが趣味らしい」
と聞いた時、
(この子はすぐに辞めるな)
と思った。
一般家庭のお菓子作りと職業としてのお菓子作りは全然違うからだ。
しかし、彼女は頑張った。
お菓子作りが趣味、というならば調理場に立って自分の腕前を披露したい気持ちがあるだろうと、私は思っていた。
店長も同じことを考えていたらしい。
酷だが、店長は女性を売り場担当にさせた。
私はこの女性がすぐに音を上げると思ったが、違った。
彼女は頑張った。
どうやら接客業の経験があるらしく、彼女のお客さんに対する態度は実に気持ちが良かった。
私が見習いたいと思ったほどだ。
この女性は『リラの工房』での頑張りと努力が認められ、最近では少しずつではあるが、売り場だけではなく調理場で様々な洋菓子類の作り方を学んでいた。
教えるのは私や、彼女の先輩にあたるほかの従業員であった。
時に、店長が自ら教えていることもあった。
食べ残した白米が温まると、私は足の短い机の前に座った。
女性と相対するかたちで腰を下ろす。
女性は弁当から綺麗な目を私に向けた。
「リーダーってどこの学校を出てるんですか?」
「どこって、普通科高校だよ」
「あ、いえ、そういう意味じゃなくて」
「?」
「高校を出た後はどこかの専門学校に行かれたんですか? あるいはどこかのケーキ屋さんに勤めてた、とか」
「まさか。私は高校出たらすぐに会社に就職したよ」
「え! 調理学校とか行ってないんですか?」
「行ってないね」
「じゃあ、高校を卒業したあとで働いてた会社が大手のお菓子メーカーだったとか」
「違うよ」
「どんな会社だったんですか?」
「笑わない?」
「笑う訳ないじゃないですか」
「陶器の会社で働いていた」
「トウキ?」
「お皿とか茶碗とかを作ってる会社で働いてたの」
女性は頭の中で、「陶器」という漢字を思い浮かべたようだ。
そして、大袈裟に声を出す。
「全然、洋菓子と関係ないじゃないですか!」
「私もまさかケーキ屋で働くとは思ってなかったから、自分でもびっくりしてるよ」
「へー」
女性が見る私の視線は羨望と言ってよかった。
私の見間違いでなければ、だが。
(しかし)
と私は思う。
(私が洋菓子のド素人だということを驚かれるのはいいが、いまだに『リーダー』と呼ばれるのは慣れんな)
『リラの工房』において、製造と接客の面で私が指揮を執ることが多い。
店長は原価率の計算やシフトの組み合わせ、洋菓子の流行り廃りの情報などを集めるので必死だ。
また、もう1人の正社員は『リラの工房』の事務方を一手に引き受けているので、とても洋菓子を作る暇などない。
そもそも、この事務方の人物が焼き場や調理場、売り場に姿を見せることは稀だ。
自然と私が『リラの工房』全体を仕切ってしまうことになり、ほかの従業員からは「リーダー」と呼ばれている。
正直、歯がゆいので名前で呼んで欲しいのだが、一度定着してしまうとなかなか抜けないものらしい。
(リーダーなんて柄じゃないんだけどな)
と思っていると、目の前の女性が箸を持ったまま瞳を輝かせていた。
「この店でゼロから洋菓子の作り方を学んだのに、どうやってそこまで昇りつめたのか教えて下さい!」
(ああ、こんな顔をされたら私は図に乗るな)
そう思いつつも、目の前の女性に武勇伝っぽく、いかに自分が努力してきたかを、私は力説し始めてしまっていた。
もう少しだけ中島くんと加納くんの言葉のやり取りを聞きたい気持ちがあったが、抑えた。
中島くんが加納くんの指導をすることを進言したのは私だったし、シフト表を見たにも関わらず加納くんの休憩時間を把握していなかったことに関して、後ろめたい気持ちもあったからだ。
調理場と売り場を通ると、そちらこちらから、
「お疲れ様です」
という挨拶が聞こえた。
私は事務的に、
「お疲れ様」
と、返した。
階段を使い、休憩室に入ると一人の女性が食事を摂っていた。
中島くんと加納くんのシフトをすっかり忘れていた私に、二人が休憩を欲していることを伝えた女性である。
この女性は主に売り場を担当していた。
女性は仕出し弁当の蓋を空けているところだった。
休憩室の時計を見ると、時刻は午前11時となっていた。
『リラの工房』では従業員が午前11時に昼食を始めることが多い。
が、一度にすべての従業員が休憩に入ってしまうと店が回らなくなるので、交代で入ってもらうようにしている。
通常、1人か2人でお昼ご飯を食べてもらうことが多かった。
女性は1人だ。
(一人でゆっくりご飯を食べたいだろうに、私なんかが来て邪魔だよな)
思ったが、私が気を遣うと女性を緊張させてしまうと思い、あえて横柄ともいえる態度を取ることにする。
「馬鹿やっちゃってご飯を中途半端に残しちゃったよ。もう一回、チンして食べようかな」
女性は私に対して笑顔を見せた。
そして小さく、
「いただきます」
と言うと弁当を食べ出した。
私は冷えた白米が詰まった弁当箱を電子レンジに入れた。
なるべく女性が伸び伸びと休憩時間を過ごせるように声をかけることは控える。
電子レンジの前に立つ私を、女性が見詰める。
「私、別に嫌な気分になってませんよ」
「え?」
「ずっとリーダーとはお昼ご飯を食べながらおしゃべりをしたいと思ってました」
「休憩中なんだから自分の時間を過ごしていいんだよ」
「いえ、本当のことです。今ってコロナのせいで黙食が基本になってますよね」
「ああ」
私はうなずいた。
今、休憩室で昼食を摂っている女性は日本で新型コロナウイルスが蔓延してから『リラの工房』に入って来た。
新型コロナウイルスが流行してから『リラの工房』の働き方が変わった。
従業員はマスクの着用を義務付けられた。
手洗いは以前よりも徹底され、抗菌手袋を使うようになった。
さらに、なるべく「密」を避けるべく、休憩の時間は従業員同士が時間をずらして取るようになった。
働く時間の都合上、休憩室で複数人で昼食を一緒にする時間がある場合には、なるべく私語を慎むように店長からお達しがあった。
『リラの工房』が新型コロナウイルスと生活することが当たり前になった時に、この女性はパートタイムとして働くようになったので、仕事上のやり取り以外では、ほかの従業員たちとあまりコミュニケーションが取れていないように映った。
もっとも、
(仕事場以外でコミュニケーションを取るなんて気持ち悪い)
と彼女は思っているかもしれない。
さすがに本人から直接聞いたわけではないが、彼女は20代の半ばあたりに見えた。
もしかしたら、中島くんと同世代くらいかもしれない。
私はこの女性を認めていた。
女性は仕事に対して常に真面目だった。
店長からちらりと、
「彼女、お菓子作りが趣味らしい」
と聞いた時、
(この子はすぐに辞めるな)
と思った。
一般家庭のお菓子作りと職業としてのお菓子作りは全然違うからだ。
しかし、彼女は頑張った。
お菓子作りが趣味、というならば調理場に立って自分の腕前を披露したい気持ちがあるだろうと、私は思っていた。
店長も同じことを考えていたらしい。
酷だが、店長は女性を売り場担当にさせた。
私はこの女性がすぐに音を上げると思ったが、違った。
彼女は頑張った。
どうやら接客業の経験があるらしく、彼女のお客さんに対する態度は実に気持ちが良かった。
私が見習いたいと思ったほどだ。
この女性は『リラの工房』での頑張りと努力が認められ、最近では少しずつではあるが、売り場だけではなく調理場で様々な洋菓子類の作り方を学んでいた。
教えるのは私や、彼女の先輩にあたるほかの従業員であった。
時に、店長が自ら教えていることもあった。
食べ残した白米が温まると、私は足の短い机の前に座った。
女性と相対するかたちで腰を下ろす。
女性は弁当から綺麗な目を私に向けた。
「リーダーってどこの学校を出てるんですか?」
「どこって、普通科高校だよ」
「あ、いえ、そういう意味じゃなくて」
「?」
「高校を出た後はどこかの専門学校に行かれたんですか? あるいはどこかのケーキ屋さんに勤めてた、とか」
「まさか。私は高校出たらすぐに会社に就職したよ」
「え! 調理学校とか行ってないんですか?」
「行ってないね」
「じゃあ、高校を卒業したあとで働いてた会社が大手のお菓子メーカーだったとか」
「違うよ」
「どんな会社だったんですか?」
「笑わない?」
「笑う訳ないじゃないですか」
「陶器の会社で働いていた」
「トウキ?」
「お皿とか茶碗とかを作ってる会社で働いてたの」
女性は頭の中で、「陶器」という漢字を思い浮かべたようだ。
そして、大袈裟に声を出す。
「全然、洋菓子と関係ないじゃないですか!」
「私もまさかケーキ屋で働くとは思ってなかったから、自分でもびっくりしてるよ」
「へー」
女性が見る私の視線は羨望と言ってよかった。
私の見間違いでなければ、だが。
(しかし)
と私は思う。
(私が洋菓子のド素人だということを驚かれるのはいいが、いまだに『リーダー』と呼ばれるのは慣れんな)
『リラの工房』において、製造と接客の面で私が指揮を執ることが多い。
店長は原価率の計算やシフトの組み合わせ、洋菓子の流行り廃りの情報などを集めるので必死だ。
また、もう1人の正社員は『リラの工房』の事務方を一手に引き受けているので、とても洋菓子を作る暇などない。
そもそも、この事務方の人物が焼き場や調理場、売り場に姿を見せることは稀だ。
自然と私が『リラの工房』全体を仕切ってしまうことになり、ほかの従業員からは「リーダー」と呼ばれている。
正直、歯がゆいので名前で呼んで欲しいのだが、一度定着してしまうとなかなか抜けないものらしい。
(リーダーなんて柄じゃないんだけどな)
と思っていると、目の前の女性が箸を持ったまま瞳を輝かせていた。
「この店でゼロから洋菓子の作り方を学んだのに、どうやってそこまで昇りつめたのか教えて下さい!」
(ああ、こんな顔をされたら私は図に乗るな)
そう思いつつも、目の前の女性に武勇伝っぽく、いかに自分が努力してきたかを、私は力説し始めてしまっていた。