ベッド―令和で恋する昭和女―
カスタードクリームを作り終えた中島くんを見て、私は決意した。
(中島くんに全部託そう)
託す、というと表現はいいが要は丸投げである。
私は自分を卑怯だと思った。
自分のことを卑怯だ、と思いつつも、私はすでに中島くんに指示を出していた。
「まずは中島くんのやっていることを加納くんに見せてあげて」
中島くんは霧吹きに入ったアルコールをステンレス製のばんじゅうにふりかけていた。銅鍋からステンレス製のばんじゅうに高熱のカスタードクリームを移す。
今回も私は中島くんが手を離すことができないのを承知で話しかけていた。
カスタードクリームをステンレス製のばんじゅうに入れ終えると、中島くんは湯気を立てるカスタードクリームをヘラで平らにならした。
カスタードクリームの上にラップをかける。
ラップをかけ終えると、中島くんは手を止めた。
「自分でいいんですか?」
今の若い男性の特徴だろうか。
中島くんも加納くんも一人称が「自分」だ。
(『リラの工房』は軍隊じゃないんだから)
と私は思ってしまう。
同時に、
(女の私は公私ともに一人称が『私』ですむから気楽だな)
とも思ってしまう。
中島くんが、
「自分でいいんですか?」
と言ったということは店長が口にしたことを、中島くんも痛感しているのだ。
中島くんは2年間培ってきた技術を一年未満で、ある男性にものにされた過去を持っていた。
中島くんはそのことでコンプレックスを抱いているようである。
自分は劣った人間だ、と。
中島くんは決して要領の悪いほうではない。
中島くんは常々、
「自分は器用じゃないんで」
と言っている。
しかし、私は中島くんをできる人間だと思っている。買っている。
中島くんは人間関係が上手な方ではないが、洋菓子類を作る才能はある。言われたことをきっちりやるし、作業をするにあたって彼なりの工夫が見られる。
製造の面に関していえば中島くんは優秀な人材だ。
接客ではどうしてもぎこちなさがでるが、できないことはない。満点ではないが十分に及第だ。
中島くんが『リラの工房』というケーキ屋にパートタイムとして入っていなくとも、伝統工芸のような手先の器用さが必要とされる職業に就いていたら大成していたかもしれない。
もっとも中島くんは20代なのでまだまだチャンスはある。
しかし、新人をあてられたことに対して中島くんは不安に思っている。
過去の経験から自信を喪失している。
(自分は他人にものを教える価値はあるのだろうか?)
中島くんはそんな顔をしている。
私は本音を言うことにした。
「あれは事故だよ」
私が「あれ」と口にしただけで、中島くんは察した。
短期間で『リラの工房』の全部を吸収した人物のことを話していると理解してくれた。
中島くんはいぶかしげに私を見る。
「事故、ですか?」
「あの青年は異常だよ。呑み込みが早すぎた。逆に考えてよ。中島くんの教えがあったから彼はあんなに成長できた。つまり中島くんには教える才能があったんだよ」
「彼は自分の作業を一目で見て学習して、実践してました。自分は何も教えてないです」
私は少し面倒になった。
中島くんの言葉がいじけているように感じたのだ。
仕方ない。
私は店長から聞いたことを言うことにした。
「彼、今はベルギーにいるらしいよ」
「ベルギー……。ベルギーってどこですか?」
「ベルギーはヨーロッパの……」
私は答えに窮した。
ベルギーってヨーロッパのどこにある?
なんとなく東欧のような気がする。根拠はない。
スウェーデンの下あたりか? 下ってのも変だ。
スウェーデンの南あたり、と表現すべきであろう。
とにかく、ヨーロッパのど真ん中あたりではないはずだ。
「……」
私が黙っていると、隣から声があった。
加納くんのものだった。
「ベルギーはフランスとドイツの大国に挟まれた国です」
加納くんの助け舟に私は安堵した。
「加納くんは地理に詳しいんだね。私、全然わからないや」
「ベルギーが大体どこらへんにあるかくらいはわかります」
加納くんの「くらい」という言葉に引っ掛かったが、
(この機を逃すまい)
と私は思った。
ベルギーに話を広げる。
「加納くんみたいな頭のいい人がいてよかったよ。もしかしてベルギー語も話せたりして」
「いえ、話せません」
「そうだよね。いくら物知りでもベルギー語なんて話せないよね」
「すみません。言葉が足りなかったです。ベルギー語なんてありません」
「え?」
「ベルギーの公用語はオランダ語とフランス語、ドイツ語です。日本語のようにベルギー語という独自の言語はなかったはずです」
私は自身の無知を恥じた。
加納くんが慌てて付け加える。
「すみません。もしかしたらベルギー国が主導でオリジナルの言語を作っているかもしれません。曖昧なことを言いました」
「私はてっきりベルギー語なるものが存在してると思ってたから勉強になるよ。私は馬鹿だから」
その時であった。
『馬鹿じゃないです!』
二人の男性の大きな声が重なった。
二人の男性とは、中島くんと加納くんである。
同音を発したことで、中島くんと加納くんは互いを見詰めた。
中島くんがぎこちない笑みを浮かべる。
加納くんはペコリと低頭したあと、中島くんに向けて苦笑いのようなものを見せる。
(この二人はなんとかなるかもしれないぞ)
まるでお見合いの席で、
「共通の趣味が見つかった男女」
を目にしたようで、私は心をなでた。
(中島くんに全部託そう)
託す、というと表現はいいが要は丸投げである。
私は自分を卑怯だと思った。
自分のことを卑怯だ、と思いつつも、私はすでに中島くんに指示を出していた。
「まずは中島くんのやっていることを加納くんに見せてあげて」
中島くんは霧吹きに入ったアルコールをステンレス製のばんじゅうにふりかけていた。銅鍋からステンレス製のばんじゅうに高熱のカスタードクリームを移す。
今回も私は中島くんが手を離すことができないのを承知で話しかけていた。
カスタードクリームをステンレス製のばんじゅうに入れ終えると、中島くんは湯気を立てるカスタードクリームをヘラで平らにならした。
カスタードクリームの上にラップをかける。
ラップをかけ終えると、中島くんは手を止めた。
「自分でいいんですか?」
今の若い男性の特徴だろうか。
中島くんも加納くんも一人称が「自分」だ。
(『リラの工房』は軍隊じゃないんだから)
と私は思ってしまう。
同時に、
(女の私は公私ともに一人称が『私』ですむから気楽だな)
とも思ってしまう。
中島くんが、
「自分でいいんですか?」
と言ったということは店長が口にしたことを、中島くんも痛感しているのだ。
中島くんは2年間培ってきた技術を一年未満で、ある男性にものにされた過去を持っていた。
中島くんはそのことでコンプレックスを抱いているようである。
自分は劣った人間だ、と。
中島くんは決して要領の悪いほうではない。
中島くんは常々、
「自分は器用じゃないんで」
と言っている。
しかし、私は中島くんをできる人間だと思っている。買っている。
中島くんは人間関係が上手な方ではないが、洋菓子類を作る才能はある。言われたことをきっちりやるし、作業をするにあたって彼なりの工夫が見られる。
製造の面に関していえば中島くんは優秀な人材だ。
接客ではどうしてもぎこちなさがでるが、できないことはない。満点ではないが十分に及第だ。
中島くんが『リラの工房』というケーキ屋にパートタイムとして入っていなくとも、伝統工芸のような手先の器用さが必要とされる職業に就いていたら大成していたかもしれない。
もっとも中島くんは20代なのでまだまだチャンスはある。
しかし、新人をあてられたことに対して中島くんは不安に思っている。
過去の経験から自信を喪失している。
(自分は他人にものを教える価値はあるのだろうか?)
中島くんはそんな顔をしている。
私は本音を言うことにした。
「あれは事故だよ」
私が「あれ」と口にしただけで、中島くんは察した。
短期間で『リラの工房』の全部を吸収した人物のことを話していると理解してくれた。
中島くんはいぶかしげに私を見る。
「事故、ですか?」
「あの青年は異常だよ。呑み込みが早すぎた。逆に考えてよ。中島くんの教えがあったから彼はあんなに成長できた。つまり中島くんには教える才能があったんだよ」
「彼は自分の作業を一目で見て学習して、実践してました。自分は何も教えてないです」
私は少し面倒になった。
中島くんの言葉がいじけているように感じたのだ。
仕方ない。
私は店長から聞いたことを言うことにした。
「彼、今はベルギーにいるらしいよ」
「ベルギー……。ベルギーってどこですか?」
「ベルギーはヨーロッパの……」
私は答えに窮した。
ベルギーってヨーロッパのどこにある?
なんとなく東欧のような気がする。根拠はない。
スウェーデンの下あたりか? 下ってのも変だ。
スウェーデンの南あたり、と表現すべきであろう。
とにかく、ヨーロッパのど真ん中あたりではないはずだ。
「……」
私が黙っていると、隣から声があった。
加納くんのものだった。
「ベルギーはフランスとドイツの大国に挟まれた国です」
加納くんの助け舟に私は安堵した。
「加納くんは地理に詳しいんだね。私、全然わからないや」
「ベルギーが大体どこらへんにあるかくらいはわかります」
加納くんの「くらい」という言葉に引っ掛かったが、
(この機を逃すまい)
と私は思った。
ベルギーに話を広げる。
「加納くんみたいな頭のいい人がいてよかったよ。もしかしてベルギー語も話せたりして」
「いえ、話せません」
「そうだよね。いくら物知りでもベルギー語なんて話せないよね」
「すみません。言葉が足りなかったです。ベルギー語なんてありません」
「え?」
「ベルギーの公用語はオランダ語とフランス語、ドイツ語です。日本語のようにベルギー語という独自の言語はなかったはずです」
私は自身の無知を恥じた。
加納くんが慌てて付け加える。
「すみません。もしかしたらベルギー国が主導でオリジナルの言語を作っているかもしれません。曖昧なことを言いました」
「私はてっきりベルギー語なるものが存在してると思ってたから勉強になるよ。私は馬鹿だから」
その時であった。
『馬鹿じゃないです!』
二人の男性の大きな声が重なった。
二人の男性とは、中島くんと加納くんである。
同音を発したことで、中島くんと加納くんは互いを見詰めた。
中島くんがぎこちない笑みを浮かべる。
加納くんはペコリと低頭したあと、中島くんに向けて苦笑いのようなものを見せる。
(この二人はなんとかなるかもしれないぞ)
まるでお見合いの席で、
「共通の趣味が見つかった男女」
を目にしたようで、私は心をなでた。