ベッド―令和で恋する昭和女―
 過去のことを悔いても仕方ない。
 あの彼は今、ベルギーにいてチョコレート専門のパティシエになるべく奮闘しているのだ。
 私も頑張らなくては。
 と言っても私が頑張れることと言えば、中島くんが加納くんを指導するのを見守るくらいだ。

 はっきり言って何もできないに等しい。
 もどかしい。

 が、私が吐息をした理由は、
「ベルギーがどこにあるかわからない」
 ことと、
「あの彼がチョコレート専門のパティシエを目指していたことを理解できなかった」
 ことだ。

 決して、私自身の能力のなさを嘆いたわけではない。

 店長は勘違いしたようだ。
「君も真面目だからね。中島くんについて責任を感じるのは理解できるよ。でも、時には放置することも大人の役割だと思うよ」
「はぁ」
 私は曖昧に返事をした。

(大人というよりおばさんなんだけどな)

 私は心で愚痴を吐いていた。

 店長が背伸びをする。
「私は君を信頼してるよ。はっきり言って今のこの店は君なしでは回らない」
「またまた。店長は持ち上げるのが上手いんですから」
「本気だよ」
「え?」
「私は本気でそう思ってるよ」
「はぁ」

 こういう時に、素直に、
「ありがとうございます。嬉しいです」
 と言えないのが私の悪い性格だ。
 私は天邪鬼なのだ。

 私は子供の頃から他人(ひと)に褒められることになれていない。
 他人(ひと)に賞賛されると歯がゆくなる。
 心が浮いた気がする。
 その場から逃げたしたくなる。

 一方で褒められるとしっかりと、
「嬉しい」
 という感情は持ち合わせている。
 小中学校の時、作文や絵画コンクールで表彰されると純粋に嬉しかった。
 が、その嬉しさを顔には出さなかった。

(表彰されて嬉しい)
 という気持ちと、
(みんなの前でさらし者みたいにされて恥ずかしい)
 という思いが心の中で両立していたのだ。

 本当に天邪鬼以外の何者でもないと思う。
 大人になってからもこの性格は変わらない。

 他人(ひと)に認めてもらうために頑張るのに、いざ認めてもらうと途端に不機嫌になる。
 私自身もこの性格が嫌になる。

 おそらく、店長は私の性質を熟知している。
 店長は様々な人から好かれている。
 『リラの工房』で働く従業員はもちろん、なじみの客や卸業者からの評判もよい。
 私も店長が好きだ。

 もっとも、
「人間として好き」
 という意味で、決して、
「異性として好き」
 というわけではない。
 そもそも、店長と私とでは月とスッポンである。
 当然、店長が月で私がスッポンだ。

 私は店長をおだてることにした。
「店長は優しいですし、理解がありますからね。その点、私はネチネチと女の腐ったような小言ばかり言いますし」
「君の小言は必要だよ。それに女性は腐らないよ」
「たとえば、ですよ。私みたいな古いおばさんをお局様っていうんじゃないですかね」

(令和の時代に『お局様』はないだろう)
 と私は自身の言葉に突っ込みを入れた。

 その時、店長が酷く真面目な顔になった。
「君は自分のことをよく、『おばさん、おばさん』って言うけど止めたほうがいいと思うよ」
「なんでですか? 事実じゃないですか?」
「……」
「店長、私に気を遣ってるんですね。いいですよ、私なんかにそんな気配りしなくとも。店長と私の仲じゃないですか」
「私は本気で言ってるんだが」

 店長の様子が妙だ。

(素材庫にいて小麦粉の粉を吸い過ぎたのか?)

 あり得ない推測を立ててしまった
 店長に中島くんと加納くんのことは報告をしたし、これ以上ここにいる理由はない。

 私は踵を返した。

 私の背後から店長の声がかかる。

「もし、私に何か相談事があったらいつでも言ってくれ。私はいつでも君の仲間だ」

 私は素材庫を振り返ると、店長に向かって大きく一礼した。
 店長の言葉がお世辞だったとしても単純に嬉しかった。
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