白薔薇の棘が突き刺さる
06 奇妙な新婚生活
「いいか? 他の屋敷の連中には、休みをもらったなどとくれぐれも言うなよ。他所から苦情がくるからやめてくれ」
レオナールを取り囲む使用人たちは、みな笑顔を湛えている。
今日は、使用人たちの休日だ。
小遣いを一人づつ与えると、笑顔で出かけて行った。
「全く、タウンハウスだと、休暇をやるのさえ気をつかう」
文句をぶつぶつ言いながらレオナールが寝室に戻ってきた。
月二日の一日休みは、他の屋敷よりも多い。あまり待遇をよくすると、周辺の屋敷の主人から使用人が羨ましがると嫌味をもらうそうだ。
レオナールはシュネージュの姿をみて固まる。
前回の休みでは気を遣った使用人が朝の支度に来てくれたので、今回は昨夜のうちに支度の辞退を伝えた。
一人で着れる服はないかと、クローゼットを探ると、大学時代によく来ていたボウタイの絹ブラウスと深緑のスカートがあった。
シュネージュの部屋にあった荷物を、母は塵一つ残さぬように渡してきた。もう生家に彼女の部屋はない。だから大学のときに着ていた服も入っていた。
窓からミラとその息子が手をつなぎ出かけていくのが見える。盲目の女と四歳になる息子。二人だけで大丈夫か心配になるが、レオナールの従者が影のように後ろについているのが見えた。
「レオナールの指示なの?」
窓の外を指さした。栗色の髪を揺らし振り向くとレオナールは俯いていた。
「……ああ。奴には、余計に休みをやれる。常に人が周囲にいるのは耐えられないんだ」
この屋敷の給与は平均より少し高い程度だが、休日が他の屋敷より二倍あり、小遣いをその都度渡している。破格の待遇だが、レオナールにとっても多い休日は助かるらしい。商家の出なので、使用人に傅かれる暮らしが窮屈なのだ。
「優しいのね」
「馬鹿をいうな。休みの多さに体が慣れた使用人は他じゃ働けなくなるだろ? 頻繁に使用人が入れ替わるより楽なだけだ」
なるほど、商家の息子らしい合理的な考え方だ。そこでふと、シュネージュは思い当たった。
「わたしくしも?」
「どういう意味だ?」
「わたくしが他でやっていけないように、優しくしたり、色んな物を買い与えてるの?」
シュネージュは慌てた。彼女の言葉を聞いたレオナールが、急に蹲(しゃが)みこんだからだ。彼の耳が真っ赤になっている。
「どうしたの? 貧血? 体の調子が悪いの?」
「いいや……なんでもない」
なんでもないように見えないし、顔どころか首まで真っ赤になっていた。落ち着かないようで、ソワソワしてる。シュネージュは熱がないかと、彼の額に手を当てた。
傲慢で嫌な男、それがレオナールだ。
だが、レオナールとの結婚生活は悪い物ではなかった。これといって浪費しない。強いて言えば、趣味は資産を増やすこと。なんていい夫なのだ。
嫌なことは、夜がしつこいことだ。朝になると、シュネージュの白い肌に赤い花が散ったようになる。あられもない身体を誰にも見せたくなくて、盲目のミラに入浴の介助を求めることが度々ある。もう少し落ち着いて欲しい。そこだけがレオナールに対する不満だ。
母の憑き物は落ち、自慢の娘に戻ったシュネージュに好意的になった。
気の早い母は、孫の催促を始める。もう年なんだから、早く産まないと手遅れになると。未婚でも、既婚でも、母親というのは口うるさい生き物らしい。きっと、子どもが産まれたら産まれたで口を挟むのだ。うっとおしいが、一緒に暮らしてるわけではないので、距離がある。小言だって、手紙でくるから怖くない。しかも隣国だ。その距離のお蔭で、会った時のお勤めだと思えば耐えられる。
シュネージュの結婚生活は順調だった。
鏡台の前に座って髪をピンで纏める。使用人がするように複雑な髪型には出来ないが、綺麗に纏められた。
庭に出て、二人で歩く。静かな生活もいいものだ。
少女のころに夢見ていた幸せな結婚生活の住人に、シュネージュはなったのだ。
「ねぇ、シュネージュ様でしょ?」
柵越しに声がかかる。白いパラソルをもった若い貴婦人に声をかけられた。彼女の後ろに控えた侍女がオロオロしている。
「紹介もなしにごめんなさいね。わたくし、隣の屋敷のものなの。使用人に暇をだしたのが見えたわ。お茶を淹れるから、お二人とも、来てくださるでしょ?」
シュネージュは、他人の屋敷に訪問する格好でないと固辞したが、押し切られた。
彼女はなかなか押しが強い。隣人は、レティシアという名の伯爵夫人だった。
「大学で出会ったなんて素敵だわ。わたくしなんて、親のいいなりよ」
親のいいなりで結婚したのはシュネージュも一緒だが、レティシアは聞いちゃいない。
「仲良くしてくださらない? わたくしお姉さまが欲しかったの」
キラキラした瞳が向けられる。
無邪気な期待にシュネージュは笑顔のまま固まった。
レティシアに抱いた親しみが消え去っていく。
シュネージュは他人の姉を買って出るほどお人好しではない。わざわざ他人の姉を演じるなんて絶対に嫌だ。
「ねぇ、愛称で呼びあわない? もっと口調も砕けたものにしましょう」
更になんとも高度で難しい要求をしてくる。レティシアは苦手な部類の人間だ。でも隣人なら嫌でも卒なく付き合わねばと、シュネージュは笑顔を貼り付けた。
「愛称呼びは夫婦の特権だから、駄目ですよ」
苦笑したレオナールが助け船を出してくれた。レティシアは『まぁ』と微笑んで、羨ましそうにシュネージュを見た。
「君の嫌そうな顔、久しぶりに見たよ」
屋敷に戻ったレオナールは愉快そうに笑った。
笑っているのに、なんだか彼の目が怖い。予想した通り、シュネージュは寝台に押し倒された。
ブラウスのボウタイに手がかかる。サラリと解けたリボンにレオナールの目が爛々と光る。
「ねぇ、ちょっと怖いわ」
「ああ、そうだな」
レオナールもシュネージュの言葉を聞いていない。今日は何という日なのだ。
今度は深緑のスカートが捲られる。太腿を撫で回すと、髪に手が伸び、ピンが引き抜かれる。豊かな栗色の髪が、波打ち広がった。
「君は素知らぬ顔をして、とっくに嫁いでいるものと思っていた」
「純潔を失ったのに?」
「黙ってれば、バレないさ」
「母と同じことをいうのね」
シュネージュは腹を立てた。誰のせいで辛く孤独な独身生活を送ったというのだ。
だから、意地悪をいうことにした。彼が大学時代にもちかけた取引を話題にする。
「貴方も高い娼婦を買ったものね」
「そんなこと……」
あの男が狼狽し焦ってる。シュネージュから仄暗い喜びが溢れ出す。唇を小さく噛んで表情を抑える。レオナールの様子に気づいたことすらお首にださず、言葉を続ける。
「男の悦ばせ方もロクに知らない」
「やめてくれ」
無遠慮で大嫌いな男が弱々しい。シュネージュはわけが分からなくなった。
「すまなかった」
傲慢な男が、謝っている。
「君をあんな風に抱くんじゃなかった」
不躾な男が、後悔している。
「相手にしてもらえないと思ったんだ」
珍しく弱音すら吐いている。
そんな風に弱った所を見せないで欲しい。こっちまで参ってしまう。そして、弱ってる癖に、性的なことは忘れないのねとシュネージュは呆れた。
彼は、シュネージュに圧し掛かって腰を振る。
ちょうどいい頃合いだろう。ふと、思いつきを実行する。
両腕を伸ばし、レオナールの頭を抱える。黒髪を撫でながら、顔を近づける。
彼の耳元で、掠れた小さな声で囁いた。
「……レオ」
愛称で呼ぶと、レオナールの動きが止まった。彼はあっけなく、果ててしまった。どうして彼は簡単に真っ赤になるのだろう。
シュネージュは可笑しくなった。
悪戯は成功した。夜がしつこいときは、こうやって終わらせたらいい。
だが、この案は、残念ながら却下することになる。レオナールの逆襲が更にしつこくなったからだ。
レオナールを取り囲む使用人たちは、みな笑顔を湛えている。
今日は、使用人たちの休日だ。
小遣いを一人づつ与えると、笑顔で出かけて行った。
「全く、タウンハウスだと、休暇をやるのさえ気をつかう」
文句をぶつぶつ言いながらレオナールが寝室に戻ってきた。
月二日の一日休みは、他の屋敷よりも多い。あまり待遇をよくすると、周辺の屋敷の主人から使用人が羨ましがると嫌味をもらうそうだ。
レオナールはシュネージュの姿をみて固まる。
前回の休みでは気を遣った使用人が朝の支度に来てくれたので、今回は昨夜のうちに支度の辞退を伝えた。
一人で着れる服はないかと、クローゼットを探ると、大学時代によく来ていたボウタイの絹ブラウスと深緑のスカートがあった。
シュネージュの部屋にあった荷物を、母は塵一つ残さぬように渡してきた。もう生家に彼女の部屋はない。だから大学のときに着ていた服も入っていた。
窓からミラとその息子が手をつなぎ出かけていくのが見える。盲目の女と四歳になる息子。二人だけで大丈夫か心配になるが、レオナールの従者が影のように後ろについているのが見えた。
「レオナールの指示なの?」
窓の外を指さした。栗色の髪を揺らし振り向くとレオナールは俯いていた。
「……ああ。奴には、余計に休みをやれる。常に人が周囲にいるのは耐えられないんだ」
この屋敷の給与は平均より少し高い程度だが、休日が他の屋敷より二倍あり、小遣いをその都度渡している。破格の待遇だが、レオナールにとっても多い休日は助かるらしい。商家の出なので、使用人に傅かれる暮らしが窮屈なのだ。
「優しいのね」
「馬鹿をいうな。休みの多さに体が慣れた使用人は他じゃ働けなくなるだろ? 頻繁に使用人が入れ替わるより楽なだけだ」
なるほど、商家の息子らしい合理的な考え方だ。そこでふと、シュネージュは思い当たった。
「わたしくしも?」
「どういう意味だ?」
「わたくしが他でやっていけないように、優しくしたり、色んな物を買い与えてるの?」
シュネージュは慌てた。彼女の言葉を聞いたレオナールが、急に蹲(しゃが)みこんだからだ。彼の耳が真っ赤になっている。
「どうしたの? 貧血? 体の調子が悪いの?」
「いいや……なんでもない」
なんでもないように見えないし、顔どころか首まで真っ赤になっていた。落ち着かないようで、ソワソワしてる。シュネージュは熱がないかと、彼の額に手を当てた。
傲慢で嫌な男、それがレオナールだ。
だが、レオナールとの結婚生活は悪い物ではなかった。これといって浪費しない。強いて言えば、趣味は資産を増やすこと。なんていい夫なのだ。
嫌なことは、夜がしつこいことだ。朝になると、シュネージュの白い肌に赤い花が散ったようになる。あられもない身体を誰にも見せたくなくて、盲目のミラに入浴の介助を求めることが度々ある。もう少し落ち着いて欲しい。そこだけがレオナールに対する不満だ。
母の憑き物は落ち、自慢の娘に戻ったシュネージュに好意的になった。
気の早い母は、孫の催促を始める。もう年なんだから、早く産まないと手遅れになると。未婚でも、既婚でも、母親というのは口うるさい生き物らしい。きっと、子どもが産まれたら産まれたで口を挟むのだ。うっとおしいが、一緒に暮らしてるわけではないので、距離がある。小言だって、手紙でくるから怖くない。しかも隣国だ。その距離のお蔭で、会った時のお勤めだと思えば耐えられる。
シュネージュの結婚生活は順調だった。
鏡台の前に座って髪をピンで纏める。使用人がするように複雑な髪型には出来ないが、綺麗に纏められた。
庭に出て、二人で歩く。静かな生活もいいものだ。
少女のころに夢見ていた幸せな結婚生活の住人に、シュネージュはなったのだ。
「ねぇ、シュネージュ様でしょ?」
柵越しに声がかかる。白いパラソルをもった若い貴婦人に声をかけられた。彼女の後ろに控えた侍女がオロオロしている。
「紹介もなしにごめんなさいね。わたくし、隣の屋敷のものなの。使用人に暇をだしたのが見えたわ。お茶を淹れるから、お二人とも、来てくださるでしょ?」
シュネージュは、他人の屋敷に訪問する格好でないと固辞したが、押し切られた。
彼女はなかなか押しが強い。隣人は、レティシアという名の伯爵夫人だった。
「大学で出会ったなんて素敵だわ。わたくしなんて、親のいいなりよ」
親のいいなりで結婚したのはシュネージュも一緒だが、レティシアは聞いちゃいない。
「仲良くしてくださらない? わたくしお姉さまが欲しかったの」
キラキラした瞳が向けられる。
無邪気な期待にシュネージュは笑顔のまま固まった。
レティシアに抱いた親しみが消え去っていく。
シュネージュは他人の姉を買って出るほどお人好しではない。わざわざ他人の姉を演じるなんて絶対に嫌だ。
「ねぇ、愛称で呼びあわない? もっと口調も砕けたものにしましょう」
更になんとも高度で難しい要求をしてくる。レティシアは苦手な部類の人間だ。でも隣人なら嫌でも卒なく付き合わねばと、シュネージュは笑顔を貼り付けた。
「愛称呼びは夫婦の特権だから、駄目ですよ」
苦笑したレオナールが助け船を出してくれた。レティシアは『まぁ』と微笑んで、羨ましそうにシュネージュを見た。
「君の嫌そうな顔、久しぶりに見たよ」
屋敷に戻ったレオナールは愉快そうに笑った。
笑っているのに、なんだか彼の目が怖い。予想した通り、シュネージュは寝台に押し倒された。
ブラウスのボウタイに手がかかる。サラリと解けたリボンにレオナールの目が爛々と光る。
「ねぇ、ちょっと怖いわ」
「ああ、そうだな」
レオナールもシュネージュの言葉を聞いていない。今日は何という日なのだ。
今度は深緑のスカートが捲られる。太腿を撫で回すと、髪に手が伸び、ピンが引き抜かれる。豊かな栗色の髪が、波打ち広がった。
「君は素知らぬ顔をして、とっくに嫁いでいるものと思っていた」
「純潔を失ったのに?」
「黙ってれば、バレないさ」
「母と同じことをいうのね」
シュネージュは腹を立てた。誰のせいで辛く孤独な独身生活を送ったというのだ。
だから、意地悪をいうことにした。彼が大学時代にもちかけた取引を話題にする。
「貴方も高い娼婦を買ったものね」
「そんなこと……」
あの男が狼狽し焦ってる。シュネージュから仄暗い喜びが溢れ出す。唇を小さく噛んで表情を抑える。レオナールの様子に気づいたことすらお首にださず、言葉を続ける。
「男の悦ばせ方もロクに知らない」
「やめてくれ」
無遠慮で大嫌いな男が弱々しい。シュネージュはわけが分からなくなった。
「すまなかった」
傲慢な男が、謝っている。
「君をあんな風に抱くんじゃなかった」
不躾な男が、後悔している。
「相手にしてもらえないと思ったんだ」
珍しく弱音すら吐いている。
そんな風に弱った所を見せないで欲しい。こっちまで参ってしまう。そして、弱ってる癖に、性的なことは忘れないのねとシュネージュは呆れた。
彼は、シュネージュに圧し掛かって腰を振る。
ちょうどいい頃合いだろう。ふと、思いつきを実行する。
両腕を伸ばし、レオナールの頭を抱える。黒髪を撫でながら、顔を近づける。
彼の耳元で、掠れた小さな声で囁いた。
「……レオ」
愛称で呼ぶと、レオナールの動きが止まった。彼はあっけなく、果ててしまった。どうして彼は簡単に真っ赤になるのだろう。
シュネージュは可笑しくなった。
悪戯は成功した。夜がしつこいときは、こうやって終わらせたらいい。
だが、この案は、残念ながら却下することになる。レオナールの逆襲が更にしつこくなったからだ。