白薔薇の棘が突き刺さる
05 純白のウェディング
タウンハウスに着いたシュネージュは慌てた。
到着を待ちわびた使用人により、シュネージュは有無もいわさず、風呂に入れられ香油を塗られた。化粧師による念入りな化粧が施され、結髪師が髪を複雑に編み上げていく。長い裳裾のウェディングドレスが着付けられ、レースで縁どられた薄いベールを纏い、花嫁は完成した。
馬車に乗せられたシュネージュは、教会に連れていかれた。
すでにシュネージュの家族は到着し、婚姻の準備が整っていた。
花嫁控室の大きな鏡の前の椅子に腰を下ろす。シュネージュは戸惑った。自分は交渉に来たはずだ。決して花嫁になるためじゃない。
「お姉さま、とっても綺麗よ!」
妹のモニカが屈託なく笑う。
嫁ぎ遅れて若さを失ったシュネージュのウェディングドレス姿を綺麗だという。彼女はびっくりするくらい優しくていい子なのだ。
シュネージュは引きつり笑いで応えた。結婚を断りに赴いたはずだ。それなのにこの状況は一体何なのだ。
「とってもよく似合ってるわ」
母が肩に手を置いて、目を細める。こんなに愛情の籠った瞳で見つめられるのは久しぶりで、思わず動揺してしまう。
そして母がいうように、このウェディングドレスは怖いくらいシュネージュに似合っていた。デザインがシンプルなのに飽きがこないのは、上質な素材と仕立てが確かだからだろう。繊細なリバーレースが胸元を覆い、眩く輝く絹のフレアが美しく波打っている。幾重にも重なった華奢な亀甲紗が、清純な薔薇の花弁を思わせた。
もう若くはないシュネージュに、却ってしっとりとした落ち着きと艶を与えてくれる。
混乱するシュネージュの顔の横に、白い薔薇のブーケが差し出される。差し出した相手を見て、シュネージュは凍りついた。素晴らしく立派な紳士の対極にある相手が目の前に立っていた。
「レオナール!」
シュネージュの秘密を全て知る男が、見下ろしていた。
「どうしてあなたがここに?」
「なぜだと思う?」
嫌な予感というのは当たるのだ。それでも、シュネージュは確かめずにはいられない。
「もしかして、あなたが相手なの? わたくしのお相手は五歳年上の方だって」
「ああ、やっぱり君は知らなかったんだね。大学には遅れて入ったんだ」
「あなたは商家の息子でしょ? わたくしの結婚相手は侯爵だって伺ったわ」
「へぇ。侯爵なら結婚してくれるんだね」
相変わらず嫌な言い方をする。シュネージュが、身分に目が眩んだかのような言い方だ。
「侯爵令嬢だった母は駆け落ちしたんだ。相続人は俺しかいない。だから、祖父から爵位を受け継いだ」
満面の笑みで、レオナールはシュネージュに畳みかけてくる。
「君は結婚相手を騙したくないと言っていた。なら、君の相手は俺しかいない。さぁ、決めるんだ。君はどうしたい?」
真っ白な手袋をはめた手を差し出される。その眩しさに眩暈を覚える。
舞踏会での会話を思い出す。やっぱり彼は聞いていたんだ。
今更、どうするもこうするもない。謀(たばか)られた。嵌められた。気づいた時には、もう遅い。
母が怖かった。一緒にいるのが辛かった。早く結婚して家を出たかった。大人になった自分が築く新しい生活に夢があった。
相手がレオナールということにだけ、目を瞑ればいい。
レオナールは、嫌な相手だけど、誰にも言わないという取り決めを守ってくれた。
破格の融資も、約束を違えず遂行してくれた。
そこだけは、レオナールを信頼できる。
覚悟を決め、震える手を、レオナールの手に乗せる。
ふと顔を見上げると、レオナールは虚を突かれたような表情を浮かべた後、今にも泣きそうに顔を歪めた。
こっちの方が泣きそうだというのに、相変わらず不可解な人だ。
教会の鐘が鳴る。
色とりどりの花弁が舞い散る中、シュネージュはレオナールに手を引かれ、祝福を受けた。
華やかな婚礼衣装を身に纏い、正式な手段を踏んで、家族に祝福されて結婚する。
手に入るはずもない未来。零れ落ちたはずの幸福。屍のように生きてきた。朽ちるのを待つ日々。
それが思いもかけない形で、少女の頃からの夢が叶う。
シュネージュから自然な笑みが泉のように湧き出した。
その笑みを驚いたように見ていたレオナールは、なぜか呆然としている。視線がぶつかると、気まずげに目を逸らした。彼の耳が仄かに赤いのは気のせいだろうか。
「寂しくなるわね」
母はポツリと呟き、ハンカチで目元を拭う。名残惜しそうに別れを惜しむ母を、信じられない気持ちでシュネージュは見ていた。
「隣国に嫁ぐなんて……あなたと滅多に会えなくなるじゃない」
まるで、娘を嫁にやりたくないように言うのだから、笑ってしまう。あんなに邪険にしていた癖に。
(時々、母と会うだけでいいんだ……)
そう思うと重い枷が外れ、シュネージュの背中に羽が生えた気がした。
到着を待ちわびた使用人により、シュネージュは有無もいわさず、風呂に入れられ香油を塗られた。化粧師による念入りな化粧が施され、結髪師が髪を複雑に編み上げていく。長い裳裾のウェディングドレスが着付けられ、レースで縁どられた薄いベールを纏い、花嫁は完成した。
馬車に乗せられたシュネージュは、教会に連れていかれた。
すでにシュネージュの家族は到着し、婚姻の準備が整っていた。
花嫁控室の大きな鏡の前の椅子に腰を下ろす。シュネージュは戸惑った。自分は交渉に来たはずだ。決して花嫁になるためじゃない。
「お姉さま、とっても綺麗よ!」
妹のモニカが屈託なく笑う。
嫁ぎ遅れて若さを失ったシュネージュのウェディングドレス姿を綺麗だという。彼女はびっくりするくらい優しくていい子なのだ。
シュネージュは引きつり笑いで応えた。結婚を断りに赴いたはずだ。それなのにこの状況は一体何なのだ。
「とってもよく似合ってるわ」
母が肩に手を置いて、目を細める。こんなに愛情の籠った瞳で見つめられるのは久しぶりで、思わず動揺してしまう。
そして母がいうように、このウェディングドレスは怖いくらいシュネージュに似合っていた。デザインがシンプルなのに飽きがこないのは、上質な素材と仕立てが確かだからだろう。繊細なリバーレースが胸元を覆い、眩く輝く絹のフレアが美しく波打っている。幾重にも重なった華奢な亀甲紗が、清純な薔薇の花弁を思わせた。
もう若くはないシュネージュに、却ってしっとりとした落ち着きと艶を与えてくれる。
混乱するシュネージュの顔の横に、白い薔薇のブーケが差し出される。差し出した相手を見て、シュネージュは凍りついた。素晴らしく立派な紳士の対極にある相手が目の前に立っていた。
「レオナール!」
シュネージュの秘密を全て知る男が、見下ろしていた。
「どうしてあなたがここに?」
「なぜだと思う?」
嫌な予感というのは当たるのだ。それでも、シュネージュは確かめずにはいられない。
「もしかして、あなたが相手なの? わたくしのお相手は五歳年上の方だって」
「ああ、やっぱり君は知らなかったんだね。大学には遅れて入ったんだ」
「あなたは商家の息子でしょ? わたくしの結婚相手は侯爵だって伺ったわ」
「へぇ。侯爵なら結婚してくれるんだね」
相変わらず嫌な言い方をする。シュネージュが、身分に目が眩んだかのような言い方だ。
「侯爵令嬢だった母は駆け落ちしたんだ。相続人は俺しかいない。だから、祖父から爵位を受け継いだ」
満面の笑みで、レオナールはシュネージュに畳みかけてくる。
「君は結婚相手を騙したくないと言っていた。なら、君の相手は俺しかいない。さぁ、決めるんだ。君はどうしたい?」
真っ白な手袋をはめた手を差し出される。その眩しさに眩暈を覚える。
舞踏会での会話を思い出す。やっぱり彼は聞いていたんだ。
今更、どうするもこうするもない。謀(たばか)られた。嵌められた。気づいた時には、もう遅い。
母が怖かった。一緒にいるのが辛かった。早く結婚して家を出たかった。大人になった自分が築く新しい生活に夢があった。
相手がレオナールということにだけ、目を瞑ればいい。
レオナールは、嫌な相手だけど、誰にも言わないという取り決めを守ってくれた。
破格の融資も、約束を違えず遂行してくれた。
そこだけは、レオナールを信頼できる。
覚悟を決め、震える手を、レオナールの手に乗せる。
ふと顔を見上げると、レオナールは虚を突かれたような表情を浮かべた後、今にも泣きそうに顔を歪めた。
こっちの方が泣きそうだというのに、相変わらず不可解な人だ。
教会の鐘が鳴る。
色とりどりの花弁が舞い散る中、シュネージュはレオナールに手を引かれ、祝福を受けた。
華やかな婚礼衣装を身に纏い、正式な手段を踏んで、家族に祝福されて結婚する。
手に入るはずもない未来。零れ落ちたはずの幸福。屍のように生きてきた。朽ちるのを待つ日々。
それが思いもかけない形で、少女の頃からの夢が叶う。
シュネージュから自然な笑みが泉のように湧き出した。
その笑みを驚いたように見ていたレオナールは、なぜか呆然としている。視線がぶつかると、気まずげに目を逸らした。彼の耳が仄かに赤いのは気のせいだろうか。
「寂しくなるわね」
母はポツリと呟き、ハンカチで目元を拭う。名残惜しそうに別れを惜しむ母を、信じられない気持ちでシュネージュは見ていた。
「隣国に嫁ぐなんて……あなたと滅多に会えなくなるじゃない」
まるで、娘を嫁にやりたくないように言うのだから、笑ってしまう。あんなに邪険にしていた癖に。
(時々、母と会うだけでいいんだ……)
そう思うと重い枷が外れ、シュネージュの背中に羽が生えた気がした。