白薔薇の棘が突き刺さる

わたしの女神さま

 ミラには、神様と女神さまがいる。神様は雇用主の侯爵様。女神はその妻のシュネージュ様だ。どちらも穏やかで優しいご主人だ。

「ミラ、今日もご指名だよ」

 忍び笑いを漏らしながら、メイド長がワゴンを持たせた。
 旦那様は、とてもとても奥様を愛してらっしゃる。趣味は奥様といってもいい。
 そんな旦那様と一緒過ごされた朝、シュネージュ様は身体を誰にも見せたくないらしい。
 数ある仕事の中で、ミラを本当に必要としている仕事だ。

「ミラ、待ってたわ」

 扉を開けると少し掠れた声のシュネージュ様が待ってらっしゃる。

「お風呂のお手伝いをいたします」

 ペコリとお辞儀をする。
 手探りでバスタブの位置を確認し、お湯を張る。
 シュネージュ様が、ローブを脱ぎお湯に浸かられた。
 ミラは肩にお湯をかける。香油をお湯に垂らすことだって忘れない。甘い花の香が広がる。

「本当に、あなたがいてくれてよかったわ」

 リラックスしたシュネージュ様はしみじみと声を漏らされた。
 その言葉に嘘がないことがミラは嬉しい。
 ミラに用意された仕事のほとんどは施しのようなものだからだ。
 それでも、息子のサムを育てるためにミラは人の善意に縋り、施しを受けてでも歯を食いしばり生き抜くつもりだ。

 ミラは夜中に目が覚める時がある。あの時の恐怖と屈辱を思い出すから。何年経っても込み上げてくる怒りや悲しみの感情が消え去ることはない。
 そんな時は、息子の胸に耳を当て、トクトク動く心臓の音を聞く。
 そうすれば心が落ち着くのだ。そして小さな手をにぎり眠りにつく。

 この子はいい子に育てる。決して、集団で女を手籠にするようなやつには育てない。
 それがミラにできる最大の復讐だ。


 ある日、弱りきった旦那さまがミラに声をかけてきた。

「君に頼みたいことがあるんだ。――連れてきて欲しい女性がいる」

 ミラは了承した。
 優しい人だから、ミラを見たらほっとけなくて、付いてきてくれるという。
 馬車に乗ってきた女性と接してミラは思った。この方が旦那様の好きな人なのだと。
 その時、ミラの小さな恋は無残に散った。

 彼女は貴族の令嬢だけど、ミラを優しく気遣ってくれた。
 始終、丁寧な言葉遣いで話しかけてくれた。
 だから、ミラは自分の身に起こったことを詳(つまび)らかにしたのだ。
 この方は、きっと奥様になられる。だったら、他人から事情を話されるより、自分で伝えたい。

 シュネージュ様は世話好きだ。こっそり息子の様子を見ては、文字や数字を教えている。
 十まで数えられるようになったサムのことを天才だと褒めちぎった。
 だから、息子は百まで数えられるようにして奥様を驚かせると張り切っている。
 このままこのお屋敷で育つと、息子は天才に育ってしまうかもしれないとミラは途方にくれる。自分を超えていく子をどう育てたらいいか、さっぱり想像がつかないから。
 でも、ミラよりも学のある子に育てば、騙されて悔しい思いをすることはないだろう。

 使用人の子どもが奥様と親しくするのは良くないことだけど、旦那様は黙認してくださっている。
 いいや、違う。寧ろ、旦那様がけしかけている。
 旦那様はそろそろお子様が欲しいのだろう。
 健気な旦那様の努力が実ることをミラは願ってやまない。
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