白薔薇の棘が突き刺さる
07 不器用な恋
清らかな白い薔薇が咲いている。
それが、シュネージュを最初に見たときの印象だ。
教室の後方から、シュネージュの栗色の髪が揺れるのを見つめていた。
純白のブラウス。そのボウタイのリボンを解いて、その奥にある滑らかな白磁の肌を覗いてやりたかった。
深緑のスカートを捲りあげて、白い脚を拝んでやりたかった。
侯爵令嬢であった母がこれくらいなら耐えられると想定していたものと、商家の息子であった父が想定したものに乖離があった。
仲は拗れ、すべてを棄てて逃げてきた二人はお互いしか頼るものがない。そんな二人の間に産み落とされたレオナールは、男女がもたらす愛憎劇に嵐のように巻き込まれた。
将来、人を愛せるとは思えない。女の口説き方に興味などない。
だから、あんな女がこの世に実在し、こんなにも強烈に惹かれるとは思わなかった。
いつも硬い表情の彼女が不意に顔が綻ぶことがあった。それを見れば心が浮き足立った。
見逃すまいと眺め続けた。
万事、控え目に騒がず目立たないように努める彼女には隙がなかった。
商家の息子と貴族の娘。結婚相手として見てもらえないと諦めかけたときに、祖父の爵位と莫大な財産が転がってきた。
レオナールは思った。これで、彼女に求婚する権利を得たと。だが、彼女は山のような求婚者を抱えていた。
卒業まで一年もない。意を決して声をかけたが、決定的に間違えたようだ。美しい金緑の瞳に怒りが灯る。だが、口は滑ったまま止まらない。シュネージュの強い感情が向けられると高揚感から体がのぼせた。つい揶揄って婿候補にしないとまでいわれて絶望した。
策略を巡らして、シュネージュを抱くことに成功した。
やり方を間違ったと我に返った時には遅かった。彼女に軽蔑されている。当たり前だ。
だってレオナールは最低の取引を持ち出したのだから。
妹の危機に身代わりになる彼女は、気高く美しかった。
震える彼女はブラウスとスカートを自ら脱いだ。レオナールは自分が脱がしたかったのにと、ものすごく残念で眉が下がっていったのが分かった。
全てを終えると、情事の痕跡が残るシーツを彼女は抱え込んだ。シュネージュは証拠を隠滅しようとしていると、やるせない怒りが走った。
無理やり唇を奪うと、血が滴った。シュネージュの唇の一部が裂けていた。レオナールは動揺した。こんなにも柔らかく脆いものだとは知らなかった。
もう二度と彼女には触れられない。
蜜の味を知ったら、我慢するのは苦行だ。レオナールは、シュネージュに接触することはできなかった。
言葉を交わせば、視線が交われば、自分を律することはできないだろう。シュネージュを綺麗に無視して、まるで存在しない者のように扱いつづけた。
自分の手には決して届かない高嶺の花を抱いたと思えばいい。きっと、彼女はどこかに嫁ぐ。そうレオナールは考えていた。
卒業の日、レオナールは安堵した。もう、これでシュネージュが視界に入ることはない。
シュネージュの近況を知るのが嫌で、隣国へ逃げ込んだ。そこで祖父の領地と事業に集中した。
ふと気づくと五年の月日が経っていた。もうそろそろ、シュネージュと会っていいころだ。彼女はどこかに嫁ぎ、夫に可愛がられているだろう。
会いに行って、金緑の瞳を少しでも不安で揺らすことができたなら、レオナールは満足だ。
自分のことを忘れてほしくなかった。少しでも彼女の心に痕跡をつけておきたかった。
だからあの舞踏会で、シュネージュが結婚相手のことを考慮して、嫁いでないことを知り、驚愕した。
ガラガラと足元が崩れていった。自分はひどい思い違いをしていた。彼女はレオナールの想像が届かないほど気高い女なのだ。
結婚相手を騙したくないというシュネージュを、思いっきり騙して連れてきたレオナールには自信がなかった。
準備は万端だ。シュネージュの気持ち以外は。
シュネージュに特注のウェディングドレスを着せられて満足だ。
やっぱり彼女は麗しい。
拒絶されるだろうなと心のどこかで諦めていた。その一方で、どうにか絆されてくれないかと祈るような気持ちがあった。
瞼をきつく閉じて彼女は逡巡している。一考の余地があるのだと分かると心臓が早鐘を打つ。レオナールは神に祈った。
結果、レオナールに神は微笑んだ。彼は必死に泣くのを堪えた。
もう一生、運が悪くてかまわない。シュネージュがレオナールの妻になってくれたのだから。シュネージュが隣にいるだけでレオナールは幸せに満ちるのだ。
祝福の花びらが舞う中、シュネージュは月の光のように静かに微笑んだ。その微笑みが眩しすぎて、レオナールはすぐに目を逸らしてしまった。
寝台では、シュネージュが深い眠りに落ちている。
彼は、女の愛し方など知らない。ただ、貪るだけだ。それでも、シュネージュは幸せそうに結婚生活を満喫してくれている。
シュネージュの机を探る。彼女が首にぶら下げていた小瓶が入っている。
テラスに出る。ふんと鼻息をつき、小瓶の中の毒薬を土に流す。
中身を捨てた小瓶に、毒液の色が似ているブランデーを入れる。
不穏なものは遠ざけるに限る。大事なシュネージュが飲んでしまわないように。
レオナールは小瓶をそっと机に戻した。
それが、シュネージュを最初に見たときの印象だ。
教室の後方から、シュネージュの栗色の髪が揺れるのを見つめていた。
純白のブラウス。そのボウタイのリボンを解いて、その奥にある滑らかな白磁の肌を覗いてやりたかった。
深緑のスカートを捲りあげて、白い脚を拝んでやりたかった。
侯爵令嬢であった母がこれくらいなら耐えられると想定していたものと、商家の息子であった父が想定したものに乖離があった。
仲は拗れ、すべてを棄てて逃げてきた二人はお互いしか頼るものがない。そんな二人の間に産み落とされたレオナールは、男女がもたらす愛憎劇に嵐のように巻き込まれた。
将来、人を愛せるとは思えない。女の口説き方に興味などない。
だから、あんな女がこの世に実在し、こんなにも強烈に惹かれるとは思わなかった。
いつも硬い表情の彼女が不意に顔が綻ぶことがあった。それを見れば心が浮き足立った。
見逃すまいと眺め続けた。
万事、控え目に騒がず目立たないように努める彼女には隙がなかった。
商家の息子と貴族の娘。結婚相手として見てもらえないと諦めかけたときに、祖父の爵位と莫大な財産が転がってきた。
レオナールは思った。これで、彼女に求婚する権利を得たと。だが、彼女は山のような求婚者を抱えていた。
卒業まで一年もない。意を決して声をかけたが、決定的に間違えたようだ。美しい金緑の瞳に怒りが灯る。だが、口は滑ったまま止まらない。シュネージュの強い感情が向けられると高揚感から体がのぼせた。つい揶揄って婿候補にしないとまでいわれて絶望した。
策略を巡らして、シュネージュを抱くことに成功した。
やり方を間違ったと我に返った時には遅かった。彼女に軽蔑されている。当たり前だ。
だってレオナールは最低の取引を持ち出したのだから。
妹の危機に身代わりになる彼女は、気高く美しかった。
震える彼女はブラウスとスカートを自ら脱いだ。レオナールは自分が脱がしたかったのにと、ものすごく残念で眉が下がっていったのが分かった。
全てを終えると、情事の痕跡が残るシーツを彼女は抱え込んだ。シュネージュは証拠を隠滅しようとしていると、やるせない怒りが走った。
無理やり唇を奪うと、血が滴った。シュネージュの唇の一部が裂けていた。レオナールは動揺した。こんなにも柔らかく脆いものだとは知らなかった。
もう二度と彼女には触れられない。
蜜の味を知ったら、我慢するのは苦行だ。レオナールは、シュネージュに接触することはできなかった。
言葉を交わせば、視線が交われば、自分を律することはできないだろう。シュネージュを綺麗に無視して、まるで存在しない者のように扱いつづけた。
自分の手には決して届かない高嶺の花を抱いたと思えばいい。きっと、彼女はどこかに嫁ぐ。そうレオナールは考えていた。
卒業の日、レオナールは安堵した。もう、これでシュネージュが視界に入ることはない。
シュネージュの近況を知るのが嫌で、隣国へ逃げ込んだ。そこで祖父の領地と事業に集中した。
ふと気づくと五年の月日が経っていた。もうそろそろ、シュネージュと会っていいころだ。彼女はどこかに嫁ぎ、夫に可愛がられているだろう。
会いに行って、金緑の瞳を少しでも不安で揺らすことができたなら、レオナールは満足だ。
自分のことを忘れてほしくなかった。少しでも彼女の心に痕跡をつけておきたかった。
だからあの舞踏会で、シュネージュが結婚相手のことを考慮して、嫁いでないことを知り、驚愕した。
ガラガラと足元が崩れていった。自分はひどい思い違いをしていた。彼女はレオナールの想像が届かないほど気高い女なのだ。
結婚相手を騙したくないというシュネージュを、思いっきり騙して連れてきたレオナールには自信がなかった。
準備は万端だ。シュネージュの気持ち以外は。
シュネージュに特注のウェディングドレスを着せられて満足だ。
やっぱり彼女は麗しい。
拒絶されるだろうなと心のどこかで諦めていた。その一方で、どうにか絆されてくれないかと祈るような気持ちがあった。
瞼をきつく閉じて彼女は逡巡している。一考の余地があるのだと分かると心臓が早鐘を打つ。レオナールは神に祈った。
結果、レオナールに神は微笑んだ。彼は必死に泣くのを堪えた。
もう一生、運が悪くてかまわない。シュネージュがレオナールの妻になってくれたのだから。シュネージュが隣にいるだけでレオナールは幸せに満ちるのだ。
祝福の花びらが舞う中、シュネージュは月の光のように静かに微笑んだ。その微笑みが眩しすぎて、レオナールはすぐに目を逸らしてしまった。
寝台では、シュネージュが深い眠りに落ちている。
彼は、女の愛し方など知らない。ただ、貪るだけだ。それでも、シュネージュは幸せそうに結婚生活を満喫してくれている。
シュネージュの机を探る。彼女が首にぶら下げていた小瓶が入っている。
テラスに出る。ふんと鼻息をつき、小瓶の中の毒薬を土に流す。
中身を捨てた小瓶に、毒液の色が似ているブランデーを入れる。
不穏なものは遠ざけるに限る。大事なシュネージュが飲んでしまわないように。
レオナールは小瓶をそっと机に戻した。